2. 相手が戦えない土俵で
中谷
それでTAKERU撤退後、
「ソフトの自販機をどう変えていくか?」ということで、
教育機関の教材とか、仏教の経典とか、
通信で提供可能なコンテンツを探ったんですが、
どれも権利の許諾を得るのが難しかったんです。
そこで最終的に行き着いたのが「音楽」でした。
オリジナルの楽曲をMIDI(※16)化すれば
著作隣接権(※17)が発生して、
一部利用できる権利を得られたんです。
この仕組みをしっかり組み立てれば、
ほぼJASRACさん(※18)の許諾だけで、
自社コンテンツとして動かすことができたんです。
岩田
個別の権利者それぞれに交渉しなくても、
「音楽」なら、まとめてたくさんのコンテンツを
利用することができたんですね。
中谷
はい。通信カラオケの試作品をつくって、
いろんなマーケットに持ち込みました。
たとえば「日本海最大のステージがある」
と聞いて、新潟のカラオケスナックに
遠征したりもしていました。
岩田
ただ、世の中に存在しないものを
売り込みに行かれたので、
最初から順風満帆には
いかなかったんじゃないですか?
中谷
そうです。
じつは一度、失敗しています。
最初につくった通信カラオケは
3,000曲ほどのJS-1(※19)というモデルでした。
これは当時メジャーだったレーザーディスクの
カラオケと、曲数はほぼ同じなんです。
「場所を取らない」「新譜がすぐ入る」
「メンテナンスフリー」という
通信カラオケならではの特長を軸にしていたんですが、
最初はまったく売れませんでした。
岩田
それはなぜだったんでしょうか?
中谷
じつは美空ひばりさんなどの
昭和45年以前のメジャー曲は、
著作権法改定の都合で、
音源を取得できなかったんです。
岩田
つまり、JASRACさんの
許諾だけではダメな曲があって、
しかもそれが、カラオケにおける
「キラー楽曲」だったんですね。
中谷
はい。ですので、いくら通信カラオケの
よさをうたっても・・・。
岩田
キラーソフトが手に入らない
プラットフォームになってしまったんですね。
それって、まるでうまくいかないゲーム機と
同じじゃないですか(笑)。
中谷
そうなんです、同じなんです(笑)。
そこで、メジャータイトルが入らないのであれば、
「シングルカットされていないアルバム曲を
積極的に入れて差別化していこう」ということで、
急きょ、残りの資本金を全部つぎ込んで、
2,000曲追加したJS-2(※20)というモデルを
約3か月後にスタートさせました。
岩田
3か月で、一気に2,000曲も増やしたんですか。
中谷
はい。これはもう、社運をかけていました。
カラオケボックスにデモ機を設置して、
搭載楽曲リストを印刷した小冊子をつくって
大々的に宣伝したところ、
翌日から待ち行列ができるぐらいで、
びっくりするほどオーダーが入ったんです。
岩田
キラーコンテンツとされていた「楽曲」がなくても、
それ以外の選択肢が多数あるものを提供したら、
お客さんの層が一気に変わって、
そういう楽曲を必要としない、
ほかの選択肢を求めていた方たちが
一斉に集まってくれたわけですか・・・。
中谷
そうなんです。
ちょうど世の中に「カラオケボックス」という
マーケットが起こるタイミングで、
カラオケボックスにくる学生さんやOLさんが
歌いたい曲にしぼって、2,000曲追加したことが、
通信カラオケが一気に立ち上がる
原動力となりました。
岩田
確かに、従来のディスクチェンジャーを
使っているところは、一気に2,000曲
追加することは難しいですよね。
チェンジャーをもう1台横に並べるしか
方法がありませんから。
伊神
それとカラオケボックスにより、
従来の「1曲ワンコイン制」ではなく、
「時間貸しの料金システム」に変わったことで、
お客さんはより多くの歌を歌いたくなったんです。
通信カラオケはディスクチェンジャーに比べ、
「曲の切り替わりが圧倒的に速く、たくさん歌える」
というメリットも、支持を受けた要因でした。
中谷
カラオケのマーケットには、
「ナイトマーケット」と「デイマーケット」
という2種類の業界特有の表現があるんですけど、
最初につくった通信カラオケは、
「ナイトマーケット」を狙ってしまったことが、
ミスマッチしていた原因だったんです。
岩田
でも、きっと苦しまないと、
わからなかったことなんでしょうね。
中谷
そう思います。
それにJASRACさんも最初からOKではなくて、
考えかたや使用料金形態がいまの形になるまで、
それこそ5年ほどの期間が必要でした。
岩田
でも、こうして通信カラオケをキッカケに、
楽曲の権利者に許諾料が還元される
新しい仕組みができあがったんですね。
中谷
はい。いまや日本のJASRACの使用料徴収額は
金額ベースでは世界一ですけど、
そのうちカラオケから入ってくる徴収区分が、
全体の約2割を占めるほどなんです。
岩田
へぇ~、そんなにあるんですね。
ちなみに、カラオケのリモコンが
タッチパネルになったのはいつごろですか?
中谷
最初に登場したのは
「セガカラ」(※21)というモデルです。
そこからわれわれはJOYSOUNDで
「キョクナビ」(※22)として発展させました。
岩田
どんどん曲が変わっていく
通信カラオケだからこそ、情報端末は
選曲本に比べてメリットがありますね。
中谷
ただ、当時はまだタッチパネルに
なじみの薄いご年配の方向けに、
選曲本と「キョクナビ」の両方の運用をしていました。
いまでは薄い新譜本だけ出すようにしています。
岩田
なるほど。なんというか、これは典型的な
「破壊的イノベーション(※23)物語」ですよね。
最初は質としては劣ったものではじまるけれど、
自らの武器や長所を一気に伸ばして、
「相手が戦えない土俵」をどんどんつくり、
勝負していったんですね。