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この社長が訊くインタビューは通訳を介して行われたものですが、
全文を日本語にして掲載しています。
岩田
わたしは今日、フランスはパリにある
ユービーアイソフト(※1)さんの本社におじゃましています。
ここは、その最上階にある会議室です。
“社長が訊く”はこれまで約200回ほど
さまざまな人たちのお話を訊いてきましたが、
こうしてヨーロッパの会社におじゃまして
お訊きするのは、今回がはじめてです。
今日はWii Uソフト『ゾンビU』のお話とともに、
ユービーアイソフトさんのこともあわせて
いろいろお訊きできればと思っています。
それでは、集まっていただいたみなさんから
自己紹介をしていただきたいと思います。
イブさんからどうぞ。
イブ
ユービーアイソフトのCEOを務める、
イブ・ギルモです。
本日はお越しいただき、ありがとうございます。
お迎えできて、とても光栄です。
岩田
こちらこそ。
今日はよろしくお願いします。
イブ
よろしくお願いします。
わたしたちは、任天堂さんがこれまで
成し遂げてきたことに、感銘を受けてきました。
そこにはゲームに対する思想やこだわり、
そこから多くのプレイヤーが感じる
興奮と感動がありました。
この業界でユービーアイソフトを立ち上げたとき、
わたしたちもそういった目標をもって、
フランスはもとより
「世界中から広く愛される新しい商品を生み出したい」
そう考えました。
1986年にその第1歩として、
最初につくったゲームは『ゾンビ』でした。
岩田
イブさんがユービーアイソフトの創立時に
ゾンビのゲームをつくっていたんですか?
イブ
はい。もうだいぶ前のことですが、
最初は Amstrad CPC(※2)版としてフランス国内で発売し、
その後、Commodore 64(※3)に移植され、
ドイツなど欧州諸国へと展開していきました。
またElite Systems社(※4)が移植した
『Commando』(※5)と
『Ghosts' n Goblins』(※6)の
販売をしていました。
岩田
それは興味深いお話ですね。
ユービーアイソフトさんが
はじめて出したソフトが『ゾンビ』で、
Wii Uのメインローンチタイトルとして
今年また新たに『ゾンビU』をつくる。
偶然の一致にしては、
ちょっとできすぎているくらいです(笑)。
ザビエ
ザビエ・ポワです。
わたしはフランスのパリ、アヌシー、モンペリエ(※7)の
開発スタジオの代表取締役を務めています。
今回の『ゾンビU』は、
モンペリエの開発スタジオで開発しています。
どうぞよろしくお願いします。
岩田
こちらこそ、よろしくお願いします。
ザビエ
任天堂とフランスの開発スタジオの間には
以前から深い結びつきがありまして、
Wiiのローンチタイトルとして発売した
『レッドスティール』(※8)はパリで、
『ラビッツ・パーティー』(※9)は
モンペリエで開発をしています。
岩田
Wiiを立ち上げたとき、
「Wiiリモコンをいかに活用するか?」という研究を
ユービーアイソフトさんでもかなり早い段階から
実験してもらっていたんですよね。
ザビエ
そうですね。その経験が、
さきほどの2タイトルに活かされています。
ユービーアイソフトは任天堂さんが
新しいハードをつくり出すたびに
そこに込めた夢や楽しさを
いちはやく見いだして、そこに
「自分たちならではの
クリエイティビティ(創造性)を加えたい」
と思ってきました。つまり
「任天堂さんが新しいハードを出す」
ということは、我々にとっては
「まったく新しい出発を求められること」
を意味するんです。
岩田
任天堂の新しいハードは、
「任天堂からみなさんへの挑戦でもある」
ということになりますか?
ザビエ
まさにそのとおりです(笑)。
それまでに積んだ経験をリセットして、
新しい遊びかたを考えます。
Wiiで我々はたくさんのことを学び、
活用してきました。
岩田
ザビエさんはWiiで、世界的に人気を博した
『JUST DANCE』(※10)
シリーズをつくられていますよね。
そのことものちほどくわしく、
お話を訊かせてください。
ギオム
ギオム・ブルニエです。
今回、モンペリエスタジオで
『ゾンビU』のプロデューサーを務めました。
ユービーアイソフトに勤めて10年以上経ちますが、
わたしのゲームへの情熱は
スーファミの『F-ZERO』(※11)からはじまったので、
今日、自分がこの場にいることに、
すごく感激しています。
岩田
『F-ZERO』が好き、ということは、
ギオムさんはきっと、かなりストイックなゲーマーですね(笑)。
『ゾンビU』の前は、どんなソフトを
つくってこられたんですか?
ギオム
『From Dust』(※12)というゲームの
制作に携わっていました。
これもモンペリエスタジオでつくられたもので、
非常に情熱的な経験をしました。
その前にはトム・クランシーの小説を原作にした
『スプリンターセル 二重スパイ』(※13)や
『ゴーストリコン』(※14)などですね。
もっとさかのぼると『XIII』(※15)という
セルシェーディングのFPS(※16)も担当しました。
岩田
ギオムさんが、ゲームを遊ぶ側から
つくる側に変わることを決心する
きっかけは何だったんですか?
ギオム
わたしはプレイヤーとしてゲームを遊ぶたびに
「ここはもっとこうしたほうがいい」と
思うことがけっこうあったんです。
それで、遊ぶだけでは飽きたらず、
「アイデアを実装することのできる
チームのメンバーでありたい」という願いが、
ゲーム業界にわたしを引き入れたんだと思います。
ちょっとクレイジーな業界ですが、
わたしにとっては最高の業界です(笑)。
岩田
はい(笑)。
では、ガブリエルさん。
ガブリエル
ガブリエル・シュレーガーです。
『ゾンビU』のストーリーデザインディレクター兼
リードライターです。
ユービーアイソフトには2006年から勤めています。
ギオムとは『From Dust』など、
いくつかのゲームで一緒に仕事をしています。
また『ラビッツ・ゴー・ホーム』(※17)では
今回の『ゾンビU』の開発ディレクターと
一緒に仕事をしています。
岩田
ガブリエルさんはどういう経緯で
ゲームをつくる仕事につかれたんですか?
ガブリエル
わたしも昔からゲーマーでした。
とくにアクションアドベンチャーが大好きで、
それでこの業界に入りました。
はじめはサウンドデザイナーとして、
Cryo社(※18)というメーカーに勤めていました。
その後ゲームデザインを学んでいって・・・。
岩田
はじめはサウンドからこの世界に入られたんですか。
ガブリエル
はい。 わたしはミュージシャンなんです(笑)。
だからまず、サウンドを担当させてもらいつつ、
ゲームデザインを独学で習得して、
たたき上げでいまの“書く”仕事へと進みました。
わたしは映画やドラマではなく、
インタラクティブに展開していくゲームの
シナリオがやりたくて、情熱を注いできたんです。
岩田
ゲームのシナリオというのは、
ストーリーを語るということや、
ナレーションを入れることひとつをとっても
他の媒体とはものすごくちがいますよね。
ガブリエル
はい、ぜんぜん、ちがいますね。
岩田
ゲームに代表されるインタラクティブな世界の
シナリオの構築術というものは
まだあまり確立されていませんから、
「学ぶ」という点では苦労されたと思いますが、
どうやって自分の力を高めていったんですか?
ガブリエル
わたしにはむしろそこがよかったんです。
たとえるなら、目の前に制約のない
広々とした道が一本あるだけなんですね。
そこに新しい方向性を指し示すものが現れたとき、
ストーリーを創造して語るための
まったく新しいパラダイム(※19)が広がるんです。
岩田
はい。
ガブリエル
そういう意味では、
今回Wii Uは2つの画面を使って、
「よりシネマグラフィック的な体験が
生み出される世界をテレビの外側に
創造したんじゃないか?」
と思っています。
岩田
それは、あとでくわしくうかがいますけど、
Wii U GamePadのことですね。
ガブリエル
はい、Wii U GamePadはこのゲーム体験において
「核となる重要な存在だ」と思います。
Wii U GamePadなしではこのゲームは
生まれることはなかったと思います。
岩田
『ゾンビU』自体が、
Wii U GamePadがあるWii Uのために、
「ゼロから設計された」ということですね。