社長が聞く Wii プロジェクト - Vol.5 『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』編

岩田  聡 [取締役社長]
岩田  聡 [取締役社長]
尾山 佳之 [情報開発本部 制作部]
尾山 佳之 [情報開発本部 制作部]
西森 啓介 [情報開発本部 制作部]
西森 啓介 [情報開発本部 制作部]
北川 幸治 [情報開発本部 制作部]
北川 幸治 [情報開発本部 制作部]
宮城 暁志 [情報開発本部 制作部]
宮城 暁志 [情報開発本部 制作部]
冨永 健太郎 [情報開発本部 制作部]
冨永 健太郎 [情報開発本部 制作部]
京極 あや [情報開発本部 制作部]
京極 あや [情報開発本部 制作部]

第1回 「言語化されていない、『ゼルダ』らしさ」

岩田 『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』について
今日からお伝えしていこうと思います。
たくさんの開発者が携わっているソフトですから、
なるだけ多くの人に、登場してもらうことにしました。
まずは、今回はじめてチーム内で、リーダー役を経験した
若手スタッフ6人の方にお話をうかがいます。
ちなみにこの取材のあとは
ベテランの開発者6人に集まってもらって、
最後に、ディレクターの青沼(英二)さんと、
宮本(茂)さんに話を訊いていこうと思っています。
それでは、まず今日は、
若手開発者のみなさんにしゃべってもらいましょう。
自己紹介からお願いします。

尾山 情報開発本部の尾山です。今回の『ゼルダ』では、
おもに敵キャラクターのデザインを担当しました。
このプロジェクト以前の仕事としては、
『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』『ポケモンスタジアム金銀』
『ルイージマンション』『ゼルダの伝説 風のタクト』『ピクミン2』
『ゼルダの伝説 4つの剣+』にたずさわっていました。

西森 情報開発本部の西森です。
今回はプレイヤー、つまり
リンクのデザインを中心に担当しました。
その前の仕事としては、
『風のタクト』でノンプレイヤーキャラクターを、
『マリオカート ダブルダッシュ!!』では
キャラクターのアニメーションを担当しました。

北川 情報開発本部、北川です。
今回、はじめはダンジョンのデザインチーフとして
仕事をしていたんですけども、
途中からダンジョンのディレクション、
いわゆるゲームの遊びの部分を作るということを
おもにするようになりました。
前の仕事は、『ルイージマンション』の地形、
『風のタクト』のダンジョン、
そのあと『ピクミン2』のタイトルデザインを担当していました。

宮城 情報開発本部、宮城です。
今回の担当はフィールドデザインの設計、
および、そのチームの運営を担当しました。
これまでの主な仕事は
『スーパーマリオサンシャイン』と『ピクミン2』になりますが、
そのあいだに『風のタクト』の助っ人的な役割として、
いくつか地形の絵の部分を担当しました。

冨永 情報開発本部、冨永と申します。
今回は北川さんと同じで、
遊びの部分のディレクションを担当したんですけども、
私はフィールドのゲームデザイン担当になります。
今までやってきた仕事としては、
まず『風のタクト』で、
宝箱とか敵とかをあちこちに配置していくという
仕事を担当しまして、
そのつぎが『マリオカート ダブルダッシュ!!』、
そこではおもにテキストを書いたりですとか、
世界発売にあたってのローカライズ、
そのあとに『4つの剣+』でデバッグのお手伝いをして、
その後、『スーパーマリオ64DS』の
ディレクションを経験して、現在に至ります。

京極 情報開発本部の京極です。
今回の『ゼルダ』ではスクリプト全般と、
あと一部ノンプレイヤーキャラクターを使った
イベントのプランニングを担当しています。
この前には『4つの剣+』の
スクリプトを担当いたしまして、
その後、このチームに入りました。

岩田 今日お集まりいただいたみなさんは、
おそらくこれほど巨大なプロジェクトを
初めて経験されたんじゃないかと思います。
実際、今回の『ゼルダ』というのは
1本のソフト開発の規模としては最大レベルなんですが、
これほど大きなプロジェクトだと、
たくさんの人のさまざまなアイデアを入れながら
ひとつの形にまとまるというのが
ものすごくたいへんなことだと思うんです。
ふつうに考えれば、ばらばらになってしまうものを
ひとつにつなぎ止めているのが何かというと、
それは個人個人の「『ゼルダ』らしさ」という
概念なんじゃないかなと思うんですね。
そこで、みなさんにとっての
「『ゼルダ』らしさ」というのが
どう定義されているのかというのを
ちょっと訊いてみたいんです。
じゃあ、そうですね、尾山さんから。

尾山 そうですね……『ゼルダ』らしさについては
開発の現場でもつねに話題になるんですけども、
やはり、はっきりとした共通の定義はないんです。
こう、決まりが紙に書いてあるようなことはなくて、
あるのは、やっぱりいちばん最初の
ディスクシステムの『ゼルダの伝説』から脈々とつながる
歴史であるとか、伝統になってくるんですね。
ですから、まあ、リンクは左手で剣を振るとか‥‥。

岩田 それも今回はいきなり
破ってしまったわけですけどね(笑)。

尾山 そうですね(笑)。
Wiiのリモコンで操作することを考慮して、
今回のWii版の『ゼルダ』はリンクが右手で剣を振ります。
もちろんそれは最善の策だったと思ってますが、
その点ひとつとってみても、内部では
「リンクはやっぱり左手で剣を持つべきじゃないか」
という議論があるんです。
で、やっぱり『ゼルダ』らしさってなんだろうね、
という話に行き着いてしまう。
敵の配置でも、インターフェイスでも、なんでも、
かならずその問題と向き合うことになるんです。
で、それははっきりと言葉でまとめることはできない。

岩田 言語化されていないけれども、
なんとなく共有はされているという、
非常に不思議な価値観なわけですね。

尾山 そうですね。
ですから、それを言葉にするのはすごく難しいですね。

岩田 では、自分の専門分野で、
「私はここにこだわりました」っていう
自分なりの『ゼルダ』らしさは挙げられますか?
北川さん、どうですか?

北川 自分の担当はダンジョンなので、
つねに「謎」のことを考えていたんですが、
『ゼルダ』らしさって何かを知るには、
もう過去のゲームをやるしかないだろうと思ったんです。

岩田 ああ、過去の『ゼルダ』シリーズすべてが
リファレンスであり、教科書であるわけですね。

北川 そうですね。先ほどおっしゃられたように、
言語化された教科書のようなものはありませんから。
ですから、自分で『ゼルダの伝説 時のオカリナ』をやり、
『ムジュラ』をやり、『タクト』をやって、
なんとか『ゼルダ』らしさを
自分なりに見つけようとしたんです。
それで、「謎」に関して一応の定義にしたのは、
ひとつの「謎」がプレイヤーの経験になって
つぎの「謎」にステップアップしていくということです。
たとえば「岩を壊す」という謎を解いたあと、
つぎも岩を壊すんだろうなと思ったときに、
今度は「岩が高い場所にあって届かない」。
そういうふうに謎がステップアップして
プレイヤーが考えていくことが、
『ゼルダ』らしさなのかなと。

岩田 つまり、さっきやったことが役立つんだけど、
それだけでは何かが足りない。
そこで「あと、何が足りないんだろう?」と
ステップアップして考えさせることが
『ゼルダ』なんじゃないかということですね。

北川 はい。しかもそれは、
単に難度が上がっていくだけのものでは
いけないと思うんです。
ひとつの「謎」が解ければ、それだけですいすいと進める。
そこが、『マリオ』シリーズに代表される
どんどん難しくなっていくものとの違いだと思っています。

岩田 たしかに、『ゼルダ』は、
アクションが必要な局面もありますけれど、
何回も何回も練習して指で覚えろ、
という遊びとは、ちょっと違いますね。

北川 そう思うんです。

岩田 リンクのデザインや動きを担当した
西森さんはどうですか?

西森 ぼくはいままでユーザーとして
『ゼルダ』をプレイしてきたわけなんですけど、
そのときに『ゼルダ』らしさとして
よくできているなあと感心したのは、遊びながら
「こうやったらどうなるだろう?」と思ったときに
そのリアクションがきちんと用意されていることなんです。
たとえば、ダンジョンの中に何かの仕掛けがあって、
「重いものをこの上に置いたら落ちるんじゃないか?」
と感じると、ゲームがそういう発想に応えてくれる。
その懐の広さというか、選択の幅広さ。
それがあることで、やらされている感じじゃなく、
自分が考えて、経験して、進んでいくという感覚が
ユーザーの中に生まれていくんだと思うんです。
人それぞれの解き方があると、ユーザーが感じること、
それが『ゼルダ』らしさなんじゃないかなと
考えながら作っていました。

岩田 何かを試したときに、期待に応える反応があるのは
たしかに『ゼルダ』らしいですね。
それは、かならずしも謎の解法でなくてもいいんですよね。
「これをこうしたら、こんなふうになった。
きっと何かに役立つから覚えておこう」ということでも。

西森 はい、そのとおりです。

尾山 それは意識しながらつくっていましたが、
すごく苦労するところでもあるんです。
たとえば、敵が何かを飛ばして攻撃してくる。
わかりやすい解法としては盾で防げばいいわけですけど、
「剣でそれを斬ったらどうなるのか?」
っていうことも考慮しなくてはいけないんですね。
そういうことがつぎつぎに重なっていくので
「こうやったら、こうなる」という準備が
どんどん複雑になっていくんです。
例えば、アイアンブーツを履いていたとき
その攻撃に当たったら、その場でダメージを食らうだけなのか、
それとも吹っ飛んでしまうのか、
というようなことの連続なんですね。
だから、どこかで発生した何かは、
その後のリアクションに全部影響するわけです。
そのあたりのことはひとりで考えていると
本当にごちゃごちゃしてくるんですけど、
その積み重ねが『ゼルダ』の深みに
つながっているのは間違いないんじゃないかと思います。

岩田 なるほどね。
宮城さんは『ゼルダ』らしさって
どうとらえてますか。

宮城 『ゼルダ』らしさは僕にとっても難しい問題で、
あるとき、『ゼルダ』を長年経験している
大先輩の開発者の方に質問したことがあるんですよ。
すると、返ってきた答えは
「『ゼルダ』のスタッフが作ってたら『ゼルダ』や!」
というもので(笑)。

岩田 禅問答だ(笑)。

宮城 非常に困った記憶があるんです(笑)。
ただ、自分なりに、これまでの『ゼルダ』を
1作目からプレイし直して突き詰めていくと、
たしかにいまおっしゃったような
「プレイヤーのさまざまな要求に応えること」
なんかも『ゼルダ』らしさではあるんですけど、
逆に、要らないものが
ぎりぎりまで削ぎ落とされていることも、
『ゼルダ』らしさだと思うんです。
昨今のゲームでありがちな、
プレイヤーが関与できないムービーなどを極力排除して、
プレイヤーの「こうしたい」という気持ちに
きちんとゲームが応えていく。
『ゼルダ』はその点においては
ものすごいクオリティーを持っていると思うんです。
ですから、ぼく自身は、
『ゼルダ』らしさが何かというよりは、
「『ゼルダ』クオリティー」を維持することのほうが
重要なんじゃないかと思いながら開発に臨んでましたね。
「『ゼルダ』とは何か?」というよりは、
『ゼルダ』が本来目指すべきクオリティーがどこなのか。
たとえば『時のオカリナ』の冒頭は、
リンクという何も知らない少年に、
遠くから飛んできたナビィという小さな聖霊が
ぶつかるところから始まるわけなんですけど、
単なるムービーではなくて、
リンクがどういう少年なのか知らないプレイヤーが、
何も知らないリンクの存在と重なるようにできていたり、
ナビィがあちこちにぶつかりながら飛んでくるあいだに
じつは村の紹介を済ませていたりと、
非常に効率のよい工夫が施されているんです。

岩田 ムダが削ぎ落とされているんですね。

宮城 はい、ムダがない。
時間的にもムダがないし、データ的にもムダがない。
そういうことが非常に勉強になりましたし、
なんとかそういうクオリティーに近づけたいと思いながら
開発にあたっていました。
ただ、最後まで答えを見つけられなかった部分も多くて、
たとえば「草を切る」という行為が
いまの『ゼルダ』に本当に必要なのか?
みたいなことは、咀嚼しきれなかった部分はあります。

岩田 触れて動かせるもの、反応があるものと、
そうでないものの線引きってものすごく難しくて、
サボりすぎるとリアリティーのない世界になるし、
がんばりすぎると、終わりのない仕事になっていく。

宮城 そうですね。
そのあたりのバランスは、情けない話ですが、
答えを見つけられないままになっていたところを
宮本さんがちょこちょことテコ入れをされて、
自分の未熟さを感じました(笑)。

岩田 ああ、宮本さんの「ちゃぶ台返し」については
あとでまとめて訊こうと思います(笑)。
冨永さんは『ゼルダ』らしさについてはどうですか?

冨永 みなさんが挙げたこと以外のところでは、
この世界の中でのリアリティーというか、
いかに不自然さというものを感じさせずに
物語を楽しんでもらうか、ということでしょうか。
これは宮本さんがよく言うことなんですけど、
髪の毛1本1本を表現するようなリアリティーではなくて
「子どもが夜中に店に入ってきたら、
店主は『いらっしゃい!』と言わんやろ」
ということなんですけど。

岩田 ああ、宮本さんは、そういうことに厳しいですよね。

冨永 はい(笑)。

西森 リンクの動きをつくっていたときに、
敵がそばにいたときのリンクが棒立ちで、
それを指摘されたことがありました。
といっても、何も操作していない状態の
リンクだったんですけど。

岩田 操作していないにしても、
「敵がそばにきたら身構えるやろ」と(笑)。

西森 ええ(笑)。
でも、その軽い動きをひとつ挟むだけで、
ものすごく世界に広がりが出るんですよ。

冨永 そういうこだわりによって、
あの世界での自然さというのが確立されるんですよね。

岩田 細かいかもしれないけど、その指摘があることで
その世界でのリアリティーの基準が
定められていくんですね。

冨永 はい。そういうところも、
やっぱり『ゼルダ』らしさだと思うんです。
あとは、北川さんの考えに近いんですけど、
謎を解いたときの気持ちよさですね。
「♪チャラララ、ラララ〜」という
あの音を聞いたときの気持ちよさは、
やっぱり『ゼルダ』の醍醐味ですから。

岩田 そうですね。
ちょっと難しい謎が解けたりすると、
「俺って凄く頭が良いのかも…」
と舞い上がったりするんですよね(笑)。

冨永 それは外せないですね。
もうひとつは、メインのストーリーから外れて、
ちょっと寄り道したときの楽しさ。
ぜんぜん用事はないんだけど、
たまたま前に行ったところに戻ったとき、
新しいアイテムで新しい場所に行けて
そこに宝箱があったりとか。
そういうことをなるべくたくさん詰め込んであるのが
『ゼルダ』かな、という気がするんです。

岩田 なるほど。京極さんは?

京極 いま冨永さんがおっしゃったことは、
キャラクターのセリフに関しても
同じことがいえると思うんです。
久しぶりに会った人にもう一度話しかけたら、
すごく意外なことを言われたりとか。
自分が何気なくとってきた行動について
キャラクターから突っ込まれてドキッとしたり。
それも、やりすぎるとしつこくなるし、
誰にも全く気づかれないところに
仕込んでいてもしかたないですよね。
だから、気づくか気づかないかの
微妙なところに、どれだけそういう、
「いい意味でくだらない」みたいな遊びを
入れていけるかということは、常に意識していました。

岩田 『ゼルダ』というと、
硬派で、本格派で、ゲームの王道、
みたいに言われがちですけど、
じつは「いい意味でくだらない」ことに
満ち満ちていますからね(笑)。

京極 はい(笑)。
あまりやりすぎると、
もう本当にまとまらなくなるんで加減して。
でも、逆に、やらなさすぎると、
あとになって宮本さんから、
「ぼくはわざわざこんなことをしたのに
何も言ってもらえなくて悲しかったです……」
みたいなメールが届くんです。
それを「とほほメール」って呼んでたんですけど。

岩田 「とほほメール」(笑)!

京極 「やってみたら、こうなってて、とほほでした」
っていうメールなんです。
開発の終盤には毎晩のように「とほほメール」が……。

一同 (笑)

岩田 みなさんの『ゼルダ』がよくわかりました。
私なりの見解を言っておくと、やっぱり、
人の数だけ『ゼルダ』らしさの定義は
あるような気がしてならないんです。
でも、それが人によってまったく違うんじゃなくて
どこかの部分が少しずつ重なり合ってる。
だから最終的にまとまるんじゃないかと思うんですよ。
さらにいうと、それが、言語化されて
完全に一致した定義じゃないことこそが
『ゼルダ』の豊かさの理由なんじゃないでしょうか。


第2回 「機能の面からの発想」へ