1. 20年以上も前の出会い

岩田

今日はご無理をお願いして、
わざわざ京都までご足労いただきました。
堀井さん、すぎやま先生、ありがとうございます。

堀井・すぎやま

いえいえ。

岩田

この「社長が訊く」のコーナーは
Wiiを開発した頃からはじめていまして、
もともと社内の開発者の話を訊く、ということから
スタートさせたインタビュー企画なんです。
ですから、任天堂以外のソフトの話を
訊かせていただくのは初めてのことになるんですが、
今回、どうしても実現させたかったんです。
 
ふだんは、最初に自己紹介からはじめるんですけど、
改めて自己紹介をしていただくまでもないほど、
おふたりのことは、どなたもご存じだと思います。
そこでまず、ちょっと変な話からしたいと。
 
わたしと『ドラクエ』との関わりについて、
世の中にはあまり知られていないことがひとつありまして・・・。

堀井

それは?

岩田

初代の『ドラゴンクエスト』(※1)
『Dragon Warrior』(※2)という名前で
海外展開されてましたよね。

堀井

ええ。『ドラクエ』の海外版は
アメリカの任天堂の発売だったんですよね。

岩田

はい。それで、そのローカライズ、
わたしが担当したんです。

堀井

あ、そうでしたね。

※1

『ドラゴンクエスト』=シリーズ第1作目のファミコン用ソフト。1986年5月に発売され、家庭用ゲーム機におけるロールプレイングゲームの代名詞ともなった。

※2

『Dragon Warrior』=日本版が登場して3年後の1989年5月に発売。版権の問題があり、当初は『Dragon Warrior』の名称で登場していたが、『VIII』より『DRAGON QUEST』の名称で発売されている。

岩田

もちろんそのときに堀井さんにもお目にかかってますし、
プログラマーの中村光一さん(※3)から
『ドラクエ』のプログラムをお預かりしたんですけど、
当時は『ドラゴンクエストIII』(※4)の開発のまっただ中で・・・。

堀井

でしたね(笑)。

岩田

中村さんはローカライズができないほど忙しいと。
そこで、その当時、HAL研究所にいた
わたしのもとに任天堂から電話がかかってきて
「『ドラクエ』のローカライズをしたいんだけど、
引き受けてもらえないか」と。
わたしはちょっとビックリしつつ、
プロデューサーの千田さん(※5)からお話を聞き、
開発中の『ドラクエIII』を
役得でちょっと触らせてもらったりしながら、
中村さんからプログラムを預かって
2週間くらい、会社に行かずに家にこもって
とりあえず基本の部分だけを
英語化するようなことからはじめたんです。

※3

中村光一さん=プログラマーとして『ドラクエIV』までの開発に関わる。チュンソフト代表。主な作品に『トルネコの冒険』『風来のシレン』シリーズなどがある。

※4

『ドラゴンクエストIII』=『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』。1988年2月、ファミコン用ソフトとして発売されたRPG。スーパーファミコン、ゲームボーイカラーでもリメイク版が発売された。

※5

千田さん=スクウェア・エニックス取締役の千田幸信氏。『ドラゴンクエスト』の生みの親のひとりであり、永年、同シリーズのプロデューサーを務める。

堀井

何年前ですかね。もうだいぶ前ですよね?

岩田

『ドラクエIII』が発売された年ですから。

堀井

1988年頃ですね。

岩田

だから、もう20年以上も前の話ですね。
その『ドラゴンクエスト』の最新作が
今度はDSで出ることになって、
だから、とても大きなご縁を感じてるんです。
こうやってお話をお訊かせいただくということに対して、
とても不思議なものを感じているんですね。

堀井

ホントにそうですね。

岩田

ちなみに『ドラゴンクエスト』というのは、
ひじょうに不思議なソフトで、とにかく出た瞬間から、
身の回りのゲーム開発者が、勤務時間中だというのに
夢中になってのめり込んでしまって・・・(笑)。

堀井

ははは(笑)。

岩田

まあ、当時はとても大らかな時代で、
『スーパーマリオブラザーズ』(※6)が来たときも
しばらく開発にならなくて困ったんですけど、
『ドラクエ』が出たときも同じことが起こって
みんながガーッとあの世界に入ってしまったんですね。

※6

『スーパーマリオブラザーズ』=ファミコン用ソフトとして、1985年9月に発売された任天堂のアクションゲーム。

すぎやま

似たようなことは、
僕の身の回りでも起こってましたよ。
知り合いの人の会社の話なんですけど、
会社には普通、白いボードが壁に掛けてあって
そこに行き先を書いて出かけたりするじゃないですか。

岩田

行動予定が書けるホワイトボードですね。

すぎやま

うん、あれにね、
何人もの社員が行き先に
「アレフガルド」(※7)と書いてたというの。

一同

(笑)

すぎやま

それで、その会社の課長が
部下に「アレフガルドってなんだ?」と聞いたというんですよ。
そしたら「『ドラクエ』の地名です」と。
もう笑っちゃいましたね(笑)。

岩田

『ドラクエ』のおかげで
仕事にならないようなことは
ゲーム開発会社だけでなく
先生の身の回りでも起こってたんですね。

すぎやま

そうなんですよ。

※7

アレフガルド=『ドラゴンクエスト』シリーズのI・II・IIIに登場した地方の名称。ロト伝説の主な舞台でもある。

岩田

それはきっと
“ユーザー拡大”と呼べる現象だったと思うんですよね。
任天堂は5年ほど前から「ゲーム人口拡大」という表現で
ユーザー拡大について語るようになったんですけど、
その15年も前に、巨大なユーザー拡大をしたのは
『ドラゴンクエスト』なんじゃないかということに、
今日「社長が訊く」で、おふたりにお会いすることになって
あらためて気付いたんです。
『ドラゴンクエスト』に出会って初めて、
ロールプレイングなるものを理解した人はすごく多いと思いますし。
そこでまず、堀井さんにお訊きしたいんですけど、
最初に『ドラゴンクエスト』をつくろうとしたとき
何を狙って、どんなことを考えていたんですか?

堀井

僕はもともとロールプレイングにハマっていたんですよ、
『ウィザードリィ』(※8)とか『ウルティマ』(※9)とかにね。
それらを自分で遊んで、すごく面白いと思ったんですけど、
敷居がすごく高かったんです。

岩田

パソコンのゲームソフトだった
『ウルティマ』や『ウィザードリィ』が面白いとは聞いても、
そばに詳しく手ほどきしてくれる人がいなければ、
手軽に遊べるゲームではなかったんですよね。

※8

『ウィザードリィ』=1981年に発売されたパソコン用の3DダンジョンRPG。コンピュータロールプレイングゲームの元祖として知られる。

※9

『ウルティマ』=1981年に発売されたパソコン用の2Dフィールド型RPG。『ウィザードリィ』とともに、コンピュータロールプレイングゲームの元祖的存在。

堀井

そうなんです。
そこで、いかにカンタンにロールプレイングの面白さを
わかってもらえるだろうかということで、
いろんな仕掛けを入れてつくったのが『ドラクエ』なんですよ。
ただ、あの容量のちっちゃいカセットで
ロールプレイングをつくるのは
絶対にムリだと言われたんですね。
じゃあ、こんだけしか入らないのなら、
逆にどれだけの要素を入れて
面白さのエッセンスを出そうかと、
そうやって工夫してつくったのが
1作目の『ドラクエ』だったんですよ。

岩田

わたしは『ドラクエ』が出た当時、
すごく感じたことがあって・・・。
このゲームの面白さを理解した人たちは
どんどん『ドラクエ』の“宣教師”に変わっていったんですよ。

堀井

実はそこには、もうひとつの仕掛けがあったんですよ。
その当時、僕は週刊少年ジャンプで、
「ファミコン神拳」(※10)というファミコンの記事を書いてまして。

岩田

堀井さんは当時、
フリーライターとしても活動されていたんですよね。

※10

「ファミコン神拳」=堀井雄二氏が「ゆう帝」というペンネームで、不定期に連載していたコンピュータゲームの紹介コーナー。週刊少年ジャンプに1985年から88年頃まで掲載。

堀井

はい。そこで『ドラクエ』の開発を進めるのと同時に、
ロールプレイングとはどういうものかという記事も展開したんです。

岩田

なるほど。『ドラクエ』を開発しながら、
ロールプレイングゲームの手ほどきも同時に展開したと。

堀井

ええ。その連載では「こういう面白そうなゲームだよ」
「こんなことができるんだよ」と言って、
ロールプレイングの手ほどきをしつつ
同時にロープレの“先生”をつくろうと思ったんです。
その記事を読んだ読者のひとりが先生になって、
「これ面白いよ」と、友だちに教えてくれると。
すると、その友だちも「こうやるんだ」と理解して、
それでどんどん広がっていくみたいな。

岩田

なるほど。わたしが“宣教師”と感じたことは・・・。

堀井

それはまさに僕が
“先生”をつくろうとしたことと同じなんです(笑)。

岩田

本当にそうですね(笑)。

堀井

当時のコンピュータゲームには
すごく夢があったと思うんですよ。
あの頃のゲームには、
何が起こるかわからないというワクワク感があって。
だから、「文字で話すと、反応が返ってくるんだよ」とか
「こういうところに行くと、新しい町があってね」とか
誌面で説明すると、それを読んだ子どもたちも
「ええーっ、なんか楽しそう」という反応が返ってきたんです。
「ファミコンでこんなこともできるの!?」と。

岩田

なるほど。

堀井

それまではたぶん、
アクションゲームしか知らなかったと思うんですよ。
そんな時代に、ロールプレイングにはお話があります。
物語を楽しめるだけでなく、
広大な世界を冒険することもできますと。
そういった下地を読者のなかにつくっておいて、
そこに『ドラゴンクエスト』を当ててみたと。
だから、最初のとっかかりは
「ロールプレイングとは何か」ということを
手取り足取り伝えることだったんですね。