2. 幻の『飛び出すルイージマンション』
岩田
紺野さん、お待たせしました。
ゲームファンのみなさんにとって、
紺野さんというと『マリオカート』シリーズ(※11)や、
『nintendogs』(※12)のプロデューサー、
というイメージが強いかもしれませんけど、
今回は「ソフトでなくハードのプロデュースを・・・」
というミッションが宮本さんからおりてきたわけですよね。
紺野
はい。もちろん、いまも『マリオカート』や『nintendogs + cats』(※13)
といった3DS用ソフトの開発にもかかわっているんですが、
2008年の初夏に、3DSの全体的なプロデューサーということで、
今回のプロジェクトに参加することになりました。
岩田
でも、ソフト開発者がハードのプロデューサーになるというのは
過去に例がないんですけど、そのキッカケは何だったんですか?
紺野
忘れもしないんですけど、
『マリオカートWii』(※14)の開発が終わって
ちょっとホッとしていたときに、
ニンテンドーDSiにサウンドソフト(※15)を内蔵したい、
という話が持ち上がりまして・・・。
岩田
急きょ、そのような話になったんでしたよね。
紺野
はい。宮本さんから「サウンドソフトがどうしてもほしい」
という話があったんです。
岩田
それでホッとしていた紺野さんが巻き込まれたんですか。
紺野
はい(笑)。それでそのサウンドソフトをつくっているときに
新しい携帯ゲーム機のプロジェクトの話を聞いたんです。
その後、すぐに「全体的なプロデュースを担当してほしい」
という話が宮本さんからありました。
というのも、わたしはもともとガジェット(道具)と呼ばれる
携帯機が大好きなほうでして・・・。
岩田
紺野さんは、任天堂有数のデジタルガジェット好きですよね。
紺野
はい、大好きです。
岩田さんには負けているかもしれませんけど(笑)。
岩田
実はふたりの間で、新しくて面白そうなガジェットが出ると、
「買った?」「触った?」というやり取りを
よくやっていたりするんですよ(笑)。
紺野
ずいぶん昔の話になりますけど、
岩田さんがハル研究所の社長だった時代に
いっしょに打ち合わせをしていたら、
岩田さんはPDAをサッと取り出して、
当時はとても高価だった携帯電話にパッとつないで、
「ピー、ガラガラ、ピー」という感じで通信を
はじめたことがありましたよね?
岩田
はいはい(笑)。
紺野
僕はそれを見て、「うぉー、すごいことしてる!」と。
そして、いつも「いいなあ」と思っていたくらいに
僕自身もガジェット好きだったんです。
だから今回、自分としても、もともとすごく興味がありましたので、
お引き受けして梅津さんたちと合流したんです。
岩田
(笑)。
そこから紺野さんが、ソフト面や商品像全体における、
梅津さんとの相談相手になったんですね。
紺野
はい。当時は2画面以外のアイデアもあったんですが、わたしは
「DSのような折りたたみ式のほうがいいんじゃないですか?」とか、
わりと好き勝手にいろんなことを言っていました。
岩田
そしてしばらく開発が進んでから
立体視のアイデアが出てきたんですよね。
紺野
はい、タイミングもよかったと思います。
周りのスタッフからも
「最近の3D液晶はいい感じで見えますよね!?」
という話があったりしましたし。
確かにいいなぁ・・・って感じで。
もともとわたしは3Dのゲームに縁がありまして、
ゲームキューブで『ルイージマンション』(※16)をつくった後に、
それを3Dにできないかという実験をしていたんです。
岩田
『飛び出すルイージマンション』のことですね。
残念ながらその商品は発売されませんでしたけど。
紺野
はい。ゲームキューブの上に
5インチくらいの液晶ディスプレイを取り付けるようにして、
裸眼で立体の『ルイージマンション』が楽しめるものを
試しにつくってみたんです。
岩田
その液晶は、確か2002年のE3(※17)のときに
参考出品しましたけど、立体視できることはナイショにしていて・・・。
でも、あれはちょっと面白かったですよね。
紺野
はい。奥行きがありましたので、
世界観にすごく引き込まれるところがありました。
自分としては「いいなあ」とは思っていたんですが・・・。
岩田
でも「どうやって売るの?」ということを、
どうしても乗り越えられなかったんですよね。
紺野
そうです。
やっぱり液晶パネルの価格がまだ高い時代でしたし、
ソフトでいくら新しい体験ができたとしても、
追加で液晶ディスプレイという周辺機器を買っていただく必要があって、
しかもゲーム機本体より高くなりかねないという話もありましたから。
岩田
結局、そのハードルを乗り越えることができず、
商品として陽の目を見ることはなかったんです。
でも、任天堂はファミコン時代に『3Dホットラリー』(※18)を出したり、
バーチャルボーイで3Dのゲームにチャレンジしたりして
その可能性については、みんな理解をしていたわけなんですよね。
ただその一方で、「少々のことでは世の中には受け入れてもらえない」
ということも骨身にしみていましたよね。
杉野
はい、それはもう、骨身にしみています。
岩田
杉野さんは、バーチャルボーイの当事者のひとりですからね(笑)。
紺野
社内でもそういった苦い経験もいろいろしてきましたので、
「3Dのゲームは面白いですよ」と、口で言っても、
その可能性をすぐに信じてもらえないんですよね。
岩田
むしろ任天堂は、3Dに対してチャレンジし続けているのに
同時に疑い深い人たちの集団だったかもしれないですね(笑)。
紺野
そうなんです。
提案をしてみても「え? またやるの?」みたいな感じで(笑)。
ですから、まずは実験をしてみようと。
はじめにマリオやルイージなどのフィギュアを
立体視できるようにしました。
そして、『マリオカートWii』の開発スタッフに相談して、
「これを3Dにできないかな?」と頼んだら、
わりとことがうまく運びまして、数週間で最新の3Dパネルに
『マリオカートWii』が3Dで表示できるようになったんです。
それを見たとき、予想以上に自然な立体感が感じられて、
「これはいい」と思って、社内の関係者に見ていただいたんです。
岩田
このことは、先日の糸井さんとの対談でも話題になったんですが、
実験してみるまで、みんなが3Dにすることに
心底賛成していたわけじゃなかったですからね。
杉野さんは、当時、それを見てどう思いましたか?
杉野
実は僕も3Dには過去にとてもつらい経験をしたことがあって、
自分のなかにトラウマがあったんです(笑)。
ですから、3Dの話を聞いた瞬間、
いろんな意味で拒否反応が身体から出てきて、
「やめときましょう」と言ったくらいでした。
紺野
ああ、そうでしたね(笑)。
杉野
ところが実際にデモを見ると、「わ、すごい!」と思いました。
で、周りのスタッフから「どうでしたか?」と聞かれて、
「トラウマのある自分が『すごい』と思ったんだから、
みんなも絶対『すごい』と言うよ」と言ったくらいなんです。
やっぱり裸眼で立体の映像が見えるというのは驚きでしたね。
岩田
今回、バーチャルボーイの痛みを覚えている
ハード部門の人たちを説得するために、
ソフト部門主導で試作品をつくって提案したというのが、
構造としても任天堂らしくて面白いですよね。
梅津さんは初めて見たときの印象はどうでしたか?
梅津
杉野さんと同じように、
「こんな見え方をするんだ・・・」とすごく驚きました。
ただその前に、紺野さんから最初に電話がかかってきて、
「立体視液晶を付けてみようと思っているんですけど」と言われたときの
衝撃のほうがすごかったですね・・・(笑)。
岩田
「そんな話は聞いてない!」と?(笑)
梅津
はい。そのときの衝撃は
「DSは2画面になります」
と言われたときと同じくらいの衝撃でした。
岩田
確かにもともとDSも、最初は1画面のゲーム機として
SoCの設計をしていたわけですからね。
梅津
ええ。「これはマズイぞ・・・」と思いました。