岩田
高橋さんは最初に
「JRPGのマスターピースをつくりたい」
という話をしましたけど、それを実現させるために、
どんなことを考えたんですか?
高橋
JRPGの構造をおおざっぱに言いますと、
まず、ストーリーとしてのタテ軸があり、
ゲームシステムや遊びとしてのヨコ軸があって、
そのバランスがうまくとれてることが
すごく大事だと思っているんです。
岩田
ストーリー部分とゲームシステムの部分の
どちらか一方に偏ってはダメだということですね。
高橋
そうなんです。
で、僕たちがモノリスソフトをつくる前は
スクウェア(※19)さんで働いていまして・・・。
岩田
スクウェア・エニックスになる前の
スクウェアさんですね。
高橋
はい。僕が入ったときは、
ちょうど『ファイナルファンタジーIII』(※20)が終わったあとで、
そのあとの『IV・V・VI』(※21)の3作に
かかわることになったんです。
もともと『ファイナルファンタジー』は、
遊びとしてのヨコ軸はありつつも
タテ軸のストーリーを、とくに大切につくられていた
タイトルだったと思うんです。
デバッグをしていても楽しかったですし、
マスターアップの日になると
必ず誰かひとりが通しプレイをやっていまして・・・。
岩田
それが『FF』チームの伝統だったんですね。
高橋
そうです。その通しプレイを
坂口(博信)さん(※22)や僕らが後ろから見ていて、
無事に最後までクリアすると、
みんなで「やったー!」と歓声をあげたりして、
そういったことがすごく楽しかったんです。
岩田
はい。
高橋
でも、その後は次第に・・・
これは自分の反省でもあるんですけど、
ゲームとしての遊びのヨコ軸よりも
タテ軸としてのストーリー部分を
どんどん突出させてしまった印象があって・・・。
岩田
ああ、JRPGのバランスが
崩れてしまっていく印象を持たれたんですね。
高橋
はい。だから、『ゼノブレイド』をつくるときに、
タテ軸とヨコ軸のいいバランスはどこだろう、
ということを、これまでの経験から導き出して
構成するようなことを、まず最初にやりました。
岩田
ですから、ストーリーとしてのタテ軸だけでなく
ヨコ軸の遊びの部分もしっかり充実させたからこそ、
あの豊かさにつながったんでしょうね。
高橋
そう思っています。
岩田
でも、そのような方向性を見いだしても
いろいろと試練はあったんでしょうね。
高橋
試練というよりは、背水の陣に近かったと思います。
岩田
背水の陣・・・それはどうしてですか?
高橋
バンダイナムコさんになる前の
ナムコ(※23)さんに出資していただいて、
1999年に、モノリスソフトをつくり
最初に手がけたのが『ゼノサーガ』(※24)だったんです。
ところが、組織づくりをしながらの開発でしたので、
人がぜんぜん集まらなかったんです。
プログラマーもプランナーも
とにかく新人ばかりの会社で・・・。
『ゼノブレイド』や『ゼノブレイドクロス』(※25)では
ディレクターをやっている小島(幸)(※26)も
新卒で入ってきたくらいですから。
岩田
あの小島さんも新人だったんですね。
高橋
そうなんです。で、恥ずかしい話なんですが、
グラフィックエンジンができあがったのが、
マスターアップの半年前という
スケジュールだったんです。
岩田
それはすさまじいですね。
高橋
ですから、ちょっと言い訳になりますけど、
そのように経験のないメンバーばかりで
『ゼノサーガ』をつくっていましたので、
「自分たちの理想のゲームをつくるには、
まだ難しいかもしれない。」
という気持ちが当時の僕のなかにあったんです。
岩田
ええ。
高橋
ただ、そんなチーム編成でも
優秀なグラフィックスタッフが何人かいたんです。
そこで、「イベント的なものをメインに見せるしかない」
と考えて、あのようなゲームデザインにしました。
岩田
そのチームの強み・弱みに合わせた
ゲームデザインにしたんですね。
高橋
そうです。
で、『ゼノサーガ』を3作(※27)出しましたけど、
あまりいい評価をいただけなかったんです。
それが本当に悔しくて・・・
その気持ちはリーダークラスだけでなく、
若いメンバーも共通認識として持っていましたので、
「次こそお客さんに喜んでもらえるものをつくらねば」と。
そういう意味では、『ゼノブレイド』の開発の空気も、
それまでとはずいぶん違ったものになっていました。
岩田
言い訳ができない状況になったんですね。
高橋
はい。もう逃げられない状態です。
ですから『ゼノブレイド』の開発には
背水の陣で立ち向かいました。
岩田
でも、そのように大きな逆境を経験することは、
次の成功への大きなバネにもなるんですよね。
ぜんぜんゲームのジャンルが違うんですけど、
『どうぶつの森』(※28)にも似たようなことがあったんです。
高橋
『どうぶつの森』にですか?
岩田
ええ。『どうぶつの森』のDS版(※29)は
世の中でものすごく評価されたんですけど、
そのあとに出したWii版(※30)は、
結果的にお客さまの期待に100パーセント応えられた
とは言えない面があったんです。
で、Wii版にかかわった人たちは
ものすごく悩みまして、その悔しさをバネにして、
3DS版の『どうぶつの森』(※31)に結実させたんです。
そのときの中心人物のひとりは、
この春に発売予定の『スプラトゥーン』(※32)の
プロデューサーを担当しているんですけどね。
高橋
ああ、そうだったんですね。
岩田
だから、「ものはつくって終わり」、ではなくて、
じつは全部つながっている気が、わたしはしているんです。
すなわち、Wii版の『どうぶつの森』も、
普通にほめてもらえるつくりだったとしたら、
『スプラトゥーン』は生まれていたのか、
3DS版の『どうぶつの森』は
あそこまで突き抜けたものになったのか・・・と。
たぶん違ったものになったように思うんです。
高橋
そうでしょうね。
岩田
でも、商品を出す以上は、
つねにお客さまの期待に100パーセント応えきって、
120パーセント応えたいという思いでつくっています。
その真剣さについては、少しの揺らぎもないんですけど、
わたしたちが「これでどうですか」と、
自信をもって出しても
「自分たちが求めていたのはこれじゃない」
と言われることもあるわけですよね。
高橋
そうですね。
岩田
そんなとき、「何が足りなかったのか」、
「どれだけのことを積み上げきれなかったのか」、
といった課題を、お客さんから
教えていただくようなこともあると思うんですよね。
ですから、『ゼノブレイド』が生まれるうえで、
その前の『ゼノサーガ』の3作が、
万全の体制でつくれたのではなかった、ということが、
逆に大きなパワーになったということなんですね。
高橋
まったくそのとおりです。
でも、『ゼノブレイド』をつくったときは、
モノリスソフトも設立から10年経ちまして、
メンバーも育ってきていましたので・・・。
岩田
設立時は新人だった小島さんも
ディレクションができるようになったわけですからね。
高橋
ええ。だから、このメンバーだったら、
タテ軸とヨコ軸のバランスのとれたものが
きっとできるに違いないと、確信していました。
岩田
まさに、組織として機が熟したときに
『ゼノブレイド』をつくったんですね。
高橋
はい。