1. リレー方式でダンジョンを冒険
司会
みなさん、お待たせしました。
それではただいまより
「ゲームセミナー2008 社長が訊く『どうぶつの森』」を
はじめさせていただきたいと思います。
岩田
わたしは2時まで京都の本社で会議をしていて、
新幹線に飛び乗り、さっき着いたばかりです。
今日は「生・社長が訊く」をやろうと思います。
ホームページの「社長が訊く」と実際のところ
あまり変わらないと思いますけど、
生≠ナ見るとどんな感じになるのか
みなさんにお見せしたいと思います。
そこで、今回のテーマは何にしようかと思ったのですが、
ちょうど『街へ行こうよ どうぶつの森』が出たことですし、
開発に関わったお2人に協力してもらうことにしました。
それでは、自己紹介をお願いします。
江口
『どうぶつの森』のプロデューサーをしている江口です。
情報開発本部で20年ちょっと仕事をしています。
最近では『Wii Sports』や『はじめてのWii』、
それに『Wii Music』でも、
宮本(茂)さんや手塚(卓志)さんといっしょに
制作に関わっています。
岩田
ちょっとマイクが遠いみたいですね。
ちゃんと自分の口に向けたほうがいいですよ。
野上
いや、スイッチが入ってなかったみたいです(笑)。
野上
同じく情報開発本部の野上です。
僕は入社してから14年たちました。
いままでは『ヨッシーアイランド』とか、
『ヨッシーストーリー』といった
2Dアクションゲームを担当したあと、
NINTENDO64の頃からずっと
『どうぶつの森』をつくっています。
もともとデザイナー出身で、いまはディレクターです。
よろしくお願いします。
岩田
野上さん、大事なことを言ってないんじゃないですか?
野上
あ、そうだ(笑)。
いまやってるゲームセミナーとは形が違うんですけど、
かつて「任天堂・電通ゲームセミナー」というのがあって、
実は僕、その受講生だったんです。
野上
それに、このゲームセミナーでも
4年間ほど講師をしていたこともあります。
岩田
野上さんはふつうの人以上に
親身になって、みなさんの相談にのれると思いますよ。
岩田
さて、『どうぶつの森』というソフトが生まれて
ずいぶんと長い時間がたちました。
最初に、どんなことがキッカケで、
どんなふうにつくりはじめたか、
という話から入りたいんですけど。
そもそも誰がこういうものをつくろうと言い出したんですか?
岩田
みなさん、64DDのことは知ってますか?
知らない人、手をあげてみてください。
・・・・・・・けっこういますね。
あ、宮本さん、冗談はやめてください(笑)。
岩田
NINTENDO64の周辺機器です。
64DDの「DD」はディスクドライブの略で、
磁気ディスクを使ってゲームをつくろうとしたんですね。
いまはハードディスクが何百ギガバイトという時代ですけど、
DDは64メガバイトで、
いまのSDカードよりも容量がちっちゃかったんです。
でも、これでも当時としては、
書き込めるデータ量がとても大きいと感じて、
巨大なバックアップのデータを残すことができれば
ゲームを変えられるかもしれないと考え、
64DDがつくられたんですね。
※1 |
64DD=ランドネットディディが発売したNINTENDO64の周辺機器。1999年にはじまったサービスは翌年に終了。 |
江口
そうですね。『どうぶつの森』は
その64DDの大容量のセーブデータを使って
いままでにないゲームがつくれないか、と
そんな話から企画がスタートしました。
そのときにわたしがテーマとして考えたのが
「ほかの人といっしょに遊ぶ」ということでした。
広大なフィールドのなかに
RPGのような世界があって、
そこに複数の人が入ってきて、
人が遊んだ結果が
他のプレイヤーに影響が出るような、
そんなものをつくれないだろうかと思ったのが
この企画のそもそものはじまりです。
そこで、A4サイズで2枚程度の
カンタンな企画書を書きました。
「コミュニケーションフィールドを提案する」
というもので、それをもとに野上さんと話しながら
徐々に開発をはじめていきました。
岩田
今日は「ゲームセミナー」ですので、
「ゲームのつくり方」という方向で話をしたいんですけど、
何から最初に決めるんですか?
野上
「何をして遊びたいのか」ですね。
つまり、ひとつのセーブデータのなかに
複数のデータが入るようになっていて、
そこにコミュニケーションをするための
フィールドをつくろうという提案でした。
岩田
NINTENDO64が出た当時、
「これからはネットワークゲーム」だという声が
そろそろ聞こえはじめていたんです。
一方、そういうのは確かにおもしろいかもしれないけど、
NINTENDO64はコントローラポートが
初めて4つ付いたゲーム機だったので、
まずは4人がテレビの前で
遊べるようなものをつくろうということで、
『マリオカート64』などの企画が進んでいきました。
そんななか、江口さんたちがやろうとしたことは
ちょっと違っていたんです。
複数の人が時間をずらして
ひとつのゲームを遊ぶあそびだったんですね。
岩田
どうして時間をずらしたあそびにしようと思ったんですか?
江口
当時は仕事がとても忙しくて、
自分自身が家族といっしょに
ゲームを遊べなかったんです。
岩田
家に帰っても子どもは先に寝てるんですね。
とくに開発の山場がくると、
子どもといっしょに遊ぶなんてとてもじゃない、
ということが、ゲーム開発者にはときどきあります。
江口
子どもと一緒にゲームをすれば
楽しいことがわかっていても、
自分がそれをできないのが寂しかったんですね。
だったら、自分と同じような環境の人でも、
お母さんや子どもが遊んだあとに、
遅い時間に帰ってきて遊ぶことで
何かが重なりあうようなものができないだろうかと、
そう考えたのが、発想の最初にありました。
岩田
時間をずらして遊ぶあそびをつくるために、
具体的にはどんな構造にしようと思ったんですか?
江口
たとえば、子どもが昼間、
ダンジョンのなかに冒険で入っていって、
途中までは進めるんですけど、
なんらかの事情で足止めを食らったりする。
で、その状態を痕跡として残せるようにしておいて、
夜帰ってきたお父さんが
子どもの残した情報をヒントにクリアし、
さらに先に進んでいく。
そうやってリレー式に遊んでいくのはどうだろう、
ということを考えていました。
江口
勇者になって遊ぶRPGはよくありますけど、
そのときに考えていたゲームは
プレイヤーが非力なんです。
そこで、自分にできないことは
どうぶつの力を借りて解決しようと。
そのときに初めて、
どうぶつのアイデアが出てきたんです。