4. 「いいからやってくれ」
岩田
そうやってつくられた『ゼノブレイド』は
とても自由度が高いゲームになりましたよね。
高橋
人それぞれが楽しめるように、
選択肢を増やすというつくりかたをしたのが、
功を奏したのかなと思います。
岩田
でも「自由度が高い」ということは、
一方で、お客さんが「何をしていいかわからない」とか、
「お客さんが迷ってしまう」ということと裏腹なんですよね。
高橋
はい。
岩田
そのバランスは、なぜうまくとれたんでしょうか。
高橋
フィールドに関して言いますと、
いちばん貢献したのが、モノリスソフトのマップ班です。
そのデザインセンスによるところが大きいと思います。
岩田
ただ魅力的なフィールドをつくるのではなく、
そこに“機能”がちゃんと組み込めている
デザインをしてるんでしょうね。
高橋
そうですね。
たとえば、ストーリー上は、
あるポイントに行かなきゃいけないと。
でも、移動している最中に、
ちょっと寄り道をしたくなるような場所を
入れ込んでくれるのがすごくうまかったんです。
岩田
ああ、なるほど。そうすることによって、
移動することが作業ではなくって、
自分で選んだ道に変わるんですね。
高橋
そうですね。で、寄り道のあとに
「ああ、そういえば、あれをやらなきゃ」
というときに、そのポイントに戻るのが
それほど面倒ではないようなつくりにしてくれたので、
そこはとてもうまくいったと思います。
岩田
そのようにマップをうまくつくれたのは
どうしてなんでしょう?
高橋
過去を振り返りますと、
モノリスソフトの母体になったのは、スクウェア時代の
『ゼノギアス』(※33)のチームだったんですね。
初代プレイステーション(※34)の時代のことで、
当時はマップを3Dにしたゲームというのは
まだひとつもなかったんです。
岩田
はい。
高橋
で、当時のスペックだと、
キャラクターを3Dにするか、
マップを3Dにするかという二者択一だったんです。
岩田
ハードの性能上
どっちかしか選べなかったんですね。
高橋
そうなんです。
そこで、3Dのキャラクターを選んだのが、
『ファイナルファンタジー』シリーズで、
同時期に『ゼノギアス』をつくっていた僕たちは、
3Dのマップを選ぶことにしました。
岩田
なるほど。
高橋
で、本根(康之)(※35)がリーダーになってくれて、
マップ部分に特化して開発をしたのですが、
そのときからはじめたことが、いまのモノリスソフトにも
脈々と引き継がれているという感じです。
岩田
そういう意味では、
3Dゲームの黎明期から3Dでマップをつくりはじめ、
その世界で人を楽しませるということに対する
経験の長い人がチームに何人もいたからこそ、
『ゼノブレイド』であの品質のものをつくるうえで、
すごく貢献したということなんですね。
高橋
そうですね。
やっぱりスクウェア時代から
いっしょに仕事をしてきた仲間も多いですし、
彼らと、長い間ずっと積み上げてきたものは、
ものづくりをするうえで、すごく大きいと思います。
岩田
「3Dでマップを考えてきた年季が違いますよ」
ということなんですね。
高橋
はい(笑)。
岩田
やっぱりたくさんの場数を踏んで、
その世界を極めることは、
すごく大事なポイントですからね。
高橋
そうですね。
岩田
その意味で、高橋さんご自身も
かなりの場数を踏んで、
そうとうなキャリアを積んでこられましたよね。
高橋
そうですね。
僕はRPGをつくりはじめて
かれこれ25年以上になるんですけど・・・。
岩田
RPG一筋の開発者人生なんですね。
高橋
ほぼ、ですけど(笑)。
岩田
高橋さんが最初にかかわったのは、
どんなタイトルだったんですか?
高橋
まず、日本ファルコム(※36)に入社しまして、
『スタートレーダー』(※37)の完成後に、
『イースIII』(※38)のモンスターグラフィックスを
手伝ったのがRPGづくりのはじまりになります。
岩田
日本ファルコムさんは当時、
PC向けのRPGをつくっていたんですよね。
高橋
はい。そのあとにスクウェアに入社して、
先ほども言いましたように
『ファイナルファンタジー』シリーズの
3作を手がけました。
岩田
かつて、スクウェアさんで働いていたときと
いまとでは、ものづくりのやりかたが
だいぶ違うアプローチになっているんですか?
高橋
そこは違いますね。
たぶん伝えかたが違うんだと思います。
それこそ昔は、「いいからやれ」の
一辺倒でしたから。
岩田
昔の高橋哲哉さんを
知っている人たちから聞いたお話だと、
「背中でやりかたを教えてくれるけど、
あとは、『いいからやってくれ』というような、
厳しくて恐い先輩だった」
という印象がおありのようで(笑)。
高橋
ああ、そうですか・・・(苦笑)。
あのう、僕自身、ちゃんと教わったことがないんです。
日本ファルコム時代の木屋(善夫)(※39)さんや
橋本(昌哉)(※40)さん、
スクウェア時代の坂口さんにしてもそうですけど、
背中を見ながら「こうすればいいのか」みたいな感じで・・・。
だから、仕事のやりかたを盗むしかなかったんです。
岩田
まるで職人の世界ですね。
高橋
まさに職人の世界で育ちました。
でも、何も教えてくれなくても
そのときに学んだことはすごく大きかったと思います。
その結果「何をつくればいいのか」ということを
じっくり考えて、自分で出した結論が
『ゼノブレイド』だったんだと思っています。
岩田
だから、高橋さんご自身の機が熟し、
モノリスソフトさんという組織自体も
長い時間をかけて熟してきて
その結果、生まれたのが『ゼノブレイド』なんですよね。
高橋
はい。
岩田
でも、組織に対する考えかたは
いまも昔も変わらないんですか?
高橋
20年前だったら、
野球にたとえると、
「強いピッチャーがひとりいて、
打たせなければ勝てるだろう」
的な考えかただったんです。
岩田
なるほど。
高橋
でも、最近は「全員野球」をめざしています。
みんなが得意としているものを、寄せ集めて、
ひとつの形にするということを最近はやっていまして、
それはモノリスソフトにとっていちばん適したつくりかたかな、
ということが、この15年、モノリスソフトでやってきて、
僕のなかで出た結論なんです。
岩田
まあ、剛速球のピッチャーひとりでは、
あのように大きなスケールの
『ゼノブレイド』はつくれませんよね(笑)。
高橋
たしかにそうですね(笑)。