宮本
(席につきながら)
え、僕ひとりですか?
岩田
ええ、今日は、宮本さんおひとりです。
宮本
そうなんですね・・・。
ほかの人たちがどんなことをしゃべったのか、
ぜんぜん僕は知らなくて・・・。
岩田
このところ、E3(※1)の準備で忙しくて、
同席していただく時間も取れなかったですからね。
『時のオカリナ』のオリジナルをつくった人たちが
宮本さんのいらっしゃらないところでどんな話をしたのか、
折に触れてお伝えしながら進めたいと思いますので、
今日はよろしくお願いします。
宮本
よろしくお願いします。
岩田
さて今日は、宮本さんと
『時のオカリナ』について振り返りたいのですが、
そもそもこのソフトは、当時のゲームのなかでは
ダントツに開発期間が長かったですし、
発売も、延期に延期を重ねましたよね。
宮本
もともとは、NINTENDO64と同時に『マリオ64』(※2)を出して、
次の年のクリスマスに『時のオカリナ』(※3)をというような計画でした。
岩田
本当は97年の年末に出す予定だったんですね。
宮本
ええ。なので1年近く遅れてしまいました。
岩田
ですから、開発期間も2年半くらいかかって、
現場の人たちはすごく大変だったはずなのに、
オリジナルをつくったみなさんから話を訊くと、
全員が異口同音に「楽しかった」と言っていたんですよ。
宮本
あ、みんな「楽しかった」と言ってましたか・・・。
岩田
ええ。それどころか発売延期になって、
「バンザイ」と(笑)。
宮本
ああ、そこまで(笑)。
岩田
しかも、みんながうれしそうに話すものですから、
わたしは、「あれから13年も経ったので、
苦しかったことを忘れてるだけじゃないですか?」
と、心のなかで思っていました(笑)。
宮本
(笑)
岩田
宮本さんは、どうだったんですか?
宮本
僕も苦しさはなかったです。
そもそも、納期が延びるのはうれしいものなんですよね。
岩田
納期が延びて、
「あそこをもっと磨ける」とか、
「あそこをもっと直せる」とか、
みなさん、言ってました。
宮本
そうなんです。最後の最後まで
「ここが足りない、あそこも足りない」と言ってましたし。
岩田
でも、言っちゃあなんですけど、
1年も開発期間が延びたりすると、
楽しいだけのはずがありませんよね。
宮本
はい(笑)。
岩田
なのに、みんなが楽しかったという・・・。
宮本
ああ・・・。
それは、「試験の日程が1週間延びたときに
うれしいと思うか?」みたいなことと
たぶん同じなんです。
岩田
あ、なるほど(笑)。
試験のための勉強というのは、
「ここまでやれば完璧」ということはありませんからね。
宮本
そうなんですよ。
だから「もっと勉強できるからうれしい」なのか、
「また来週も勉強せなあかん」と思うのか・・・
となると、やっぱり頑張る気力があれば
「試験は延びたほうがうれしい」
なんですよね(笑)。
岩田
そもそも、2年半にわたる
長期の開発がはじまろうというとき、
宮本さんにはどのように見えていたんですか?
とにかく未知のものに、みんなで
突き進んでいったわけじゃないですか。
宮本
そうでしたね。
あの当時はとにかく、ゲーム業界全体で、
先のことは誰にもわかっていなかったんです。
岩田
それは、いまもそうですけどね(笑)。
宮本
まあ、そうですね(笑)。
でも当時は・・・これはたとえばの話ですけど、
もし仮に30億円くらいの
大きなプロジェクトがあったとすると、
最終的に、50億かかってしまうのか、
それとも20億でできるかは、
誰もわかっていなかったんです。
岩田
はい、当時は本当に、先が読めなかったですね。
「そんなことでいいのか?」とは思いますが(笑)。
宮本
ですよね(笑)。
で、唯一それがわかる人は、スケジュールを計算する人で、
でも、その人は、“面白さ”に対しては
何の保証もしてくれないんです。
岩田
はい。
宮本
なので、結局のところ何も見えていない、
そのようなソフトの走りだったんです、『時のオカリナ』は。
ポリゴン3Dの大作をつくるという意味で。
岩田
まさに、経験したことのない規模の大作でしたからね。
宮本
ただ僕の場合、それまでにずっと、
ひとつずつ、ソフトをつくりあげてきた経験がありましたので。
岩田
宮本さんは
ファミコンが登場する前の時代から、
1本1本ゲームをつくってきたわけですからね。
宮本
それに、僕以外のスタッフも、
3Dのゲームをつくるということに関しては、
SRD(※4)の岩脇(敏夫)さんや森田(和明)さんたちは
『マリオ64』などでプログラム的な経験を積んできていましたし、
小泉(歓晃)さんたちも『マリオ64』の開発を通じて、
どんな『ゼルダ』を3Dでつくったらいいのか
なんとなくイメージはできていたと思うんです。
岩田
はい。
宮本
ところが、規模に関しては
どれほどのものになるのか、誰にもわからなかったんです。
岩田
さすがに宮本さんも、どういう規模になるかわからず、
『時のオカリナ』をつくりはじめたんですね。
宮本
そうです。
それはさっき言った
予算とか開発期間がどうのこうのではなく、
NINTENDO64では、使えるメモリサイズが決まっていたので、
その限られた器のなかで
どのくらい大きなものがつくれるかが
わからなかったんです。
岩田
あの頃は、ハードウェアの能力の限界が
あまり大きくなかったですから、
できることの上限が決まっていたわけですよね。
宮本
そうです。
そこで、どんな物語にするか、というよりも、
まずシステムからつくりはじめたんです。
岩田
それは、いつもの宮本さんのつくり方ですよね。
わたしは、宮本さんが当時、
「『ゼルダ』は、新しいハードを
しばらく使いこなしたあとじゃないとつくれない」
と言っていたのを覚えています。
宮本
ええ、当時はそんなことを言ってました。
N64ではすでに、『マリオ64』や
『スターフォックス64』(※5)などをつくっていましたので、
ある程度のノウハウがたまってきてはいたんです。
岩田
独自のカメラシステムや
リアルタイムムービーなんかがそうですよね。
宮本
そうです。あと、限られたメモリーで
大きなものをつくらないといけないので、
たとえば、あるデータが
「ABC」というセット、「ACD」というセット、
「ADF」というセットで構成されているとしたら、
それぞれ独立したセットで持っていると一度に読めるわけですが・・・。
岩田
でも、それぞれを独立して持つと、
けっこうな容量になってしまうんですよね。
宮本
そうです。そこで「A」はいつも置くようにして、
それ以外のデータを入れ替えするようにしたりとか、
必要なものだけを入れ替えるようにすると、
メモリー効率もいいし、読み込み時間も速いんです。
つまりロムの特徴を活かせるんです。
そのようにシステムの構築を最優先にして、
『時のオカリナ』をつくりはじめました。
そのキャパシティに合わせて
お話を決めていこうとしたので、
最初はガノン城だけでもいいと思ったんです。
岩田
えっ? 最初に想定していた舞台は
ガノン城だけだったんですか?
宮本
そうです。
『マリオ64』のピーチ城のように、
それぞれの部屋に、たとえば「暗闇の草原」をつくったり、
海をつくったりと、いろんな冒険を入れようと。
岩田
それはつまり、ガノン城にはいろんな部屋があって、
そこからいろんな世界につながってる、
そんなイメージだったんですか。
宮本
ええ。なので、最悪のケースはですが、リンクは
城の外には出られないはずだったんですよ(笑)。