岩田
今日はよろしくお願いいたします。
一同
よろしくお願いいたします。
岩田
今日は、1998年11月に発売された
NINTENDO64ソフト『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の
開発の中心になっていた人たちに集まっていただきました。
その当時、どんなことをしていたのか、
自己紹介をお願いします。
大澤
はい。企画開発部の大澤です。
わたしは『時のオカリナ』の開発がはじまるときに、
情報開発部に呼ばれて仕事をすることになったんですが、
このプロジェクトにはディレクターがたくさんいて、
そのなかでわたしは、最年長ということで、
総合ディレクターのようなことをしていました。
岩田
ディレクターは何人くらいいたんですか?
大澤
全部で5人です。
そこでわたしは、各ディレクターから意見を聞いて、
「はいはい、わかりました。ではこうしましょう」
みたいな感じで、調整役をやらせてもらったのと、
ストーリーやシナリオの部分も担当していました。
小泉
東京制作部の小泉です。
最近は東京で『マリオギャラクシー』(※1)や、
『うごくメモ帳』(※2)をつくっていますが、
わたしは京都にいた時代に、
『マリオ64』(※3)から『時のオカリナ』へと、
3Dアクションゲームを連続でつくることになって、
いま思い出そうとしても、
「何をやっていたんだっけ?」
というくらい、いろんなことを担当しました。
岩田
ひとことでは言えないくらい、
いろんな仕事にかかわっていたんですね。
小泉
はい。3Dゲームの環境の構築にかかわりつつ、
カメラ設計にかかわり、プレイヤーキャラクターのリンクをつくったり、
アイテムをつくったり、イベント関係にもちょっとかかわりました。
河越
環境制作部の河越です。
もともとわたしは『マリオ64』で
カメラのプログラムを担当していましたので、
「そのノウハウを活かしてほしい」と言われて、
『時のオカリナ』のプロジェクトに入ることになりました。
岩田
当時はカメラプログラムを担当してたんですか?
河越
はい。ただ、『時のオカリナ』のカメラプログラムは、
ここにいらっしゃる岩脇さんが所属する
SRD(※4)さんが担当されることになっていましたので、
わたしは、アドバイザーとして参加することになったんです。
ところが、大澤さんのシナリオが
かなり大がかりなものになってきていたので、
かなりのムービーシーンが必要になってきて。
岩田
最初はアドバイザーのつもりだったのに、
いつの間にかどっぷり入ることになったんですね。
河越
そうなんです。
そこで、ムービーシーンをつくるための
ツールの開発にかかわって、
気がついたときには絵コンテも描くようなこともして、
そのままムービーパートを
メインで担当するという流れになっていました。
岩田
現在の河越さんの仕事は、
社内のあちこちで、ムービーパートの必要性が出ると、
河越さんが所属する映像制作グループに依頼がきて、
そのサポートをするというのがメインになっていますけど、
そのような業務に携わるようになったのは、
このソフトがきっかけだったと言ってもいいんでしょうか?
河越
そうです。
明確に映像制作の一員として動き出したのは、
『時のオカリナ』が初めてのことでしたから。
岩田
「河越さんの運命は大澤さんの大きなシナリオが変えた」
ということなんですね。
河越
そうです、まさにそのとおりです(笑)。
大澤
え、そうなの?
河越
ええ(笑)。
岩田
振り返ってみると、『時のオカリナ』は
たくさんの人の将来の仕事を決めた
プロジェクトでもあったんですよね。
大澤
確かにそうですね。
そういう人が何人か、いましたし。
青沼
そうそう(笑)。
岩田
「そうそう」って・・・青沼さんこそ
運命が決まった代表選手じゃないですか(笑)。
青沼
あ、はい。まさにそうですね(笑)。
岩田
では、運命が決まった青沼さん、
自己紹介をお願いします。
青沼
情報開発本部の青沼です。
今回の『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』や、
現在制作中のWii版の『スカイウォードソード』(※5)では
プロデューサーを担当していますが、
そもそも『ゼルダ』にかかわったのは、
N64版の『時のオカリナ』が最初でした。
岩田
いまや「『ゼルダ』といえば、青沼さん」
ということになっていますけど、
それ以前はいろんな仕事をしていたんですよね。
青沼
そうです。
岩田
青沼さんが入社したての頃、
わたしといっしょに仕事もしましたし。
青沼
そうでしたね(笑)。
岩田さんといっしょにつくったソフトは
残念ながら世に出すことはできませんでしたけど。
僕はそんな感じで、外部の会社さんと
いっしょに開発することが多かったんです。
でも、どうしても任天堂社内で開発をしたくて、
宮本さんにしつこく頼んでみたら
「『ゼルダ』で人が足らなくなったから、
ちょっと入ってくれ」と言われたんです。
なので、僕は、このメンバーのなかでは、
いちばん後発で『時のオカリナ』に参加しているんです。
岩田
開発の初期からは参加していなかったんですか。
青沼
ええ。ですから、僕が入ったときは、
シナリオもある程度できていて、
中身をどんどんつくりこんでいく段階だったんです。
そこで僕は、序盤と中盤の計6つのダンジョンの設計、
敵キャラクターのほとんどの設計、
それに敵やボスのバトルの設計を担当しました。
河越
絵コンテとかも描いていましたよね。
青沼
あ、そうです。
あのときは絵コンテを描ける人は
みんな描いてましたよね。
大澤
僕も描いてたし(笑)。
岩田
あの頃の仕事の境界はとてもあいまいで、
誰かがやらなきゃいけないことは、
それに気づいた人が拾ってやりました、
みたいなのばっかりだったんですよね。
青沼
まさにそうでした。
ですから、ここにいるメンバーだけでなく、
『時のオカリナ』にかかわったスタッフのほとんどは、
「ここからここまでが自分の仕事だ」とは
ちゃんと言うことができないと思うんです。
河越
自分も、今回の「社長が訊く」のために、
昔の資料を引っ張り出してみたんですけど、
「昔の自分はこんな仕様書も書いてたんだ!」って(笑)。
岩田
自分でも驚く感じなんですね(笑)。
河越
ええ(笑)。
こんなことも、あんなこともやってた、って
自分でもビックリしました。
岩田
では、岩脇さん、お願いします。
岩脇
メインプログラムを担当しましたSRDの岩脇です。
わたしも青沼さんと同じで、
『ゼルダ』はこれが初めてでした。
岩田
それまで岩脇さんは、何を担当されていたんですか?
岩脇
『マリオ』シリーズをずっとやっていまして、
『マリオ64』のときは小泉さんと
ずっといっしょに仕事をさせていただいたので、
その流れで、このプロジェクトに参加することになりました。
青沼
岩脇さんには
長い期間、本当に無理なことばかり言って、
ご迷惑をおかけしました。
岩脇
いえいえ(笑)。
青沼
岩脇さんは、僕らが考えたアイデアを、
どんどん実現していただくというところで
活躍されていた方なので・・・。
やっぱり大変でしたよね?
岩脇
いや、それは・・・。
岩田
無茶ぶりが多かったでしょう?
岩脇
いや、無茶というか・・・(笑)。
岩田
青沼さんが考えたボスの仕様を筆頭に、
無茶ぶりばっかりだったんじゃないでしょうか。
青沼
そうなんです(笑)。
小泉
いや、でも僕は『マリオ64』から『時のオカリナ』に至るまで
岩脇さんとはずっといっしょに仕事をしてきましたから、
無茶ぶりだったら、青沼さんに負けませんよ(笑)。
一同
(笑)