インタビュー

社長が訊く『ポケットモンスターブラック2・ホワイト2』

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1. “2作続編”と“2年後”

岩田

DSソフト『ポケットモンスターブラック2・ホワイト2』の
発売を前に、関係者のみなさんにお集まりいただきました。
よろしくお願いします。

一同

よろしくお願いします。

岩田

では早速、『ポケモンブラック2・ホワイト2』が
どのような考えのもとで生まれたのか、
という話からお訊きしたいと思います。
石原さん、お願いします。

石原

はい。株式会社ポケモン(※1)の石原です。
『ダイヤモンド・パール』(※2)のあとに『プラチナ』(※3)が、
『ルビー・サファイア』(※4)のあとに『エメラルド』(※5)が出たように、
今回も『ポケモンブラック・ホワイト』(※6)のあとに
どういう商品が成立するのか、いろいろと話し合いました。

※1

株式会社ポケモン=『ポケモン』のブランドマネジメントを行うほか、現在全国7か所のポケモンセンターも運営する。2000年設立。本社・東京。

※2

『ダイヤモンド・パール』=『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』。2006年9月、ニンテンドーDS用ソフトとして発売されたRPG。

※3

『プラチナ』=『ポケットモンスター プラチナ』。『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』の新バージョンとして、2008年9月、ニンテンドーDS用ソフトとして発売されたRPG。

※4

『ルビー・サファイア』=『ポケットモンスター ルビー・サファイア』。2002年11月、ゲームボーイアドバンス用ソフトとして発売されたRPG。

※5

『エメラルド』=『ポケットモンスター エメラルド』。『ポケットモンスター ルビー・サファイア』の新バージョンとして、2004年9月、ゲームボーイアドバンス用ソフトとして発売されたRPG。

※6

『ポケモンブラック・ホワイト』=『ポケットモンスターブラック・ホワイト』。2010年9月、ニンテンドーDS用ソフトとして発売されたRPG。

岩田

これまでのように色違いで、たとえば
「『グレー』を出すのか?」ということですね。

石原

ええ。でも、いままでと同じパターンを
予測されているお客さんが多かったですし、
気持ちよく裏切る意味でも、
はじめて『2』とタイトルがつくものに挑戦しました。

岩田

しかも、いままでのパターンと違って
2作同時発売ですよね。
わたしもはじめて聞いたとき、
「えっ、2作なんですか?」って
思わず聞き返してしまいましたから。

石原

そういう驚きが今回の商品の新しさだと思います。
『ポケモンブラック・ホワイト』の続編として、
どういうあり方を目指したのかについては、
ぜひ、増田さんや海野さんから話してもらいたいです。

岩田

では、増田さん、お願いします。

増田

はい。ゲームフリーク(※7)の増田です。
そもそも、なぜ2本発売かといえば、
『ポケモンブラック・ホワイト』の開発中に、
ある仕組みを考えたんですけど、
時間がなくてどうしても入れられなかったことが
ひとつのきっかけだったんです。
この仕組みを入れるにはソフトが2本必要だったので、
今回も2本、つくることにしました。

※7

ゲームフリーク=株式会社ゲームフリーク。『ポケットモンスター』シリーズなどのゲームソフト開発会社。1989年設立。

岩田

ああ、“2本”というのは
そこからはじまっているんですか。

増田

はい。“続編”にしようと思ったのは、もう少しあとです。
岩田さんから「これからDSで出すなら、何か発明してほしい」
と言われたあと、相当悩みまして・・・(笑)。
それで「続編ならどうだろう?」と思いつきました。

岩田

続編はゲームではめずらしくはないアプローチですが、
いままで、『ポケモン』が
そういった展開をしてこなかったからこそ、
新しいんですよね。

増田

はい。それに今回、
なぜニンテンドー3DSではなく、DSかというと、
→「続編として同じ世界をつくりたい」
というイメージがあったからなんです。
2本とも前作から“2年後”という設定になっています。

岩田

物理的にも2年後ですよね、
『ポケモンブラック・ホワイト』が発売されてから。

増田

そうですね。
それで海野をディレクターに立てて、
今回のプロジェクトをスタートさせました。

岩田

では海野さん、自己紹介をお願いします。

海野

はい。『ポケモンブラック2・ホワイト2』で
ディレクターを務めました、ゲームフリークの海野です。
よろしくお願いします。

岩田

よろしくお願いします。
海野さんは『ポケモン』とのかかわりはどのくらいですか?

海野

じつは、ちょうど10年目になります。
2002年の『ルビー・サファイア』ではじめて担当して、
以降、『ファイアレッド・リーフグリーン』(※8)などの
メインタイトルには、ほぼ毎回かかわってきました。

※8

『ファイアレッド・リーフグリーン』=『ポケットモンスター ファイアレッド・リーフグリーン』。『ポケットモンスター 赤・緑』に、さまざまな新要素を盛り込んだリメイク版として、2004年1月、ゲームボーイアドバンス用ソフトとして発売されたRPG。

岩田

10年目にして大役が回ってきましたが、
やはり、いままでと変わりましたか?

海野

ええ、かなり変わりました。
アートディレクターとしての経験はあったのですが、
今回はゲームの根幹に指示を出す立場でしたので、
非常にやりがいがありつつも、最初は四苦八苦しました。

岩田

増田さんは、なぜ海野さんにディレクターをお願いしたんですか?

増田

もともとアートディレクターとして認めていましたし、
「ビジュアル面で『ポケモンブラック・ホワイト』をもっと強化できる」
という思いがあったので、
プランニングで誰かがサポートすれば、
「海野にディレクターを任せられる」と思ったんです。
本人もやる気満々でしたので、お願いしました。

岩田

海野さんをもう一段階、成長させるために、
「コンフォートゾーンから引きずり出した」んですね。
海野さんは最初に指名されたとき、どう思いましたか?

海野

もちろんおどろきましたけど、
もともと増田には「ディレクターをやりたい」
と以前から話をしていたんです。
というのも、毎回、ソフトをつくるたびに、
「つぎはこんな遊びを発展させたい!」という思いがあって、
集大成のつもりでつくった『ポケモンブラック・ホワイト』のときも、
「この遊びはまだまだ広げられる!」
と強く思っていたんです。

岩田

わたしは『ポケモンブラック・ホワイト』のときに
「DSソフトによくこれだけの要素をつめ込めたなぁ」と思っていたので、
今回、さらにDSでこれだけ発展させられるとは、
事前に想像できませんでした。
でも、2年たったいまお客さんに応えようとすると、
今回の形になるんですね。

海野

はい。『ポケモンブラック・ホワイト』は
通信部分にいろんな遊びを入れていますけど、
今回はさらに発展した
“新しい遊び”にチャレンジしました。

増田

あと、“2年後”という設定がちょうどよくて、
『ポケモンブラック・ホワイト』のとき、
下画面に“Cギア”という通信機能があったんですが、
2年後に進化した姿を想像しやすかったんです。

岩田

つまり、筋のいい土台があって、
伸ばすべき方向性がクリアーで、
“2年後”というアイデアや、
初の“2作続編”というスタイルなど、
いろいろな要素がそろっていたので、
そういう意味でも進めやすかったのかもしれませんね。

海野

そうですね。
今回、『ポケモンブラック2・ホワイト2』の
テーマとしてあげたのが“共鳴”という言葉です。
『ポケモンブラック・ホワイト』では“干渉”という形で、
お互いにコミュニケーションをとっていましたが、
今回は“共鳴”という形で、お互いの世界が
広がるようなゲーム性をかかげました。