岩田
はい。では天野さん。
天野
あ、はい、僕、ですね。
岩田
はい(笑)。
大変お待たせしました。
自己紹介をお願いします。
天野
情報開発本部 制作部の天野です。
今回の『スターフォックス64 3D』では、
キュー・ゲームスさんと任天堂の間に入って
いろんな仕様を決めるのを手伝ったりと、
コーディネーターのような立場で仕事をしていました。
岩田
天野さんにとっては、
『NewスーパーマリオWii』(※6)の次が
この仕事だったんですか?
天野
そうです。終わってすぐでした。
そもそも、このプロジェクトに参加することになったのは、
『スターフォックス』の開発にずっとかかわってきた
今村(孝矢)(※7)さんに会うたびに、
「『スターフォックス』の新作をつくってください!」
と言っていたからなんです。
岩田
今村さんに「新作をつくってほしい」と
繰り返し言い続けていて、気がついたときには
自分自身にこういう役が回ってきたんですね。
天野
そうなんです。
宮本
スーパーファミコン版の
『スターフォックス』が出たときは小学生?
天野
そうです。
僕は当時小学生で、ソフトは持っていなかったんですけど、
近所のホームセンターに試遊台が置いてあったので、
学校の帰りに友だちと遊んでいました。
ただそのときは任天堂のソフトだとは知らなくて、
「なんだ、これは?」という、不思議な感じで見ていました。
岩田
マリオとかも出てこないですからね。
天野
そうですそうです。
で、N64版は、発売日に買いました。
確か、高校1年生のときで、ひととおり遊びました。
宮本
で、「天野さんは、『スターフォックス』について
よく知っているらしい」と(笑)。
天野
はい(笑)。
でも、このプロジェクトをはじめる前は
今村さんが「僕がちゃんと見てるから大丈夫」と
言ってたんです。
岩田
ところが、今村さんは途中から、
『スティールダイバー』の開発に、
どっぷりと埋まってしまうことになったんですね。
天野
そうなんです。
なので、僕はちょっとお手伝いするつもりだったのが、
最後まで担当することになりました。
岩田
わかりました。では、高野さん。
高野
情報開発本部 制作部の高野です。
僕はもともと、N64版のスクリプト、
登場キャラクターのセリフなどを担当していて、
今回はニンテンドー3DS用につくりなおすということで、
サポートのような仕事をしていました。
岩田
スーパーファミコン版の
『スターフォックス』が出たとき、高野さんは?
高野
すでに入社していました。
僕は当時、別の開発部署にいたんですが、
今村さんは同期なんです。
それで、すごく楽しそうに開発をしていて、
とてもうらやましかったことを覚えています。
岩田
ああ、おふたりは同期だったんですね。
高野
はい。
岩田
ではまず、『スターフォックス』の原点である
スーパーファミコン版について訊こうと思います。
このソフトは、3Dグラフィックスを表現するための
スーパーFXチップ(※8)を
カセットに積んでつくられましたけど、
宮本さんはどうして
あのようなものをつくろうと思ったんですか?
宮本
あの当時、僕はスーパーファミコンで
『パイロットウイングス』(※9)や『F-ZERO』(※10)を
つくっていて、そのときに感じたことなんですけど、
オブジェクトをいろんな角度から
ひとつずつ描くことに「無駄だな」と感じてたんです。
岩田
たとえば『F-ZERO』のマシンだと、
いろんな方向から見える、たくさんの絵を描いて
それをアニメーションのように表示させていたわけですよね。
宮本
そうです。
でも、ポリゴンで表示できるようにすれば、
1個だけオブジェクトをつくって、
それをリアルタイムでグルグルまわせるので、
どんなに楽だろうかと思ったんです。
で、実際にスーパーファミコンで
ポリゴンがどれくらい動くかをテストしたんです。
すると、飛行機が1個まわったらいいくらいで・・・。
岩田
それだとゲームにならないですね。
宮本
そう、ぜんぜん話にならなかったんです。
そこで、ハードウェアの人たちに相談すると、
「スーパーファミコンの強みは、
ドット絵として用意されたキャラクターを
画面上の任意の位置に高速に表示するスプライト機能とか、
背景の絵をまず先に描いておいて、
それを並べて動かすことができることであって、
ポリゴンを直接描画するためのハードウェアとは
まったく違うものなんですよ」
と冷静に解説されて、僕は「え、そうなの?
どうにかするとか、言ってくれないの?」と・・・。
僕としては、「手早く立体が動かせたら、
もっと面白いものがつくれるのに」とか、
「もっと空間の表現ができるのに」という気持ちがあったものの、
スーパーファミコンはそれには向いていないので、
「アダプタを付けて、そういった機能は載せられないか?」
みたいなことを模索しているところに、
『X(エックス)』のデモを見せられたんです。
岩田
スーパーファミコンが出たのが
1990年の11月21日で、
ディランさんたちが京都にやってきたのが
1990年の7月という話でしたから、
スーパーファミコンがまだ発売される前だったんですね。
宮本
そうです。
それで、僕はそのデモにすごく興味を持って、
スーパーファミコンでも何とかなりそうだと思ったんです。
そこで「いっしょにチップをつくりませんか?」
という話になって、
そこから『スターフォックス』がはじまったんです。
岩田
そもそも、なぜ最初に
『スターフォックス』だったのですか?
宮本
「いちばん簡単だから」ですね。
岩田
えっ、「簡単につくれそうだから」ですか?
宮本
ええ。あの技術を使って
簡単につくれそうなものをいろいろ考えて、
たとえば戦車を走らせたりしてみたんですけど。
ディラン
はい、いろいろやりましたね。
宮本
でも「期待ほどには動かないなあ」って。
それで、さっきも言ったように、背景を描くのが
スーパーファミコンはとても得意な機械なんです。
岩田
はい。
宮本
そこでまず、
「背景を描いておいて、その上に動くものを
立体で描くことでゲームがつくれないか」
と考えたんです。
その結果、宇宙を舞台に空中や地表を
戦闘機が前に飛んでいくものにすれば
「何かつくれそうだ」と。
岩田
だから、戦闘機のアーウィンも、
使えるポリゴンが少ないからこそ
あのようなデザインになったんですね。
宮本
そうです。
あの当時、スーパーファミコンでは、
複雑な形状を表現できなくて、
シンプルな形のものしか出せなかったんです。
ディラン
三角の形しか選択肢はなかったんですね。
宮本
そうです。
A型ウイングだから、“アーウィン”という名前になったんです。
岩田
当時、小学生だった天野さんは、学校の帰りに
初めて『スターフォックス』を見たとき、
どう思いましたか?
天野
すみません。なんだか、よくわからない形のものが、
プワプワ浮いてるなあと思いました(笑)。
岩田
(笑)
天野
それに、やっぱり昔のゲームなので
動きがギクシャクしていたんです。
岩田
当時のフレームレートでは仕方ないですよね。
天野
もちろん、それまでのゲームとは違って、
物体がそこにある感じはすごいあったんです。
けど、触ってみるとすごく難しいと思いました。
ディラン
そう、難しいんですよね。
天野
まだ、小学生のちっちゃい頃だったので、
ぜんぜんクリアできなくて、小学生だった僕は
「不思議なものだなあ・・・」とは思いつつも、
「これは自分が遊ぶものじゃないな」と思ったんです。
なので、いまいち理解できないまま、
小学生のときは過ぎてしまったという感じでした。
岩田
それからおよそ17年後に、
『スターフォックス』の開発にかかわるとは知らずに
そのまま通り過ぎてしまったんですね(笑)。
天野
そうなんです(笑)。