岩田
それでは任天堂の2人からも自己紹介をお願いします。
森澤
企画開発部第1プロダクショングループの森澤です。
今回の『METROID Other M』では、
アートディレクターとして参加しました。
ゲームのなかのステージやキャラクターの設定、
および全体の世界観のコンセプトデザイン監修を担当しました。
『METROID』シリーズでは、
『フュージョン』(※12)で背景を担当して、
『ゼロミッション』ではアートディレクターを担当しました。
今回のように据置機のプラットホームで開発するというのは、
僕自身、まったく初めての経験で
わからないことだらけだったのですが、
今回はTeam NINJAさんの胸をお借りするつもりで制作に参加しました。
※12
『フュージョン』=『メトロイド フュージョン』。2003年2月に発売された、ゲームボーイアドバンス用アクションゲーム。シリーズ4作目。
細川
同じく企画開発部第1プロダクショングループの細川です。
今回はディレクターとして参加しました。
これまでも『フュージョン』や『ゼロミッション』で、
レベルデザインであったりとか、
ゲームデザインなどを担当してきたんですが、
今回は3Dのなかで、どれだけこれまでの2D感が出せるのか、
さらにWiiリモコンの横持ちで“最新技術のファミコンゲーム”をどう実現していくのか、
ということをテーマに開発に携わりました。
そもそも、今作はストーリー性がかなり強いものですので・・・。
岩田
今回は、まったくモノがないうちに、
坂本さんの頭のなかで、お話ができあがったところから、
このプロジェクトははじまりましたからね。
細川
そうなんです。ですからお話を整理しなおして、
それをTeam NINJAさんにお伝えして、
具現化していくという仕事を今回は担当しました。
坂本さんのやりたいことというのは、
はじめは、ぼやっとしているんです。
岩田
ああ、外からはそう見えますよね。
坂本さんには具体的なイメージがあるみたいなんですが、
確かに表現はクリアじゃないんですよね。
だから、最初から他人にわかるように伝えることはできなくて、
でも、頭のなかには明確なイメージがあるので、
ちょっとでも違うものを見せると、
「あ、それ、違います」というのがハッキリしているんですよね。
細川
そのとおりです。それを、Team NINJAさんや
太陽企画のみなさんにどう伝えるか、
ということが僕のミッションでした。
岩田
社外のTeam NINJAさんという
代表作がいくつもあるような、
すでに実績のあるチームのみなさんと組むことになって、
しかも任天堂の看板を背負って仕事をする
ということに関しては、どう思いましたか?
細川
やっぱり最初は恐かったです。
Team NINJAさんという、アクションでは
すごくブランド力のあるタイトルをつくられてきたチームと、
先ほどから言われているように対極にある僕たちとが、
本当にちゃんとうまくやっていけるのかどうか、不安でした。
もちろん、われわれが打ち出したい想いは強くありまして、
それをわかっていただけなかったり、ちゃんとかみ合わなければ、
最悪の場合、このプロジェクトは決裂してしまいかねませんので、
その意味でもすごく不安でした。
岩田
その不安は、どのくらいで解けましたか?
細川
これも、みなさんが先ほどおっしゃっていましたけど、
数回話してみただけで、そのような不安はまったくなくなりました。
Team NINJAのみなさんは、すごく前向きに僕たちの意見を聞いてくださって、
しかも話を聞くだけでなく、新しい提案もどんどんしていただけたんです。
ですから、すごくやりやすかったです。
岩田
わたしもこのプロジェクトがはじまったばかりの頃、
坂本さんたちからやりとりの様子を聞いたときに、
「このプロジェクトがすごくかみ合っているのは、
Team NINJAのみなさんと『METROID』チームの相性が
とてもいいからなんだろうな」と、感じたことを覚えています。
とくに今回は、序盤からスッと波に乗るまでが、
すごくスムーズにいった印象がありました。
細川
もちろん細かいところではいろいろありましたけど、
全体の流れとしてはスムーズにいけたような気がします。
岩田
最初から「相性がいい」とは思っていたんですけど、
開発終盤には「これほど馴染むとは思っていなかった」と
言ってもいいくらい、馴染んでいた感じがしていました。
開発の後半はほとんど“Team NINJAの坂本さん”と
“Team NINJAの細川さん”になっていましたからね(笑)。
細川
はい(笑)。坂本さんといっしょに
3〜4カ月ほど、東京に住まわせていただきました。
岩田
ちっとも帰ってこない状態になっていましたから(笑)。
E3(※13)で坂本さんに会ったときに、お互いに
「久しぶり!」って挨拶していたくらいだったんですから。
※13
E3=E3 2010。2010年6月15日〜2010年6月17日に、ロサンゼルスで開催されたコンピュータゲームの見本市。
齊藤
もしかしたら自分たちよりも長く
Team NINJAのフロアにいたんじゃないかというくらい
会社のなかにおられましたからね(笑)。
岩田
さて森澤さんは、『METROID』のシリーズをつくってきたとはいえ、
つくったのはゲームボーイアドバンス版であって
今回は自分では制作の経験をしていない3DのCGになるし、
しかも自分たちよりも経験を積んだチームの人たちと組んで
なぜかアートディレクターという役割をしなきゃいけないというのは、
実はけっこうなプレッシャーがあったはずなんですけど、
そのあたりはどう感じていましたか?
森澤
はい、やはりプレッシャーを感じていました。
僕は『METROID』シリーズの世界観は把握しているんですけど、
3Dなどの技術的なことはもとより、
Team NINJAさんにとっては当たり前である、
100人単位の大規模なプロジェクトに
関わったことがまったくなかったんです。
岩田
10人、15人、20人のプロジェクトは経験していても、
50人、100人規模の仕事の経験がなかったんですよね。
森澤
それで「『METROID』のデザインは任せたよ」と、
坂本さんからポンと渡されたんですけど、デザインと言いましても
3Dモデルからモーションから、ありとあらゆることがあって、
それをどういうふうに仕事を進めていくのか、
僕自身がまったく未経験ということで、どうしようかと・・・。
それで、最初にTeam NINJAさんとの
打ち合わせの日をもうけてもらったときに、
ひと月ほどの期間が事前にありまして・・・。
岩田
準備期間があったんですね。
森澤
そうです。でも、そのとき
何を準備したらいいものか、さっぱりわからなかったんです。
で、恐くなって、夜はあんまり寝られなくなっちゃったんです。
岩田
ここにも夜、寝られなかった人がいました(笑)。
一同
(笑)
森澤
とりあえず、いままでつくったイメージですとか、
今回の『Other M』の世界観を資料にまとめまして、
Team NINJAのみなさんに見ていただくことにしたんです。
で、ひょっとしたら、「これってどうなんですか?」とか、
否定的な受け止め方をされる不安があったんですけど、
Team NINJAさんは、その場ですぐに
「わかりました」とおっしゃったんです。
しかも、「とりあえず、ちょっとつくってみます」と。
僕としては、それだけの紙資料で「どんなものができるんだろう」と
またまた不安になったんですけど、
その後すぐに、モーションのついたサムスのモデルがあがってきたんです。
岩田
最初からちゃんとサムスらしく仕上がってきたんですか?
森澤
ええ。お渡しした資料は少なかったにも関わらず、
僕たちがイメージしているものが
最初の第一段階でかたちになってできてきましたので、
みんなで「おー、これ、すごいねぇ」と驚いたことをよく覚えています。
岩田
齊藤さん、どうしてそういうことができたんだと思われますか?
齊藤
実は僕、このプロジェクトが立ち上がってから
数カ月後に入りましたので、
いちばん最初につくったものには関わっていないんです。
なので、あくまでも想像なんですけど、
担当したうちのデザイナーだったり、早矢仕だったりが、
すごくいろいろと試行錯誤したはずなんです。
でもやっぱりみんな、昔から『METROID』というゲームを知っていたり、
ファンだったり、興味があったんですね。
で、それを自分たちの力で、いまの時代の表現として、
「つくりたい」「つくってやろう」という意気込みがすごくあったんだと思います。
なので、たぶん森澤さんから提示されたものを
いろんな角度から、自分たちなりに考えてつくった結果が、
任天堂さんのイメージに合ったんだと思います。
岩田
そのようなことは、最終的にできあがった商品からも
わたしは感じているんです。
もともと異質だった2つのものを、無理やり一体にした感じが
商品からぜんぜんしないんです。
齊藤
そこは入り口の部分がすごく明確に示されたというのが
いちばん大きいと思います。
僕が最初に森澤さんとお会いして、
コンセプトを伝えられたときに、すごくスッと入ったんです。
それは生物というものが、環境のなかで
どうやって生活をしているのかとか、
どうやって進化をしてきたのかとか、
どういうふうな生態系をそこでつくりあげているのか、という
大事にしたいことが整理されていたんです。
岩田
はい。
齊藤
その、入り口が明確だったからこそ
「ここはかっこよくないから」とか
「ここはキレイな色じゃないから」という言い方ではなくて、
「なぜ、ここをもうちょっと直さなきゃいけないのか」とか
「どうしてそれだとダメなのか」というのをわかるように、
しっかり理論的に説明するというのが
チームのなかでやれたのかなという気がします。
感覚だけではなくて。
岩田
Team NINJAさんには日頃から、
「なぜそうあるべきか」ということを考え、
行動する習慣があるんですか?
齊藤
わかりやすく、ちゃんとその場だけではなくて、
次につながるようなディレクションのかけかたというのは、
いままでずっとしてきてるかな、という気はします。
岩田
ただ、とくに、ビジュアルにすごくエネルギーのかかっている商品ですので、
すごくたくさんの方が自分のクリエイティブを注ぎ込みますよね。
いったい、その過程のなかで、
どうやってイメージが揃うようにしていたんでしょうか?
永澤
やっぱり、それぞれのコミュニケーションが
うまくとれていたことがとても大きかったと思います。
たとえばメーリングリストがそうなんですけど、
この2年くらいの間に、このプロジェクトのために
何件くらいメールを打ったのかを確認してみたら、
送受信で1万件以上でしたから。
岩田
1万件以上・・・ですか。
永澤
その数はこのプロジェクト全体の数ではなくて、
僕が携わった映像関係のスタッフだけで
やりとりしたメールが1万件以上だったんです。
ということは1日あたり十数件は、
誰かしらとコミュニケーションをとっている状況が
常に続いていたんです。
岩田
たとえばどんなやりとりをしていたんですか?
永澤
たとえば、僕らがムービー用につくったデザインを送ると、
「永澤さん、これは違う。これはサムスじゃない」と
齊藤さんから何度もお叱りを受けたり・・・。
岩田
Team NINJAの齊藤さんから
「これはサムスじゃない」と指摘されたんですね(笑)。
永澤
もちろん齊藤さんだけじゃなく、
森澤さんからも「これは違います」と言われ、
坂本さんからも「これは違います」と言われ、
北裏さんからも「これは違います」と言われて(笑)。
岩田
(笑)。
それぞれの立場の人から「これは違います」と言われ、
そのたびに、永澤さんは映像の手直しをされていたわけですね。
永澤
はい。それはメールだけではなく、
直接顔をつきあわせて、やりとりもしていたんですけど、
そのように密にコミュニケーションがとれたことで、
最終的には全員の意思統一がされたデザインに
なっているんじゃないかなと思っています。