岩田
『METROID Other M』の開発の話が降ってきたとき、
Team NINJAのみなさんは、他人事のように感じたり、
「まさか」とか、「どうしてうちで?」とか、
「夢のようだ」と思ったりしながら、
実際に任天堂のスタッフと会うことになるんですよね。
初めて会ったとき、どんな印象を持たれましたか?
齊藤
僕は正直、お会いするのが恐かったんです。
というのも坂本さんが、とてもガンコな方だということが
回り回って僕の耳に入ってきてまして(笑)。
岩田
はい、自身のこだわりに対しては、確かにガンコなんです(笑)。
一同
(笑)
齊藤
ですから「うまくやれるんだろうか」と、とても心配になりました。
「トップダウンのように『あーしろ、こーしろ』と言われて、
それで仕事をするのはイヤだなぁ」という気持ちが正直あったんです。
でも、実際にお会いしてみたら、ものすごく、
その、なんていうか、僕たちの目線で話をしてくれるというか・・・。
坂本さんだけでなく、任天堂のスタッフの方はみなさんそうだったんですけど、
ちょっとお話をした時点で「いっしょにやったら面白そうだな」と
単純にそう思わせてくれる方々ばかりでした。
荒蒔
本当にそうでした。僕らから「こういうことができます」と提案すると、
任天堂さんは「いや、こうしたいんだ」という感じで答えが返ってきて、
それは一見、意見が食い違っているようなんですが、
実は最終的に大切にしたいものや、
そこに行き着く過程で、どうやって高めていくのか、
という部分の考え方が「僕らといっしょなんだ」ということを非常に感じました。
岩田
その、「大切にしたいものが似ていた」ということを
言葉にすると、具体的にどんなことだったんですか?
荒蒔
「『METROID』の世界をどう見せてゆくのか」というのと、
あとは「とにかく触って面白い・・・どんどん触ってサムスを動かしたい、
もっとゲームの世界に入っていきたい」というシンプルな感情を
どう実現していくのか、
という点でいっしょだったというのが大きいと思います。
岩田
大塚さんはどうでしたか?
大塚
ゲームへのこだわりをすごく感じました。
坂本さんはとくにそうで、ど直球なんですよね、言い方が。
「これはダメだ」と思ったら、表現は厳しくはないんですけど・・・。
岩田
やさしく、ストレートにぐさりと(笑)。
小池
はい。しかも、風貌もああじゃないですか。
岩田
はい、見た目のとおりです(笑)。
一同
(笑)
大塚
だから最初はちょっとショックを受けました。
岩田
でも、社内でも同じようにしているんですよ。
日頃から周囲のみんなが、ぐさぐさ刺されていますから(笑)。
ぜんぜん世界が違いますけど、
『メイドインワリオ』シリーズ(※10)をつくっているときも、
脱力系のあの世界のなかで、
水準に達してないプチゲームに対しては、
「これはダメ」とスパーンと切っていましたから。
大塚
本当にスパーンと切られるんですよね(笑)。
岩田
はい、そこには妥協がないんですね。
でも、あまりに潔くスパーンと切られるので、
「少なくともこの人は、自分のことを嫌いで言ってるんじゃないな」
というのはわかるんですけどね。
※10
『メイドインワリオ』シリーズ=プチゲームを多数収録した瞬間アクションゲーム。これまで、各ハードで『あつまれ!!〜』『まわる〜』『さわる〜』『おどる〜』などが発売されており、初代『メイドインワリオ』は、ゲームボーイアドバンス用ソフトとして2003年3月に発売された。坂本はプロデュースを担当。
大塚
ああ、そうですね。
ゲームに対する愛情をものすごく感じましたし、
この部分がダメで、でもこの部分はすごくいい、と
すごくストレートに、わかりやすく言ってもらえたのは
とてもありがたかったです。
とくに坂本さんとのやりとりですごく印象深いことがありまして、
2年くらい前の開発初期の頃だったんですけど、
「FPS(※11)モードのときにもセンスムーブを入れたい」と言われたんです。
※11
FPS(ファーストパーソン・シューティング)=1人称視点のシューティングゲームのこと。
岩田
ポインターを使って操作するときも、
敵からの攻撃を回避できるようにしたいということですね。
大塚
そうなんです。
でも、カメラをどうやってもうまく入れられなくて、
いろいろと模索しているときに、
坂本さんからポーンとアイデアがあったんです。
「これでできてるんだから、これでもできますよね」と。
それはTeam NINJAだったらふつう考えるような、
Team NINJAが得意としていた
カメラのシステムを使うことだったんです。
岩田
ああ、それ、すごくショックですよね(笑)。
大塚
はい。ものすごくショックでした(笑)。
岩田
自分の庭に「この花が咲いてますよ」と
隣の人から指摘されるようなものですから。
大塚
まさにそうです。いまでも鮮烈に覚えているんですけど、
その日の夜はショックで眠れないほど悔しかったです。
で、実際に入れてみたら、キレイにはまったのがさらに悔しくて・・・。
それが開発のなかでいちばん、辛かったことです。
岩田
(笑)。
でも、そういったことが次に活きますよね。
それでは、映像制作を担当された永澤さんにお訊きします。
前回の「社長が訊く」で、北裏さんに話を訊いたときに、
テクモさんと任天堂が仕事をいっしょにするという話を聞いて、
「ええーっ、ウソでしょ!?」とおっしゃっていましたけど、
永澤さんの第一印象はどうだったんですか?
永澤
まさに北裏さんと同じでした(笑)。
先ほど岩田さんがおっしゃったとおりで、
僕ら外の人間から見ると、両社はまさに対極にあると思っていましたから。
しかも、いちばん最初に打ち合わせがあったとき、
資料は坂本さんが書かれたシナリオだけでしたので、
「僕らはいったい何をすればいいんだろう」
というような状況だったんです。
岩田
自分たちに何が求められているのかわからない、
というところからはじまったんですね。
永澤
そうです。単純に「そのシナリオを映画にしてほしい」
ということだったらわかるんですけど、
今回はもちろんゲームですし、
どこをどう映像化したらいいのかさっぱりわからなかったんです。
で、実際に坂本さんに会ったときも、
シナリオに関してすごい熱弁をふるわれて、
その熱意はビシバシと伝わってきたんです。でもやっぱり
「僕は何をすればいいんだろう」と自分のなかで空回りしていました。
岩田
その、最初の「何をすればいいんだろう」という状態から
どういうふうに変わっていくんですか?
永澤
しばらくしてから、そのシナリオのなかで
「ここはゲームのパートです。ここはムービーのパートです」
という構成案を出していただいて、
それを見てやっと「これはすごい分量の仕事になるな」ということが、
ちょっとずつ具体的になっていったんです。
岩田
つくらなきゃいけないものの物量が
次第に見えるようになったんですね。
永澤
いえ、見えたというよりも、あまりにも分量が多すぎて、
「とりあえず大変そうだ・・・」というのはわかったんですけど、
はたしてゲームとムービーをどのように融合させていくのか
想像がつかなかったんです。
で、これは制作者としては、はなはだ無責任な言い方になりますけど、
「つくってみなきゃわかんない」という・・・。
岩田
それはなかなかすごい表現ですね(笑)。
いままで長年、映像制作の仕事をされてきたなかでも、
今回の仕事は、とくに規模が大きかったんですか?
永澤
飛び抜けてデカかったです。
ですから、まずはつくってみることにしたんですが、
シナリオを絵コンテで具現化してもらわないと
映像制作に入れないんです。
岩田
絵コンテを描くのは北裏さんの担当だったんですよね。
すべてを描き終わるまでに半年かかったとお聞きしましたけど。
永澤
はい。ですから、北裏さんとメールのやりとりをするときは、
「早くコンテを描いてください」
「コンテはどうなりましたか?」
というメッセージをメールに、
署名のように入れて送るようなことがずっと続いていました。
岩田
作家に催促をする編集者のようだったんですね(笑)。
永澤
はい。すると、だんだん北裏さんからの返信が少なくなっていって(笑)。
でも、無口にはなったんですけど、
あがってくる絵コンテが、まさかあんなに
迫力のあるものを描いてくるとは思わなかったんです。
「これを全尺分つくったらすごいことになるな」
という焦りが今度は出てきました。
岩田
これをどうやって撮って、どうやってつくるんだと。
永澤
はい。でも、これもはなはだ制作者としては
責任感のない発言になるんですけど、
「まあ・・・なんとかなるだろう」と(笑)。
岩田
はい(笑)。
永澤
北裏さんが全力で絵コンテを描かれた以上、
僕らもその気持ちをしっかり受け止めて、
最大の努力をして映像制作を進めるようにしました。