岩田
放課後プロジェクトというのは?
小泉
通常の仕事が終わったあとに
2人だけで何かおもしろいものをつくろうよ、
という話をしていて。
岩田
熱心なのはわかりますけど
立場上、あまり推奨できる話ではありませんね(笑)。
小泉
じゃあ言い換えて、こっそりプロジェクト(笑)。
そんな形ではじまったものですから
何をやるかも最初は決めてなかったんです。
でも、清水さんはずっと前から
「ネットワークをやりたい」と言っていて。
清水
はい。
小泉
そこで、試しにWiiで色々ネットワーク企画を試作してみたんですけど
なかなかうまくまとまらなかったんです。
で、あるタイミングでちょっと方向を変えて
DSでやってみることにしたら、
清水さんが、DSに描いた絵を
Wiiで表示できるソフトをつくってきて。
彼は絵を描くことがすごく好きで・・・。
清水
ヘタですけど・・・。
小泉
すごく味があるんです、彼の絵は。
それを見て、欲が出てしまって
これでパラパラマンガが作れるようにしようって言ったら
翌々日にはもうできていたんです。
さらに悪ノリして、DSにはマイクが付いてるから
声を入れられないの?という話をその場でしたら
その翌日には声が入るようになっていて。
わずか数日で、今回のソフトの原型ができあがったんです。
岩田
仕事が早いですよね、好きなものをつくらせると(笑)。
小泉
たぶんピンと来るものがあったんでしょうね。
だからすごく早くできて。
清水
・・・小泉さんから軽く話をされただけだったんですけど
僕としては、なんかおもしろそうだなって・・・。
で、つい頑張ってしまいました。
岩田
つい頑張っちゃったんだ(笑)。
清水
驚いてもらいたいというか、
イタズラ心と言うか・・・。
岩田
わたし、プログラマーをやってたので
その気持ち、すごいよくわかる(笑)。
小泉
それで、これはみんなに見せないともったいないと。
岩田
それはいつ頃のことなんですか?
小泉
2008年の4月の頭です。
その頃は『パラパラマンガ工房』という
タイトルにするつもりでした。
パラパラマンガをつくって、
それを見て楽しむようなものだったんです。
ただ、ある日、あるプログラマーさんから
「僕はパラパラマンガとは関係がない」と
言われてしまったことがあって・・・。
岩田
これまでパラパラマンガを描いてきたことがないし、
これからも描くことはないだろうと。
小泉
そうなんです。
ただ、人がつくったものを見るのはおもしろいと言うんです。
そんな中で冷静に思い返してみると、
もともと、このソフト、
清水さんが自分用のメモとして使うためにつくってたんです。
清水
はい。記録のできるメモのようなツールがほしかったんです。
原型は、お絵かき玩具なんですけど、記録ができないので。
小泉
だから、このツールは
書き込んだメモをほかの人と共有できたり、
自分のためにとっておくことができる、
誰にでも関係のある「メモ帳」のようなものにしなきゃダメだなと、
電車のなかで気がついたんです。
で、朝会社に着いて、いの一番で清水さんに
タイトルは『パラパラマンガ』ではなく『うごくメモ帳』、
略して『うごメモ』にしよう、と言ったんです。
覚えてる?
清水
はい。
小泉
そこから、『うごメモ』でつくった作品を
ワイヤレス通信を使って
友だちとダイレクトにやりとりすることを考えていったんですけど
それだけじゃもったいないと思うようになってきて。
もともと、清水さんがつくっていたのは
WiiとDSをつないで、Wiiの画面に
たくさんのメモを並べるようなもので。
清水
Wiiをネットワークサーバー代わりにして
DSとデータのやりとりができるようにしたんです。
小泉
これをWiiウェア(※3)にして
ネットワークに接続すれば、友だちだけじゃなく
もっとたくさんの人とメモのやりとりができる、
そんな仕組みにしよう、という話をしたんです。
当時はまだDSiの存在を知らなかったので。
岩田
DSiのことは、社内でも一部の人にしか
知らされてませんでしたからね。
※3
Wiiウェア=パッケージではないWii専用ソフトのこと。Wiiショッピングチャンネルでダウンロード購入できる。
小泉
まず考えたのは、DSダウンロードの機能を使って
WiiウェアからDSに作画用のツール、
つまり『うごくメモ帳』をダウンロードし、
DSでつくった作品を
Wiiウェアに戻して、ため込むようにしようと。
それから、Wii上に、インターネットの掲示板のようなものを作って
保存したメモをいろんな人と共有しようか・・・、
みたいな話をしているところに
手塚(卓志)さんが京都から出張してこられたんです。
岩田
そのとき初めてDSiの話を聞いたんですね。
小泉
そうなんです。
まさにDSiにピッタリのソフトだ、という話になりました。
岩田
手塚さんはどんな反応をしてましたか?
小泉
当時はまだ試作品の段階だったんですけど、
これを早く世に出さなければ、時期を逃すんじゃないかと。
岩田
手塚さんはたぶん、『うごメモ』のなかに
ほかのものとは違う匂いを感じたんでしょうね。
それで、わたしのところに
ネットワーク開発部の協力がもらえないか
相談に来たというわけですね。
小泉
自分で作品をつくって楽しむという部分では
『うごメモ』に自信があったんですけど
先ほどのプログラマーさんのように
人のつくった作品を見るだけでも楽しめる人がいるんです。
そこで、たくさんの人たちに楽しんでもらうには
インターネットの掲示板のようなものが
絶対に必要だろうと思いました。
岩田
その話を聞いたとき、『うごメモ』が出るのは
2009年の後半になってしまう、と思いました。
ネットワーク開発部のスケジュールは
先の先まで作業リストがいっぱいに詰まってましたから。
任天堂だけでサーバを含めたシステムを構築しようとすると
すごく時間がかかってしまうな、と。
小泉
岩田さんはそのとき、すごく考え込んだ末に
突然立ち上がりましたよね。
岩田
そうでしたっけ?
小泉
で、立ったままいろいろ考えた末に
イスの背もたれを抱きかかえるように
逆向きに座って・・・(笑)。
で、突然ひらめいたかのように言ったんです、
「はてなさんとやるのはいいかも」って。
岩田
ああ(笑)。
小泉
さらに独り言のように
「おもしろいなあ、それ、おもしろいなあ、それ」って。
何がおもしろいのかわからなかったんですけど(笑)。
岩田
1人でおもしろがってた?(笑)
一同
(笑)
小泉
きっとそのとき、岩田さんの頭のなかで
いろんなことがつながったと思うんですが。
岩田
わたしは、はてなさんの社外取締役でもある梅田望夫(※4)さんに
3度くらいお目にかかったことがあって。
しかも、開発拠点が京都に移ってきたことだし、
ご縁があったらおもしろいことができそうだって思ってたんです。
で、うちのネットワーク開発部とは
うっすらと関係ができつつあったんですけど
普通のおつきあいじゃつまらないな、
何かシンボリックなことができないだろうか、
という思いが、わたしのなかにずっとあって、
そんなところに、この話がポーンと飛び込んできたので
頭のなかにバラバラにあったものが
くっついちゃったんでしょうね。
小泉
宮本(茂)さんがよく「アイデアというのは
複数の問題を一気に解決するもの」と言ってますけど、
まさにそのときがその瞬間だなあと思いました。
岩田
イスを逆向きに座りながらね(笑)。
小泉
あれはすごく印象的な光景でした。
岩田
うん、いま思い出しました、
あのときの自分を(笑)。
※4
梅田望夫=うめだもちお。ベストセラー「ウェブ進化論」の著者。ミューズ・アソシエイツ社長であるともに、はてな取締役もつとめる。