岩田
第2部は、本作『えいごで旅する リトル・チャロ』を
つくった人たちからお話をお訊きしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
一同
よろしくお願いいたします。
岩田
ではまず自己紹介と、みなさんが
何を担当されたのかということをお話しいただけますか?
鵜川
はい。NHKエデュケーショナルの鵜川です。
わたしはプロデューサーとして適材適所に人を配置したくらいで。
開発の終盤に、教材としての解説部分などで多少関わりましたが、
実際にものをつくるという部分は、
隣に座っている石井にほとんど任せていました。
石井
いえいえ、そんなことはないです(笑)。
NHKエデュケーショナルの石井と申します。
岩田
どうもいろいろお世話になりました。
ありがとうございました。
石井
こちらこそ本当にありがとうございました。
今回はNHK側のいろんな窓口として、
ジュピターさん(※8)と任天堂さんとのやりとりを
担当させていただきました。
服部
石井さんには、実際の作業も含めて、
本当にいろんなことをしていただいたんです。
石井
はい、何から何までやらせていただきました。
台本のプリントアウトのようなこととかも(笑)。
※8
株式会社ジュピター=『ピクロス』シリーズなどのソフト開発のほか、任天堂ライセンス商品の開発・販売などを行う。1992年設立。本社は京都。
村上
ジュピターの村上と申します。
肩書き上はマネージャーということで、
2008年の4月に企画のお話をいただいたときから
最後の完成まで関わらせてもらったんですけど、
実際に現場のなかで、たとえば仕様面ですとか、
ゲームの方向性を含めて、ディレクションに近いことを担当しつつ、
手が空いたときにはスクリプトを打つとか、
とにかくいろんなことをしていました。
岩田
村上さんも石井さんと同じで
何から何までされていたんですね。
村上
はい。何から何までしてました。
「手が空けば手伝ってね」とか言われたりもしていました(笑)。
服部
任天堂の服部です。
任天堂側のディレクターをしていまして、
ジュピターのディレクターさんといっしょに
仕様を詰めたりだとか、そういったことをしていました。
岩田
さて、今作の『リトル・チャロ』が生まれるきっかけは
どうやってはじまったのか、という話は
どなたからしていただくのがいいんでしょうか?
鵜川
では、わたしからしましょうか。
岩田
はい、お願いします。
鵜川
第1部の純名さんと長野のインタビューでも話が出ましたが、
もともと番組の『リトル・チャロ』がはじまったときに、
「ゲーム化したい」という話があったんです。
NHKエデュケーショナルという組織は、
NHKのコンテンツを世に広めていくという役割も持っているのですが、
直接DSのようなゲームソフトを制作することはありません。
そこで、ゲームを開発してくれる会社さんを探すことになりまして、
そのとき、たまたま別件で任天堂さんとはおつきあいがありましたので、
任天堂のプロデューサーの山上(仁志)(※9)さんに、
『リトル・チャロ』の企画書を持っていって、
「検討していただけませんか?」ということでお願いして、
よい返事をいただいたというわけです。
※9
山上仁志=任天堂 企画開発部所属。
岩田
そのプレゼンのとき、服部さんは同席していたんですか?
服部
いえ、していません。
岩田
じゃあ、後から企画書を見たんですね。
それを見たとき、どう思いました?
服部
「このかわいいキャラは何だ!?」と思いました。
岩田
(笑)。
そのときは、すでに放送がはじまっていたんですか?
服部
最初にお話をいただいたのが、
2008年の4月だったので、放送がはじまった直後くらいですね。
岩田
放送の直後から話題になりはじめていましたよね。
服部
はい。わたしは名前だけは知っていたのですが、
どのような番組なのか、詳しくは知らなかったんです。
ところが、キャラクターを見ただけでひと目ぼれしてしまいました。
岩田
実は担当者が惚れるというのは
けっこう重要なポイントなんですよね。
鵜川さん、それはきっと番組制作でも同じですよね。
鵜川
同じです。プロデューサーの長野がその典型で、
実は長野自らが『リトル・チャロ』の脚本に関わっているんです。
それで、書き上がった脚本を読んで自分で泣いていたんです。
岩田
へえ、それはすごい。
まるで、泣きの自家発電ですね(笑)。
一同
(笑)
鵜川
その姿を見て、「さすがに泣かないでしょう」と。
ところが読んでみたら・・・僕も泣いちゃったんです(笑)。
岩田
泣くつもりはなかったのに
それでも泣くというのはすごいですね。
鵜川
会社の自分の席でうるうるしちゃったものですから、
もう、そこに「人が訪ねてきたらどうしよう」と思ったくらいで。
とくに後半は涙なしには語れないシーンがたくさんあって、
そこはやっぱり泣いちゃうんです。
服部
実はデバッグスタッフも泣いていたんです。
岩田
え!?あのマリオクラブ(※10)の猛者たちがですか?
服部
ええ、デバッグしながら(笑)。
岩田
・・・ふだん、超人のような技量で
ゲームをクリアする、あの人たちが泣いたんですか?
服部
はい(笑)。
それくらい感動していたんです。
※10
マリオクラブ=マリオクラブ株式会社。任天堂の開発中ソフトのデバッグやテストプレイを行う。
岩田
はー・・・彼らが泣くというのは、あまり想像できないですね。
ふだんは、どちらかというと、
ゲームの詰めが甘いところをビシバシと指摘されて、
つくり手がたじたじとさせられる関係ですので(笑)。
石井
あ、でも今回もそのようなことはありましたよ。
岩田
やっぱり。彼らは、仕様に至らないことに関しては
まったく容赦しませんからね。
石井
(しみじみと)ええ、容赦なかったです・・・。
岩田
(笑)
服部
実は今回、ゲームの調整を最後の最後まで行うために、
ギリギリまで声の収録をしない方針だったんです。
なので、デバッグがはじまった頃は
任天堂のスタッフの声を代わりに入れていたんです。
鵜川
最初は服部さんの声も入っていたんです。
服部
仮の音声を入れたのは
容量を計算するのに必要だったからなんです。
そこで、ICレコーダーを使って自分で録音して、
その音声を実装したものをマリオクラブの人たちに
プレイしてもらっていました。
でも、純名さんたちの声が入った最終版をプレイすると、
それまで何十時間もプレイしたはずなのに
改めて泣いている人もいて・・・。
岩田
ストーリーがわかっているのにですか?
服部
はい。ある女性スタッフは最終版をプレイしていたら、
思わず泣きそうになったので、慌ててトイレに駆け込んで、
ひとりでさめざめと泣いていた、という話もありました。
それはたぶん、ゲームの場合、
より長いことおつきあいいただかないと話が進みませんので、
自分がチャロといっしょに冒険している気分になって、
それで感情移入の度合いが高くなって、
泣いちゃったりするんだろうなと思うんです。
鵜川
今回、泣けるゲームになったというのは、
とてもありがたいことだと思っています。
もともとは、初期の段階の打ち合わせのときに
このゲームの方向性をどうするかという話になって、
僕と長野が「泣けるようにしてください」とお願いをしましたよね。
服部
ええ、そうでした。
鵜川
もちろん、このソフトをプレイすることで
英語ができるようになってほしいという気持ちはあるんですけど、
それよりもまず、『リトル・チャロ』では泣いてもらいたいんです。
で、その後に、人としての優しさみたいなものが心の中に残って、
他人に対して親切になったりしてほしいという想いもあるので、
そこはぜひお願いしますと。
岩田
感動のあとに英語がついてくる、
くらいの位置づけなんですね。
鵜川
そうです。
服部
そもそも、ゲームは時間がかかりますので、
その間、ずっと英語を聴き続けることになりますよね。
ですから、あまり英語を押しつけなくても、
自然に耳に入ってくるようになっていると思います。