岩田
ネイティブの先生から厳しい指導を受けたということでしたが、
声の収録はどのような環境で行っていたんですか?
長野
スタジオの隣に音を収録する調整室がありまして、
その部屋にいるスタッフは、すべて日本語なんです。
ところが、スタジオのほうはオール英語で、
日本人は純名さんだけがただ1人・・・。
岩田
純名さんが日本代表だったんですね(笑)。
日本にいながら、異国にちょっと行った気分ですね。
純名
だから「NHK留学」と呼んでました(笑)。
岩田
「NHK留学」ですか(笑)。
純名
そもそもスタジオにいらっしゃったネイティブの方たちって、
芝居がとてもお上手なんです。
「どうして彼らはアメリカで活躍しないの?」と思うくらい。
そういった方たちに囲まれて、そこで認めてもらうには、
こっちも本気で芝居をしないと、ハグしてもらえないんです。
岩田
ハグしてもらえない、というのはどういうことですか?
純名
最初は品定めをされるような感じでした。
「この子はどれくらいの実力なんだろう?」みたいに・・・。
そこで、がんばって芝居心を見せた途端、
ネイティブの方たちはオープンマインドになって、
両手を広げてハグをしてくださったんです。
岩田
ああ、プロの世界ならではの話ですね。
純名
ホントにそうなんです!
その後も、本当にいい演技ができたときは、
共演者が抱きしめてくれて、しかも泣いてくれたんです。
岩田
え? 泣くんですか!?
長野
あの、要するに、いいエピソードになると・・・。
純名
みんな泣いちゃうんですよね。
長野
リハーサルとか本番が終わったあとに、
みんなシーンとして、スタジオが一瞬、静まりかえるんですが、
そのあと、ワーッと泣きだしたりしたんです。
日本人から見ると、オーバーリアクションなんですけど・・・。
純名
すごくピュアなんです。
長野
ホントにピュアですよね。
純名
でも、オール日本語の調整室の人も泣いてたりして(笑)。
岩田
思わずもらい泣きですか?
長野
はい。実は泣き虫の女性スタッフがいて、
リハーサルから本番にかけて、彼女が泣くかどうかというのが
ひとつのバロメーターになっていまして・・・。
アニメーションも音楽も何もついていない状態で、
セリフを録っていただけなんですけど、それでも泣いてました。
岩田
・・・あの、ちょっと待ってください。
長野
はい?
岩田
一般的にアニメに声をつけるときって、
先にアニメができていて、後から声優さんが
その画面を見ながらしゃべって録音するものですよね。
長野
はい。アフレコするのが普通ですよね。
岩田
でも、『リトル・チャロ』のつくり方は、
いわゆるアフレコじゃなくて、絵ができる前の
いちばん最初に音声のドラマを録るようにしていたんですか?
長野
そうです。そうしたのは
ちょっとしたこだわりがありまして、
やっぱり英語を学ぶための番組なので、
あくまで英語が主役であってほしいと。
ところがアフレコにしてしまうと、
絵にしばられた演技になってしまうんです。
岩田
すると、たとえば絵が先に動いているから、
間のしばりがそれでできちゃうということがないわけですね。
長野
そうです。だから、ぜんぶ役者さんたちの間なんです。
もちろんその後で編集もするんですけど、
役者さんには何もしばりのないところで、
自由に演じていただこうと思ったんです。
純名
ただ、何もないところでは演じにくいので、
チャロの絵を貼ったりして
イマジネーションを働かせるようなことをしていました。
岩田
その絵を見ることで、
チャロになりきろうとしたわけですね。
純名
そうです。
長野
だから、テレビやラジオの声録りは、
ステージそのものに近い感じでした。
岩田
へえ〜。生のステージと同じ構造なんですか。
長野
はい。そうすることで、いまのアメリカで使われている
生きた英語をできるだけ入れようと思いました。
岩田
それは、現地のキャラクターたちが、
英語をしゃべるという設定だからなんですよね。
長野
ええ。ですから文法的にちょっと崩れていたり、
少しスラングっぽい言葉もあえて入れました。
岩田
確かに「あ、こんな言い方もするのか」
という印象が、わたしにもありました。
純名
ですので、シナリオがあっても、
リハーサル中に「この言い方はおかしい」みたいに、
ネイティブの役者さん同士で、話し合いがはじまったりしたんです。
岩田
生きた言葉というのは、どれが正しいのか、
人の数だけあるので意見が合わないこともありますからね。
純名
そうなんです。
その話になるとなかなか終わらなかったりして。
長野
しかも、そういうことが何度もありました。
岩田
そのようなことは日本人の間でも起こりますよね。
ら抜き言葉はダメだとか、人によってOKラインが違うように、
同じアメリカ人でもきっと違うんでしょうね。
純名
キャラクターによっても、
言い方が違ってきたりしていましたから。
長野
「このキャラクターはこんな言い方をしない」
とか言ってましたしね。
純名
性格によって言い方が変わってくるんですよね(笑)。
岩田
へえ〜。
長野
そういう意見も、役者さんのほうから出てくるんです。
ですから「生きた英語を扱っているな」という感じがしました。
岩田
まさに生きた英語が、
その場、その場で織り込まれるようになっていたんですね。
長野
そうなんです。いまの話に関連して言いますと、
そもそも『チャロ』の物語は、まず日本語で原作をつくりまして、
それを英訳して、それをまた日本語に戻していたんです。
岩田
英語教材ですから、日本語訳も必要なんですね。
長野
そうです。ところが日本語に戻ってみると、
ぜんぜん違う意味の日本語になっていたりすることもあるんですね。
たとえば日本語で「ごめんなさい」と書いてあるとき、
I'm sorry. と訳さずに、Thank you. と訳す場合があったりとか。
岩田
感謝の意味を込めた「ごめんなさい」ですね。
長野
はい。日本語では、謝るつもりでなくても
広い意味で「ごめんなさい」を使いますね。
そのとき文字通り I'm sorry. と訳してしまうと、
英語の世界では「何を謝っているの?
別にあなたは悪いことをしていないよ」と
受け止められてしまうんですね。
そこで Thank you. と英訳するわけですが、
それをもう1回、日本語に戻すと・・・。
岩田
確かに「ありがとう」だと意味が違ってきますね。
長野
そうです。ただ、Thank you. の日本語訳を
「ごめんなさい」としてしまうと、
「英語教材としてはいかがなものか」という話になるわけです。
そこでまた、違う訳を考えたりしたのですが、
そのへんの微妙なニュアンスの違いや、
言葉の往復運動によって意味が変わってくるのが
とても面白いなと思いました。
岩田
なるほど。
長野
あと、日本語の脚本のなかに
「・・・」という表現がけっこう入っていたんです。
いわゆる「間」というやつですね。
ところが英語では「それはないのと同じだ」と言われまして。
何も言わないのは何も考えていないとのいっしょ、
ということなんです。
でも、日本には「・・・」の文化があるといいますか、
黙って間をとっているほうが、
深いことを考えていそうな印象があったりしますよね。
岩田
むしろ言わないことが美意識だったりしますから。
長野
ええ。そこにガマンがあったり、気遣いがあったり、
いろんな気持ちを「・・・」に込めるんですけど、
英語のネイティブの人たちは「何かを言え」と言うんです。
No. でも Hmmmm. でもいいからと。
純名
わたしはいつも先生から
「間を置きすぎる」と指摘されていました。
岩田
純名さんは「・・・」を演じていたんですね。