岩田
『ガールズサイド』の制作人数はどれくらいでしたか?
内田
内部のメンバーはサウンドスタッフを入れて数名でした。
岩田
ええっ? たった数名で絵を描いて、音楽もつくって、
シナリオも書いていたんですか?
内田
はい。コアとなる部分は自分たちでやろうと決めていましたので。
量産作業になったところで、外部の方にやっていただきました。
シナリオも7割方、自分で書いちゃった記憶がありますね。
岩田
結果的に「女性向けの『ときメモ』はうまくいくはずはない」
という偏見は、すぐになくなったんですか?
内田
はい。思っていたより、はるかにヒットしたんです。
全国的に売り切れてしまって、
2週間以上在庫がない状態がつづきました。
当時、ネットの掲示板でも話題になっていたんですが、
『ときメモ』をプレイされていた男性のお客さんも
やられていたようでした。
岩田
えっ、男性にも遊ばれていたんですか?
どういう気持ちでやるんでしょうね・・・?
内田
実際、プレイヤーからは主人公の女の子は見えないんですが、
“主人公の女の子を育てていくゲーム”
というアプローチでやっていただいていたのかもしれないですね。
岩田
ああー、そういうことですか。
内田
でも、もちろん、圧倒的に女性の方にプレイしていただいたんです。
お客さんも最初は半信半疑で遊ばれていたと思いますが、
「かわいい」とか、「泣ける」とか、
「エンディングで号泣しちゃった・・・」っていうのが
ネットの力が強まっている時代でもありましたので、
瞬く間に口コミでバーッと広がりました。
岩田
時代とも相性がよかったんですね。
1年半という期間に、逆風と絶賛の
両方を味わうような体験ですね。
内田
ええ、本当にそうなんです。
それが僕のゲームデザイナーとしての成功体験でしたので、
どんなにつらくてもお客さんに「泣ける」とか「かわいい」とか
言っていただいた瞬間に、全部むくわれるんですよ。
岩田
そういうセンサーがあるのも、“天職”なんだろうと思いますね。
ゲームをつくるときは、いわば自分のエネルギーを
どんどん放出している状態ですよね。
一方でお客さんが喜んでくれているのが伝わると、
たまらなくうれしい気持ちになって
その気持ちがエネルギーとなって充電できるんです。
内田
ひとつ、僕のつくり手として原体験となったことがあるんですが、
僕が最初に担当したゲームのプログラムは
『がんばれゴエモン』(※12)というシリーズソフトの1作で、
発売日にお店へ見に行ったんですね。
そしたら小学生くらいの兄弟が、お年玉のぽち袋をにぎりしめて、
『ゴエモン』ともう1本の別のソフトを見比べながら、
どっちを買おうか10分くらい、ふたりで話し合っているんですよ。
岩田
どっちかひとつしか、買えないんですね。
内田
そうなんです。
結局、『ゴエモン』を買ってくれたんですが、
そのときうれしかったのと同時に、ものすごく悔しかったんです。
なぜなら、あの兄弟のお年玉は、年間のおこづかいのなかで
ものすごい割合を占めるじゃないですか。
それを『ゴエモン』に投資してくれたんですね。
でも僕は当時、正直言って、自分の力を
100%出し切れていなかったように思うんです。
なぜもっとやれなかったのか悔しかったんです。
そのことが、つくり手としての原体験になっていると思います。
岩田
なるほど。
内田
そういうこともありまして、『ガールズサイド』は
自分が最初にデザインするゲームということで、
「ここで死ぬ気でやらなかったらダメだ」という思いがありました。
だからネットの掲示板などでほめられているのを見たとき、
本当に救われた気がしました。
岩田
ありえないと思ったことがじつは可能だったことに、
運命的なものを感じずにいられませんよね。
内田さんのいろいろな過去の体験と趣向が
組み合わさって、掛け算になってできた作品なんですね。
『ガールズサイド』が認められてからはどうでしたか?
内田
次に考えたのが『ランブルローズ』(※13)というタイトルでした。
それでもそこそこ評価をいただけて、
そのころから、社内で「新しいことを考えさせると面白いヤツ」
という位置づけになりました(笑)。
岩田
『ランブルローズ』も強烈な個性があったので、よく覚えています。
それにしても、人の記憶に残る新しいものを複数つくっている
ということは、やはり“天職”なんでしょうね。
内田
ありがとうございます。
「これ面白いから、次もつくってよ」と
言っていただけるゲームをつくれることは、
本当に幸せなことだなと思っています。