3. 「フタを開けたくなかった」
岩田
みなさん、たいへんお待たせしました。
まずは自己紹介からお願いします。
大岩
株式会社グレッゾ(※13)の大岩幹治です。
『ムジュラの仮面 3D』では、
最初から、というわけではなかったんですけど、
流れでディレクターを担当しました。
岩田
「流れで」というのは、どういうことですか?
青沼
僕が「ディレクターを立ててください」とお願いしたんです。
途中までは、要らないかなと思っていたんですけど。
岩田
ああ、なるほど。
最初は、「移植だからディレクターがいなくても大丈夫」
と思ってたんですね。
青沼
『時のオカリナ 3D』のときは
ディレクターはいませんでしたから。
でも、いざ今作の開発をはじめてみると、
そうは問屋が卸さなかったんです(笑)。
大岩
そうですね(笑)。
岩田
青沼さんの自己紹介は・・・十分だと思いますので(笑)。
山村さん、お願いします。
山村
企画開発部の山村知弘です。
ソフト開発の窓口を担当しました。
青沼さんの「こうしたい」という気持ちを、
わかりやすく整理して、
グレッゾの大岩さんにお伝えし、
また一方で大岩さんからあがってきたものが、
「本当にこれでいいのか」ということを検証して、
青沼さんに伝えるという仕事をしていました。
岩田
日本語同士の“通訳”みたいなことをしてたんですね?
山村
はい(笑)。まさに“通訳”でした。
佐野
同じく企画開発部の佐野友美です。
わたしは山村さんと同じく
ソフト開発の窓口をしていましたが、
開発の後半からの参加です。
そのころにはだいたいの部分はできあがっていたので
マリオクラブ(※14)さんから出てきた問題点を洗い出し、
先ほどの話にありました“挑戦状”をたたきつけたかのような
不親切さがあるところをプレイヤー視点に立って確認しなおして
「なおすべきなのか、歯ごたえとしてそのままにしておくのか」
というところを調整する仕事をしていました。
青沼
プレイヤー視点に立って、という話ですけど、
かつて佐野さんは、お客さんとして
N64版を遊んでいたんです。
だから、「当時のファンから見てどうなの?」ということは、
いつも佐野さんに聞くようにしていました。
佐野
もともと、わたしはN64版のファンで、
発売された当時ももちろん遊びましたけど、
“挑戦状”に・・・負けてしまった側で(笑)。
岩田
クリアできなかったんですね?
佐野
ええ、残念ながら。
岩田
さて、そんな“挑戦状”のような
『ムジュラの仮面』のリメイクは
どうやってはじまったのですか?
青沼
またまた宮本さんから話がくるんです。
「3DSで『ムジュラの仮面』を出そうよ」って。
佐野さんが「“挑戦状”に負けた」と言いましたけど、
同じようにN64版を途中であきらめた人たちが
けっこう多かったという印象が
宮本さんのなかにも強く残っていて、
「せっかくいろんなものを詰め込んだのに、
それを見てもらえないのはもったいないだろう」と。
でも、そもそも僕らは、“挑戦状”をたたきつけて、
「この謎が解けるか?」という気持ちで
つくったわけですけど・・・(笑)。
岩田
“おもてなし”から“挑戦状”に豹変したわけですからね(笑)。
青沼
でも、宮本さんからそう言われると
「そのとおりです」と答えるしかなかったんです。
それに、ニンテンドー3DSで出せば
謎解きに詰まったときでも、パタッと閉じて、
スリープモード(※15)にできるのも利点だし、
だから『ムジュラの仮面』をぜひやりなさい、
という話だったんです。
ところが、すぐに「やります」とは言えなかったんです。
岩田
それはどうしてですか?
青沼
さっきも言いましたけど、若い勢いだけで
いろいろやっちゃった感のあるゲームですので・・・。
岩田
はい。
青沼
だから、フタを開けたくなかったんです(笑)。
岩田
フタを開けたくないって(笑)。
青沼
フタを開けたら、冷や汗が
どばーっと出てくるに違いないと思いましたから(笑)。
一同
(笑)
岩田
青沼さんとしては
ずっと封印しておきたかったんですか?
青沼
「なかったことにしてほしい」みたいな(笑)。
もちろん「なかったことに」というのは許されませんけど、
リメイクするのはかんべんしてほしいとは思ったんです。
ところが宮本さんは「あかん」と。
岩田
N64版のときは「1年でつくれ」と言い、
3DS版では「逃げるのはあかん」と言い、
宮本さんもつくづく厳しい人ですね(笑)。
青沼
宮本さんはさらに、
「自分自身でもう一度、すべてを遊びなおして、
本当にこれでいいのか、ということをしっかり検証して、
そこをちゃんと修正したうえで、
いまの人が満足できるようなものに仕上げろ」
と言うんです。
岩田
傷口に塩をすり込むような話ですね(笑)。
青沼
15年前の古傷です(笑)。
それで、思い切ってすべてを遊びなおすことにしたんです。
岩田
冷や汗をどばーっとかきながら?(笑)
青沼
はい(笑)。
そしたら「なんじゃこれは」というものが
いっぱい見つかりました。
岩田
「なんじゃこれは」って(笑)。
自分でつくっておきながら
普通は言えることじゃないですよね。
青沼
もともと『ゼルダ』というゲームは、
「これはこうかな?」と気づけるような
ちょっとしたヒントがあれば、
その先にたいへんなことがあっても、
頑張ろうと思えるんです。
ところがN64版『ムジュラの仮面』の場合、
「ここかな?」と思って、その先に行っても、
そこには何も答えがなかったりしたんです。
岩田
その時点で「ああダメだ」と
お手上げになりますよね。
青沼
はい。さらに
まったくヒントがないものがあって、
誰にも見つけられない要素も
たくさんあったんです。
岩田
せっかくアイデアのピースを
たくさん詰め込んだのに、体験してもらえないというのは、
宮本さんが言うように、すごくもったいないですよね。
青沼
そうなんです。だから、あの当時は、
憑きものが憑いていたとしか思えなかったんです。
岩田
佐野さん、当時のプレイヤー代表として、
そういうところがあったんでしょうか?
佐野
けっこうあったと思いました。
たとえば失敗したときに、
自分の腕のせいで失敗したときは
納得できるんですけど、どうして失敗したのか、
いまいちわからなくて納得できないところもありましたし。
岩田
うまくいかなかったときは
「自分が悪い」とお客さんに思ってもらうのが、
ゲームのあるべき姿の基本で、
それが任天堂の開発哲学のはずなんですけど。
青沼
そうですね、はい。
ところが、N64版は必ずしもそうではありませんでした。
だから、いまの人たちに同じものをそのまま渡したら
とんでもないことになると思いました。
そこで“なんじゃこれはリスト”をつくることにしたんです。
岩田
青沼さんが「なんじゃこれは!」と感じたことを
リスト化することにしたんですね。
青沼
はい。