岩田
ようやくできました(笑)。
川瀬
はい(笑)。
ありがとうございます。
岩田
今日は・・・「元、社長が訊く(※1)」ですかね。
一同
本当に(笑)。
※1
元、社長が訊く=岩田は、元ハル研究所社長として在籍経験があり、『星のカービィ』、『大乱闘スマッシュブラザーズ』などは、岩田が在籍時にハル研究所が生んだタイトル。
川瀬
岩田さんが任天堂へ行かれたのは
わたしがハル研(※2)に入って4年経ったころでしたから、
もう11年になりますね。
※2
ハル研=株式会社ハル研究所。ゲームメーカー。
岩田
はい。では川瀬さん、「11年ぶり」の話からしましょうか。
川瀬
はい、今作のプロデューサーを務める
ハル研究所の川瀬滋史です。
まずは待っていただいた方、本当に、お待たせしました。
ようやく据置型ゲーム機でのカービィが出せました。
岩田
完全新作、正統王道カービィが11年ぶりにできましたね。
川瀬
はい。はじめに自己紹介をしますと、
わたしはもともと「ジャックの豆の木計画」(※3)
というチームにデザイナーとして参加して、
『ポケモンスナップ』(※4)などのゲームをつくりました。
いまはプロデューサーとして東京で仕事をしています。
11年ぶりになる据置型ゲーム機でのカービィですが、
当然、ハル研究所では『星のカービィ64』(※5)のあとに、
すぐに新しいカービィをつくりはじめていたんです。
それはちょうどゲームキューブのころで、
E3(※6)で発表したので、
ゲーム雑誌に画面写真が載ったこともあります。
※3
ジャックの豆の木計画=1996年に始動した、任天堂とハル研究所のプロジェクトチーム。
※4
『ポケモンスナップ』=1999年3月に、NINTENDO64用ソフトとして発売されたカメラアクションゲーム。
※5
『星のカービィ64』=2000年3月、NINTENDO64用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
※6
E3=Electronic Entertainment Expo(エレクトロニック エンターテインメント エキスポ)の略で、米国のロサンゼルスで開催されるコンピューターゲーム関連の見本市のこと。
岩田
「載ったこともあります」って・・・
なんだか客観視していますね(笑)。
川瀬
あ、いえ、客観視しているわけではないんですが(笑)、
あのころからずっと更新されないまま時間が経っていき、
「あれはいったいどうなったんだ!?」と言われる
ナゾのソフトと思っている人もいたのではないかと・・・。
岩田
ずっと発売日未定のままでしたね。
川瀬
はい。じつを言うと、
幻のカービィが3つあるんです。
1作目は、最初に写真が載ったときのものです。
ゲームキューブで4人同時に遊べることを
コンセプトにしたカービィでしたが、
シングルプレイとマルチプレイを共存させることの
難しさを感じたのはこのときでした。
岩田
それがスッと出ていたら、
『カービィのエアライド』(※7)から
それほど間隔があかずに出るはずだったんですよね。
※7
『カービィのエアライド』=2003年7月、ゲームキューブソフトとして発売された、アクションレースゲーム。
川瀬
そうです。
2作目はカービィを完全な3D空間に置いて
箱庭の中を自由に動き回れるようにする、
非常にチャレンジングな遊びを実験しました。
ただ残念ながら、それも我々の望んでいるクオリティを
達成できなかったため、完成までいたりませんでした。
3作目は、絵本の中から飛び出したような
遊べるアニメーションのカービィで、
いままでのコピー能力を一新して、
さらにパワーアップさせることを目指しました。
この3作をつくっては壊しながら、
11年間・・・やってきました。
岩田
その間にゲームの画面写真が載り、
時期未定が載ったままの状態が長く続き、
途中でゲームキューブからWiiに変わり・・・。
宮本さんが昔、「ゲームって完成しないものなんですよ」
と言っていましたが、
難産のときは本当に難産なんですよね。
川瀬
お客さんが望んでいるときに出したかったのですが、
やっぱり動きが気持ちよくなければいけない、とか
お客さんにおどろいてもらいたい、という気持ちが強くて、
なかなか完成形として世に出せずにいました。
その難しさをずっと感じていた11年間でした。
岩田
わかりました。ではつぎに、熊崎さん、
熊崎さんとカービィの関係と、
これまでの歴史について話してもらえますか?
熊崎
はい。今作『星のカービィ Wii』の
ディレクターを務めました、熊崎信也です。
おもに全体の監修や調整、
シナリオやテキスト周りも書きました。
よろしくお願いします。
岩田
よろしくお願いします。
熊崎
わたしが今作にかかわったのは2010年3月からになります。
それまでにかかわったカービィは
『タッチ!カービィ』(※8)などをつくり、
『ウルトラスーパーデラックス』(※9)では
ディレクターを務めました。
その後、ニンテンドー3DS内蔵ソフト関係の仕事をしましたが、
その途中にWiiでカービィをつくる話が社内で出まして、
わたしに企画の話がきました。
※8
『タッチ!カービィ』=2005年3月、ニンテンドーDS用ソフトとして発売された、ペンアクションゲーム。
※9
『ウルトラスーパーデラックス』=『星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』。2008年11月、ニンテンドーDS用ソフトとして発売された、アクションゲーム。
岩田
その企画の話がきたとき、
目の前には何があったんですか?
熊崎
3つめのカービィが終了になり、
それぞれのカービィの途中段階のものが目の前にありました。
岩田
じゃあ、開発途中の3つのアウトプットが目の前にあり、
そこから何を活用し、何を新たにつくり、どうまとめるか、
というところからはじまったわけですね。
熊崎
はい。わたしもその間、ずっと社内にいて、
ほかのプロジェクトを担当しながら
王道カービィのプロジェクトを傍目から見ていたんです。
わたしはちょうど勤めて10年目になりますので、
王道カービィが出なかった期間分だけ、
傍目から見て、いろいろと考えることができました。
岩田
ああ、そうか。
熊崎さんが入社してから、
テレビゲーム機ではカービィが出ていないんですね。
熊崎
はい、据置型ゲーム機ではそうなります。
ですから、その間にたっぷりと考える時間があったのです。
でも、いざつくるとなると、
それぞれのチームが思いを込めてつくってきたものなので、
簡単に変えたり壊したり、
組み替えてつくりなおすわけにはいかない部分が
それぞれの思いの分だけありました。
岩田
10年分の人の思いを背負っていますからね。
でもゲームっていうものは、
できるときには1年半でできるんですよねぇ。
熊崎
制作期限もはじめに「1年半で」と言われましたし。
岩田
最初、「えーっ? そんな短い期間では無理ですよ!」
とは思いませんでした?
熊崎
(少し考えて)
いえ・・・「やってやろう!」と思いました。
そう思えたのも、以前に『ウルトラスーパーデラックス』を
担当していたことが、経験として役に立ちました。
岩田
カービィ成分が濃いものを
1回つくりなおすことによって、
感覚が体にしみ込んだんでしょうね。
今回、出口から出られたポイントは
どこにあったと思いますか?
熊崎
ありがたいことに、つくりたいと思ったものを
いっしょに実現してくれるメンバーの力が
大きいと思っています。