岩田
まずは今回の『スマブラX』が
どこからはじまったかという話をしましょうか。
はじまりは、E3ですね。
桜井
そうですね。
岩田
2005年の5月、
世界的なゲームイベントであるE3で、
私はWiiに関する発表をすることになっていました。
当時はまだWiiが「レボリューション」という
コードネームで呼ばれていたころです。
そこで、任天堂は、新しいゲーム機の筐体と、
Wi-Fi対応になるという仕様を発表しました。
その発表に先立って、私たちは多くの人たちに
「ネットワーク化してほしい
任天堂のタイトルはなんですか?」
ということを調査したんですが、そのとき、
多くの人が『スマブラ』を筆頭に挙げてくれたんです。
米国任天堂のE3関係者は全員揃って
「スマブラをWi-Fi対応タイトルとして発表したい」と
いう希望を強く持っている一方で、
その時点では、スマブラの制作体制については
スマブラの権利を任天堂と共有している
HAL研究所ともまだ調整がついておらず、
具体的にどのように制作するかは
まだ、全くめどが立っていない状態でした。
そこで、「Wi-Fiのタイトルとしてスマブラが
作られるようにプッシュしている」という表現で
話をしたのですが、
会場にいた日本の人達は、ほとんど、
「任天堂がスマブラを発表した」と
認識してしまったんです。
今から考えれば、このように受け取られても
無理はない面があるなぁ、と反省しているのですが...
桜井くんにとっても、寝耳に水だったでしょうね。
桜井
ええ、寝耳に水でした(笑)。
会場でいきなりそれを聞きましたから。
岩田
E3の会場で、まわりの人から
「『スマブラ』つくるんですか?」
って聞かれてたいへんだったそうですね。
桜井
困りました(笑)。
わたしはどう答えたらいいんですか、っていう。
岩田
それで、ショウの会期中に、
私がホテルに泊まってた部屋に来てもらって、
自分がやりたいことを桜井くんにしゃべって、
そこからようやくスタートするんですね。
仕様はおろか、体制もなにも決まっていない。
桜井
わたしがHAL研究所をやめたことが
話をややこしくしているんですよね・・・・・・。
岩田
ちなみに、断られたときのことも私は考えていて、
もしも桜井くんが関われないなら、既存の『スマブラ』、
つまりゲームキューブ版の『スマブラDX』を
なるべくバランスを崩さないようにして、
なんとかWi-Fi化しようと考えていました。
というよりも、桜井くんが関わらないならば、
『スマブラ』に新しい要素を加えることは
できないだろう、というふうに思っていました。
たしか、ホテルに来てもらったときも、
そういうふうに言いましたよね。
まあ、しかし、言葉はたいへんよくないですが、
あれは、ちょっとした「脅し」のような。
桜井
ええ。立派に「脅し」です。
岩田
(笑)。
桜井
あのときは、本当にわたしは、
フリーのゲームデザイナーとして、
ほかの会社から仕事をもらうために、
E3で最新のハードやソフトの情報を仕入れて、
自分の今後を決めていこうと思ってたんです。
そしたら、そういう話があって。
そのときすでに別の仕事依頼が入っていたこともあって
いろいろと悩んだんですが。
でも、やっぱり、
自分の仕事のあらゆる可能性を考えても、
新しい『スマブラ』をつくる以上に
人に喜んでもらうということはできないと思ったんです。
たくさんの人が楽しみにしているというのは
もう、はっきりしていましたから。
それで、お受けすることにしました。
まぁ、やらざるをえない、と。
岩田
ありがとう。
しかし、そこからすぐに開発に入れるかというと
そうではないんですよね。
桜井
スタッフがいませんからね。
わたしはフリーですから。
いや、しかし、本当に
無茶なことをしますね(笑)。
岩田
(笑)。