岩田
トップパネルでどんな悪戦苦闘があったのか、
その話に入る前に、天野さんからも話を訊くことにしましょう。
デザインはどのくらいの段階から機構の人のところにいくんですか?
天野
設計メンバーもけっこう早い段階から関わっていました。
四角の枠のなかに部品をはめていくという作業を
デザインが決まる前からはじめていましたし。
岩田
ちなみに、DSiのサイズを大きくしようとすると、
どういうことが難しくなるんですか?
天野
今回は、最速でつくるというテーマがありましたので、
基本的な構造は変えない方針ではじめました。
ただ、サイズが大きくなることで
果たして信頼性は大丈夫か、という心配がありまして。
岩田
大きくなって重くなるということは、
落としたときのダメージを受けやすくなりますからね。
天野
そうです。
先ほど、大型のDS Liteの話が出ましたが、
今回はそれよりひとまわり大きくなった上に、
実は薄くなっているんです。
また、軽量化のために内部の補強も
最低限からスタートしたので、
強度面ですごく心配になりました。
岩田
任天堂では新しい携帯ゲーム機をつくるたびに、
過酷な落下試験を行うことが恒例になっていますが、
「今度のDSi LLは大きいので許してほしい」
とは言えないですからね。
天野
言えないです(笑)。
だから1回落としたらバラバラになるんじゃないかと、
最初はすごく恐かったですね。
岩田
その落下テストを実際にやってみると、
結果はどうだったのですか?
天野
今回は早い段階から本体の組み立てを行ったんですけど、
思ったより壊れなかった印象でした。
岩田
その点はスムーズだったんですね。
天野
はい、その点は(笑)。
2009年の6月くらいに最初のサンプルがあがって、
思ったよりも壊れないことがわかりまして、
そのまま順調にいくのかなと思いました。
桑原
その頃はね(笑)。
天野
はい、その頃は(笑)。
岩田
最初のサンプルがあがってくるまでは順調だったのに、
突然、順調でなくなることが起こってしまったと。
それでは、中国で米山さんたちが
どんな獅子奮迅の活躍をしたのか、
その話を訊きましょうか。
米山
はい。
天野さんが言ったように、
6月くらいに最初のサンプルができたんですけど、
それがそのまま商品にできる段階ではなかったんですね。
日本では手作り試作品はつくりますけど、
量産するのは中国ですので。
岩田
かつては、日本で最初の量産をしてから、
そのあと中国で量産、という時代もありましたが。
米山
最近は、いきなり向こうで、
量産の前の開発試作という段階から
2段階、3段階をやるようになっています。
で、今回、いちばん試行錯誤したのが、
デザイン的な目玉でもあるトップパネルだったんです。
もとから大変なものだとは思っていましたけど、
やってみるといろいろ不具合が出てきまして、
なかなかそれを解決することができなかったんです。
苦闘は7月の中盤くらいからはじまりまして、
8月に本社に出社できたのはわずか1日だけでした(笑)。
天野
僕は8月から9月にかけて、
本社に一度も出社できませんでしたから(笑)。
日本に帰ってきたのも、お盆休みだけで。
トップパネルのおかげで
米山さんと藤野さんと
ずーっといっしょに中国にいたんです。
岩田
トップパネルでは
どんな問題が起こったのですか?
天野
はい。
まず最初に割れが発生しまして、
それが解決したと思ったら、変なところに模様が出て、
それが解決したと思ったら、
トップパネルの裏面を印刷する接着強度が弱くて、
一度落下させると簡単にトップパネルが
はがれるという問題が発生しまして・・・。
米山
トップパネルは透明のプラスチックを
ぺたっと張っただけのように
見えるかもしれないんですけど、
実は裏面には4回も重ねて印刷しているんです。
それで、インクのシンナー成分が
プラスチックを侵してしまうような問題も起きてしまいました。
天野
プラスチックのことは
プラスチック屋さんがよくご存知ですし、
塗料のことは塗料屋さんがご存知です。
それぞれにいろいろ相談して
検証も協力していただいたんですけど、
この組み合わせでつくった人はいないですから、
誰も答えを知らないんです。
岩田
だから、パズルを解くような感じで、
どんな塗料をどんなシンナーに溶かしたら
いちばんいいかとか、
いろんなパラメータを変えては試し、
変えては試しを繰り返されていましたよね。
米山
ゲームのパズルはどんなに難しくても
いつかは解けるようにつくってあるんですよね。
でも、今回は答えがあるのかどうか
わからないパズルでしたので、正直、不安でした。
岩田
解けることは保証されていないけど、
とにかく試すしかないというパズルだったんですね。
米山
はい。
もちろん推測はするんですけど、
正解を求めるのが大変で。
しかも、できあがった直後は大丈夫でも、
経年変化についても確認しないといけないですし。
岩田
そのときはよくても、
購入されて時間がたってから
おかしくなるようでは困りますからね。
この点は、たとえ時間がかかったとしても、
経年変化の評価も含めて徹底して行ってほしいと
お伝えしましたよね。
天野
はい。
で、その印刷問題をなんとかクリアしたと思ったら、
DSiカメラで撮影すると、今度は、
写真の画面が白くなる問題が発生しました。
岩田
一難去って、また一難を
4、5回繰り返した感じでしたよね。
そのトップパネルは、開発試作でどれくらいつくったんですか?
天野
もう覚えてないくらいです。
1万から2万枚はつくったと思います。
岩田
1万から2万枚!
天野さん、やっているうちに
出口が見えない感じになったんじゃないですか?
天野
最初にトラブルが起きたのが7月上旬で、
8月頃は「本当に解決できるんだろうか」と思っていました。
米山
でも、宇治工場の若い技術者たちと
いっしょに協力しながらがんばって、
終いにはトップパネルに僕らの熱意が伝わったのか
いろんな問題をクリアすることができて、
最後は「・・・できたなあ」という感じでした。
天野
すべてを解決するのに丸3ヵ月かかりました。
米山
あの難題を解決できたのは、僕らのがんばりだけでなく、
宇治工場の技術部門の協力もあったからで、
それはホントに感謝しています。
そこで、量産の1号機をつくったときは、
本当にはそれどころじゃなかったんですけど、
関係者全員にメールを送ったんです。
「なんとか本日、1号機が立ち上がりました!」と。
すると、すぐに桑原さんから
「おめでとうございます!」という返事が戻ってきて。
桑原
そうでした(笑)。
岩田
中国で3人が悪戦苦闘しているとき、
桑原さんは何をしていたんですか?
桑原
日本にいて、ただただ見守るだけで。
あまりせっついてもよくないですので
すごく気を遣っていました。
藤野
でも、携帯ゲーム機をつくっていると、
いつも何らかのトラブルがあるじゃないですか。
でも今回はトラブルがなかったので・・・。
岩田
途中まではね(笑)。
藤野
途中までは、ですけど(笑)。
だから、うちっぽいなあと思いました。
桑原
トラブルがあるのは
あまりいい話じゃないですよね(笑)。
藤野
でも、このトップパネルさえなければ
順調に仕上がっていたはずなので、
「どうしてこのデザインにしたんだ!」と
怒られたこともありました。
米山
・・・それ、僕が言ったんじゃないよね?(笑)
藤野
あ、いえいえ、違います(笑)。
一同
(笑)