社長が訊く
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社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

第7回:『DEAD OR ALIVE Dimensions』

目次

2. 「天狗の鼻を折らないと」

岩田

いま思い返すと、わたしも大学を出たばかりのころは、
ただ、がむしゃらにものをつくって、人に見せて・・・
というところからはじまっていました。
多分、当時はまだ“ゲームデザイン論”が進歩していないので、
「自分の発想は本当に世の中に通じるのか?」
というところからスタートしていたと思うんです。

早矢仕

そうですね。
先人の方々がやってきたことと、自分の経験が
“掛け算”になって、いまの自分の力になっているんです。
大学生のころの自分は、経験がゼロですから
なにを掛けてもゼロなんです。

岩田

逆に言えばゼロからスタートするので、社会に出て、
先輩たちがプロとして働いているところを見て、
白紙の状態で吸収していけるんですよね。
でも若いからつい「自分はデキるぞ」とアピールしがちなので、
何と言うか・・・表面の飾りみたいなものが
取れてからが本番になるんじゃないんですか。

早矢仕

そうですね。変な言い方ですけど、
「1回天狗の鼻を折らないと、本当の経験にはならない」
とよく新人には言っています(笑)。

岩田

ああー・・・今の表現はTeam NINJAさんという
体育会系の感じが、すごくします(笑)。

早矢仕

あ、そうですか(笑)。
ゲームを自分たちで面白くしていく瞬間というのは、
開発チームのなかにいてこそ伝わるもので、
「ゲームはこう変えると、こう面白くなるんだな」
って気がつくんですよね。

岩田

昨日と今日で、1カ所触っただけで
ゲーム全体の印象が大きく変わることがありますけど、
その決定的な変更をピンポイントで指摘できたら
プランナーとして本物ですよね。

早矢仕

はい。日々の決断で、
どんどんよくなっていくことが、ものすごく楽しいです。
今回、ニンテンドー3DSという開発中の新ハードでのソフトづくりは
なかなかゴールが見えなかったんですが、
つくり手としては面白かったです。

岩田

“ゲームづくり”というゲームを
遊んでいるような感覚でしょうか(笑)。

早矢仕

そうですね(笑)。先の見えない分
スタッフもつらいでしょうし、
まわりの人には心配されるんですけど、やはり楽しいです。

岩田

早矢仕さんの「楽しい」という言葉は、
いままでに何度も乗り越えてきた経験があるからこそ
説得力がありますよね。
そんなふうに肝が据わるまで、どれくらいかかりましたか?

早矢仕

プランナーとしていくつかのプロジェクトを担当したあと、
4年目くらいに、全部任されたプロジェクトがあったんです。
そのときはじめて、締め切りに向けて
着陸させなきゃいけないポジションを経験しました。
ゲームをつくるとき、よく「着陸させる」って言い方をしますけど、
ゲームづくりはまるで“飛行機の着陸”みたいですよね。

岩田

もっと言えば、飛行機で飛びながら降りる場所を探していて、
あそこなら大丈夫そうだ、と決めて降りるんですね。
1回目のプロジェクトから、着陸はうまくできたんですか?

早矢仕

はい。着陸はさせましたけど、むしろ反省がたくさんありました。
それから、だんだん任されるプロジェクトが大きくなるにつれて、
いろいろな不確定要素が増えていくので、
プロジェクトによって飛び方が違うことを学びました。

岩田

段階的に、より責任の重いプロジェクトを担当されたんですか?

早矢仕

はい。それもちょうどご縁で、恵まれているなと感じます。

岩田

正直、早矢仕さんがその若さで、
あのTeam NINJAさんをまとめられている・・・。
しかも先輩のいないわれわれの時代ならまだしも、
先輩のいるこの世代で、そういうことができているのは
ちょっと珍しいことではないかと感じていたんです。
いままでどういう経験をされてきたのか、わたしは興味があって・・・。
多分、ただ順調にここまで来られたわけじゃないですよね。

早矢仕

そうですね・・・。
キッカケは、Team NINJAのなかで
大きいプロジェクトと小さいプロジェクトをやることになって、
その小さいほうを僕にやらせてもらえたことでした。

岩田

どうして自分に任されたんだと思いますか?

早矢仕

うーん・・・なぜですかねぇ。
僕がわがままをいったのか、
上司がそれでいけると踏んだのか、わからないですけれど、
僕自身、「大きいプロジェクトのなかで
ゲームの面白さにかかわれないポジションはイヤだ」
という気持ちはありました。
結果的に、小さいプロジェクトを任されたことが、
僕にとって貴重な経験だったんです。

岩田

先輩のいない時代だったわたし自身も、まずひとりで考え、
3人で考え、5人で考え、10人で考え・・・と
徐々にステップを踏めたことはラッキーだったと思うんですが、
わたしよりも遥かに若い世代の早矢仕さんが、
これだけの大きいプロジェクトをこの年齢でまわせるまで、
どんなステップを踏んだのか、すごく興味がありますね。

早矢仕

会社のノルマで、1年に1本は出すことに加えて、
2年~3年かかるプロジェクトもやらせてもらえたんです。
それで1年ごとに仕事が増えていきまして、いまでは
複数のプロジェクトをできるようになりました。
ステップを踏んで、自分の担当分野が広がっていったのは
本当にラッキーでした。

岩田

複数のものを担当するようになったのは、いつからですか?

早矢仕

27くらいからです。でもそのとき、パソコン的にたとえれば
「自分のCPUが足りないな・・・」と思いました。

岩田

マルチタスク(※9)をするには、
少しパワーが足りなかったわけですね(笑)。

※9
マルチタスク=1台のコンピューターで同時に複数の処理を行うことを表す情報処理用語。
ここでは、ひとりで複数のプロジェクトを同時に進行することを意味する。

早矢仕

はい。それで「なんて自分はだめなんだろう・・・」って
落ち込んでいたんですが、複数の仕事を与えられると、
そんな落ち込む暇もなく、鍛えられていくもので(笑)。
いざまわしてみると、「あ、人間って成長できるんだな」
って実感できたので、いま、僕は幸せです(笑)。

岩田

ああ、いいですねぇ。
ものをつくっている方が幸せそうにしている姿が、
わたしはすごく好きで、
もっと言えば、「そういう場を少しでも増やすために
自分ができることは何でもやろう」と思っていて、
それがわたしの仕事の動機のひとつだったりするんです。

早矢仕

開発者の幸せな思いは、ゲームに出ると思っています。

岩田

そうですね。
明らかに、商品に何かが乗り移っていると思います。

早矢仕

開発者たちが1年2年かけた・・・
かっこいい言い方をすれば“生き様”みたいなものが、
何だか“におう”んですよ。

岩田

「このチーム、ご機嫌な感じがするなあ」とか、
逆に「ここはすごく投げやりだなあ」とか、
全部見えちゃいますよね。

早矢仕

僕にとって最初は神様がつくったゲームだったので、
そのころ見えなかった開発者たちの想いといいますか(笑)、
いまは、ゲームがものすごく人間くさく感じるんです。
それがわかるようになって、本当に愛おしくなってきました。
開発スタッフは開発期間の間、1本のゲームと共に生きているわけです。
ただ遊んでもらう皆さんには、そんな重く受け止めてもらわずに
単純に、ウケて欲しいんです。

岩田

「こんなことに対して、ここまでやったんだ」ということに
ウケてもらえたら、すごく幸せになりますよね。

早矢仕

そうです。ほめるだけじゃなく、
「くだらない」でも「腹が立つ」でもいい。
とにかく何か、反応していただくことがうれしいんです。

岩田

つくる側からすると、「無視」がいちばん残酷ですからね。
「批判」も次のエネルギーになりますし、
どんなに努力しても、有限の時間と制約のもとでつくるから、
心残りがないものはありませんから。

早矢仕

そうですね。ただ買っていただく以上、
「お客さんへの言い訳は絶対にいけない」と思っています。
お金をいただくだけの価値がある、と僕らが思ったものを
最終的には出していきたいといつも思っています。

岩田

言い訳ではないけれど、自分のなかの反省を次に活かして、
次にものをつくるときのエネルギーになっているんですよね。

早矢仕

そうです。
何の反省もなしに、次のプロジェクトが
動きだすことはないですから、毎年、すごく楽しいですね。