4. “昔っぽいつくり方”
岩田
先ほど“昭和40年代の未来感”という話がありましたが、
実際に制作されているスタッフの中には、昭和50年代生まれや、
それこそ平成生まれの方も混じっていますよね。
そういったスタッフの方たちとはどのように制作を進めたんですか?
内海
制作中に大変だったのは、
自分がもつイメージを現場の人たちに伝えたいとき、
おたがいの中に、それを表現できるような
共通言語がなかったことなんです。
岩田
共通の体験がないからですよね。
内海
はい。同世代なら、
「あの本に載っていた、ああいう感じの・・・」
と言えばすぐにわかるんです。
でもそれを若い世代に伝えるときは、
自分のイメージに近いアニメなどを探してきて、
それを見せながら説明して伝えるようにしていました。
岩田
翻訳が必要になってくるんですね。
高部
そうです・・・たとえば、
「ここのランキングボードは『ザ・ベストテン』(※15)みたいに」
と言っても通じなかったり。
一同
(笑)
大崎
バタバタバタ・・・と回っていく、
あのドキドキ感が若い世代には伝わらなくて(苦笑)。
高部
あと、ミクのダンスをつくっているときに、
「(松本)伊代(※16)ちゃんみたいに敬礼して」
と言っても伝わらなかったり。
一同
(笑)
内海
今回の初音ミクのダンスは、
“80年代のアイドル”というのが
ひとつのテーマになっているんです。
岩田
へぇ~、そうなんですか。
内海
いまのアイドルのダンスって、
すごく進化しているじゃないですか。
あんまりミクがレベルの高いダンスを踊ってしまうと、
かっこよすぎてしまって
上のほうの世代に伝わらないんです。
「ちょっと隙をつくりたいなあ」と思いまして。
それこそ1980年代とか、
もう少し後の90年代のダンスをテーマにしています。
岩田
でも、未来感を意識してつくったものに、
一昔前のものをもってくるという組み合わせが
何だか面白いですね。
高部
ところがですね・・・逆に若い人、
それこそ『ザ・ベストテン』を知らない世代が見ると、
「なんか新しい!」という感想が出たりするんです。
岩田
そうなんですか。
それは流行が一回りするようなものなんでしょうか。
ネクタイも細くなったり太くなったりしますし。
大崎
そうかもしれません(笑)。
ただ、やっぱりずっと思っていたのは、
若いスタッフたちは、『初音ミク』のユーザーに
近い感覚をもっている、ということですね。
とくに、うちでいちばん若いスタッフは
ミクにどっぷりで、
実際に絵を投稿したりしているんです。
岩田
仕事でも趣味でもミクなんですね。
大崎
そうです。
「ファンはここにグッときます!」
ということを逆に教えてもらって、
若い世代と昭和40年代とが、
おたがいに教えたり、教えられたり、
「いい化学反応を起こせたんじゃないか」
と思っています。
岩田
ジェネレーションギャップが生み出す化学反応ですね。
大崎
そうです。
むしろ違っていてよかったですね。
高部
まあ・・・
喧々囂々(けんけんごうごう)やるんですけどね、現場では(笑)。
岩田
でもやっぱり、おたがいに違う価値観で育ってきて、
違う経験をしていて、コミュニケーションをとることも
難しいけれど、それが混じり合うことで、
新しいものが生まれるんですよね。
内海
本当にそうだと思います。
そういえば、セガの社風はわりと
プロデューサーが「右!」と言えば右、
というふうにゲームをつくっていくことが多いんです。
でも、『初音ミク』関連のプロジェクトはみんな、
周りの若手スタッフたちが
「こっちじゃないですか?」と、
プロデューサーを支えていく形でした。
大崎
そうそう。
「朝令“昼”改」が合い言葉だったくらいですから。
岩田
「朝令暮改」どころではなく、
朝言った方針を昼には変えてしまう、ということですか。
大崎
はい。『初音ミク』はもともとユーザーが育てたものですから、
つくったものを改めてファン目線で見てみるんです。
そして「違う」と思ったら、即、直します。
うちのプログラマーはプライドが高いので、
「ちくしょう!」とばかりにすぐ直してくれます(笑)。
特に、マーケティングの人たちは、わざわざ
席のところまで「違う」と伝えに来て、
プログラマーを刺激していくんです。
高部
いえ、聞こえるように、
遠くで言われたこともありましたよ。
大きな声で。
一同
(笑)
大崎
ずっとこんなふうだったから、
僕は、それこそ今回のゲームづくりは、
「90年代っぽいつくり方だったなあ」
と思うんです。
岩田
大崎さんは、はじめに“昔っぽいつくり方”
とおっしゃっていましたよね。
具体的にはどういうつくり方なんですか?
大崎
たとえば、僕はデザイナーだから、
プログラムのことは何も言わないとか、
プログラマーだからデザインのことは何も言わないとか、
そういうことがないんです。
岩田
ああ、分業にこだわらずに、
いろいろなところに口も手もアイデアも出すような
つくり方をしていた、ということですね。
確かに、分業が進んで権限と責任がわかれていくほど、
たがいに口を出せなくなっていきますよね。
「それはお前が口を出すことか!」
という空気に支配されてしまって。
大崎
そうなんです。
でも『初音ミク』のプロジェクトに関しては、
ファンの期待にしっかり応えられるように、
「全員で戦える用意をしよう!」
という意識が働くみたいなんです。
内海みたいなマーケティングの人たちも、
普通は開発の現場にこないものなんですよ。
でも、内海はいちばんミク文化を知っている人ですし、
ユーザーに近い人でもあるので、マメに通ってもらいました。
内海はプログラマーでも、
デザイナーでも企画でもないけれど、
ミクファンのためのゲームをつくるために、
全部の現場に回って、口を出してもらいました。
内海
確かに、ふだんはあまり現場には行かないのですが、
初音ミクに関してはだいぶ顔を出しました。
岩田
それはどうしてなんですか?
なにが内海さんを駆り立てていたんですか?
内海
そうですね・・・。
今回は新しいことへのチャレンジでしたし、
最初は完成形がまったく見えなかったので、
現場へ顔を出して意見を言うたびに
ゲームが変化していくことが、
すごく楽しかったんです。
岩田
内海さん自身がワクワクされたんですね。
内海
はい。あと、現場の若いスタッフたちが
デザイナー、プログラマーとしての立場と、
ファンとしての立場の狭間で、
自分が主張していいのかわからないというとき、
「背中を押してあげたいな」という気持ちがありました。
ほら、こっちのふたりがとにかく強面だから、
みんなビクビクしちゃって・・・(笑)。
大崎・高部
おいおい! そんなことないよ!(笑)
岩田
(笑)。
でも、スタッフ一人ひとりが、
それぞれの分野のプロフェッショナルであると同時に、
「あらゆる分野に口を出してもいい、ミクファン」
ということがチームの共通認識になっていたから、
90年代のような職域を超えたゲームづくりがしやすかった、
ということなんでしょうかね。
大崎
はい。少し難しい修正でも、
「これはミクファンに向けて出せません! キリッ!」
と言うと、みんなは直さざるをえないんです(笑)。
すごくハードルが上がっていて、
「ミクさんを背負って、へたな真似はできない」
という気持ちが、全員に浸透していました。
岩田
じゃあ、意見を言われたときに、
言われた側がそれを受け入れるだけの覚悟が、
スタッフ全員に共通してあったんですね。
大崎
そう思います。
本当に今時のつくり方じゃないですよね。
最初はそんなつもりはまったくなかったんですけれど、
“初音ミク”の文化という背景があって、
結果としてそうなった、という感じです。