社長が訊く
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社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

第13回:『THEATRHYTHM FINAL FANTASY』

目次

2. 『シアトリズムFF』が生まれた理由

岩田

開発をされている方には
2通りのタイプがあるんですよね。
ずっと「モノをつくりたい」っていう情熱があり、
プログラムや絵を勉強して開発に飛び込んで、
そこから経験を積み上げていく、
というのがひとつです。

はい。

岩田

もうひとつは、それまで
まったく違った分野にいたけれど、
何かのきっかけでゲームの世界に入って、
もとの分野がそこに活かされハマった、というタイプ。
わたしは完全に前者のタイプですが、
間さんの場合はどちらかというと
後者のタイプということになりますね。

そうですね。
僕の場合は、興味もあって、
分野的に近いところにはいたけれど、
そこをポンと超えるきっかけを得るまでに
時間がかかった気がします。

岩田

「ゲームをつくりたいけれど、
 特別な技術を持っていないので
 どうしていいかわからない」っていう人は
結構多いんじゃないかと思うんです。
だから間さんのケースは、
「日々、目の前のことに一生懸命向き合っていたら、
 じつはこんな道につながりました」っていう、
典型的なロールモデル(お手本)だなって思いながら、
お話を訊いていました。

いま、改めて思ったことなんですけど、
自分はやっぱり、クリエーターに対して
すごく尊敬の念を持っているんです。
誤解を恐れずに言うと、
「何てこの人たちは馬鹿なんだろう」って・・・。

岩田

いい意味で、“馬鹿”なんですね。

そうです。
世間に対して、丸裸じゃないですか。
自分の好きなこと、信じるものを世に送り出して、
それがときには叩かれることもある中で、
それでも笑ってモノづくりを続けていくには、
強い信念がないと絶対できないですよね。
クリエーターのなかでも、それを踏ん張って
最後までできる人って本当に数少なくて、
だから僕はものすごく尊敬しているんです。

岩田

間さんが、そのつくり手の側として、
スイッチを切り替えて、
初めて担当された仕事は何だったんですか?

自分から提案した、という意味では
この『THEATRHYTHM FINAL FANTASY』が、
初めてになります。

岩田

まさに、デビュー作なわけですね。

はい。この前にも、
『FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN』(※5)という
映像作品などをやらせてはいただいてるんですが、
どちらかというとディレクターの野村や、
COディレクターの野末(武志)(※6)
シナリオの野島(一成)さん(※7)がいたからできたもので、
自分はそれをサポートする形でした。

※5
『FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN』=『ファイナルファンタジーVII』の続編として2005年9月に発売されたフルCG映像作品。
※6
野末武志=スクウェア・エニックスに所属するクリエーター。『FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN』COディレクター。『ファイナルファンタジーIX』以降のシリーズのムービー制作を担当。
※7
野島一成さん=ゲームシナリオライター。スクウェア独立後も有限会社ステラヴィスタ代表として『ファイナルファンタジー』シリーズに多くかかわる。

岩田

そのとき間さんは、
尊敬するクリエーターとの関係の中で、
自分の役割をどのように考えていましたか?

かっこいい言い方をすると、
お客さんに喜んでもらうのは当たり前で、
そこに、つくった人間たちもみんな、
笑顔になれるようなことをしたかったんです。

岩田

クリエーター自身が「つくってよかった」と思えたり、
次へのエネルギーがわいてくる状況をつくること、
それらをひっくるめて自分の仕事、ということですか?

はい、そういう気持ちでした。
でも『ADVENT CHILDREN』では
最後、それが逆転してしまったんです。

岩田

どういうことですか?

これは後で言われたんですけど、
商品の発売の2週間くらい前から、
自分の様子がちょっと不安定だったらしいんですね。
できることは、もう何もないのに、
何かしていないと落ち着かないというか。
で、それを感じた野村とか野末から
「大丈夫、売れるから!」って言われて(笑)。
本当は、それは自分が彼らにかけるべき言葉じゃないですか。

岩田

「支えなきゃいけない」と思っていた人たちを、
支えられなかったんですね。

そうです。
自分がいざ初めてその立場になったとき、
怖かったんだと思います。

岩田

でもやっぱり、間さんの根っこには、
モノをつくる人間たちへの強い憧れや敬意が、
エネルギーとしてあるんですよね。
いまのお話からも、今回『シアトリズムFF』が
なぜ生まれたのかという、一端がわかった気がします。

やっぱり、つながってますかね?

岩田

つながってますよね。というのは、
こういう企画は、そもそも『FF』の映像や音楽に
人の心を動かす力があることを熟知していて、
かつ、それを生み出した多くのつくり手に、
理解と敬意を持った人間じゃないと
実現できないはずなんです。

最初に『シアトリズムFF』を提案したのは
『ADVENT CHILDREN』を
つくり終えた後でした。

岩田

『FF』の映像と音楽に特化した
商品をつくった経験が『シアトリズムFF』発案の
きっかけになっているんですね。

そうです。
当時はDSで企画を考えたんですが、
容量だったり、表現能力に折り合いがつかず、
制作には至らなかったんです。
だから、ニンテンドー3DSを最初に見たとき、
自分の中で「時が来た!」って、思いました。

岩田

はい(笑)。

それからすぐ、今回開発を行っている
インディーズゼロ(※8)さんに行って企画を詰めて、
野村に提出したら、もうその日のうちに、
「おもしろいし、いいんじゃないか」って話が進み、
開発をスタートさせることができたんです。

※8
インディーズゼロ=有限会社インディーズゼロ。ゲーム制作会社。任天堂と電通が共同で行った新規人材発掘プロジェクト「任天堂・電通ゲームセミナー」のメンバーを中心に1997年に設立。任天堂、バンダイナムコゲームスのゲームも多く手がける。

岩田

素朴な質問なんですが、
『FF』の過去シリーズを網羅するとなると、
野村さん以外にも話を通すべき大御所のみなさんが、
おそらく社内外にたくさんいらっしゃいますよね?(笑)

はい(笑)。
歴代の生みの親たちには
直接、ゲームを遊んでもらいました。

岩田

以前、映像で制作された
やってもらいました!!(※9)ですね(笑)。

※9
「やってもらいました!!」=「ニンテンドー3DSカンファレンス 2011」で公開されたプロモーション映像。田中弘道氏、河津秋敏氏、北瀬佳範氏など、歴代『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親が、今作『THEATRHYTHM FINAL FANTASY』を体験する様子が収録されている。

もちろん、あの前に確認はとっていますが、
あれがお墨付きの既成事実になったというか・・・。

岩田

それ・・・わたしが『スマブラ』(※10)のとき
やったことに似てるので、よくわかります(笑)。

※10
『スマブラ』=『大乱闘スマッシュブラザーズ』。1作目は1999年1月、NINTENDO64用ソフトとして発売された対戦アクションゲーム。

一同

(笑)

そうなんですか!?

岩田

でもあれは、反則技ですよね(笑)。
『スマブラ』は、わたしの人脈の限りを尽くして、
いかに断られずにお願いするか、かなり考えました。

そうなんですね。でも正直に言うと、
坂口(博信)さん(※11)や植松(伸夫)さん(※12)には
直接お話に伺ってないんです。
植松さんには「やります!」っていうメールで
宣言したんですが、ちゃんとした手順では
話せていないかもしれません・・・。

※11
坂口博信さん=『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親。2001年に独立し、ゲーム開発会社・ミストウォーカーを設立。
※12
植松伸夫さん=『ファイナルファンタジー』シリーズをはじめ数多くのRPG作品を手がける作曲家。

岩田

でも植松さんなら、
音楽を大事にされていることが伝われば、
きっと「うん」と言ってくださるでしょうね。
あと個人的には、あの紹介映像に映ってない部分での、
生みの親のみなさんの反応に興味があります。

『FF』に対してはそれこそ、
お父さんのような感じで話を聞いてくれました。
自分の勘違いでなければ、
応援してくれているような気持ちを感じました。

岩田

きっとみなさん、嬉しいんですよ(笑)。
「大事にしてくれてる」っていうのを感じて。
そこには間さんの、
『FF』に対するリスペクトっていう軸が
ちゃんと伝わったってことなんじゃないんですか。

・・・だとしたら、すごく嬉しいです。
いろんな人に喜んでもらいたいという
気持ちからできたものなので。
自分にとって、すごく嬉しいです。