岩田
かつてスーパーファミコン用に発売した
『スーパーマリオコレクション』(※1)というソフトを
今回、Wii用に復刻するかたちで世に出すことになりました。
当時、担当した人を調べてもらったら、
杉山さんと森さんの名前が挙がったんです。
そこで突然お願いすることになりました。
杉山
いや、本当に困りました(笑)。
ずいぶん昔のことなので・・・。
岩田
よく覚えていない・・・かもしれない人に
社長が訊くということで(笑)。
杉山・森
(笑)
岩田
よろしくお願いいたします。
杉山・森
よろしくお願いいたします。
※1
『スーパーマリオコレクション』=1993年7月に、スーパーファミコン用ソフトとして発売。『スーパーマリオブラザーズ』『スーパーマリオブラザーズ2』『スーパーマリオブラザーズ3』『スーパーマリオUSA』の4タイトルを収録。
杉山
実は今回のインタビューの話を聞いて、
慌てて押し入れの奥から
スーパーファミコンと『マリオコレクション』を出して、
ちょっとリハビリしてきたんです(笑)。
岩田
(笑)。
久しぶりに遊ばれた印象はどうでしたか?
杉山
それはもう、いまでも遊べて、指が勝手に動くんです。
岩田
指が覚えているんですね(笑)。
杉山
そう、覚えてるんです。これが不思議で(笑)。
こんなに長い間やってなかったのに、
ここでグッと力を入れるとか、ちゃんと覚えてて・・・。
岩田
ちなみに17年前につくった『マリオコレクション』の
開発についても、いろいろと思い出されましたか?
杉山
それがまったく・・・(笑)。
岩田
ゲームの遊び方は指がしっかり覚えているのに(笑)。
杉山
記憶がすごくあいまいです(笑)。
岩田
おふたりはいまも開発の第一線で活躍されていますけど、
スーパーファミコンの『スーパーマリオコレクション』をつくった当時、
それぞれどんな立場だったのですか?
杉山
メインのディレクターは別の人が担当されていて、
僕はそれをサポートするサブディレクター兼デザイナーでした。
森
僕は入社3年目くらいのデザイナーでした。
岩田
そもそも『マリオコレクション』を
どうしてつくることになったのか、覚えておられますか?
杉山
確か・・・『スーパーマリオカート』(※2)の開発が終わって
しばらくしてから、宮本さんから出てきた話だったと思います。
『マリオ』シリーズを1本にして、
お買い得パックをつくりたいという話があって。
で、そのなかには『スーパーマリオ2』(※3)のように
ディスクシステムであまり遊ばれていないソフトもあって、
もう1度、お客さんたちに遊んでいただく機会を
つくれるんじゃないかと・・・そういう話だったと思います。
※2
『スーパーマリオカート』=1992年8月に、スーパーファミコン用ソフトとして発売されたレースゲーム。
※3
『スーパーマリオ2』=『スーパーマリオブラザーズ2』。1986年6月に、ファミコンディスクシステム用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
岩田
ファミコン時代に出た『マリオ』シリーズ4作を
スーパーファミコン用につくって、お買い得に提案しよう、
というのがそもそもの発端なんですね。
杉山
そうです。
岩田
ところで、『マリオコレクション』の
当時の仕様書が残っているようなことは・・・?
杉山
ないです(キッパリ)。
岩田
(笑)
森
本当にないんです。今回のインタビューのお話があって、
いろいろ探してはみたんですが、カケラも出てきませんでした。
・・・申し訳ありません。
杉山
僕も、自分が担当したところの、
それも紙切れに書き殴ったようなものしか残っていませんでした。
岩田
当時はまだ手書きの時代ですからね。
杉山
そうなんです。
岩田
むしろ、中郷(俊彦)(※4)さんが
25年以上前の資料を保存されていたのが、
奇跡のようなことなんですね。
では、当時の資料は残っていないということですので、
17年前のことを、頑張って思い出してください(笑)。
そもそも『マリオコレクション』の開発は
どのようなかたちではじまったんですか?
自社製品のプログラムを解析するところからはじまるんですか?
杉山
プログラムはもともと、SRD(※5)さんでしたので・・・。
岩田
SRDさんが、『スーパーマリオブラザーズ』以降、
2Dの『マリオ』のプログラムを担当されていたんですね。
杉山
はい。ですからそこはやりやすかったんです。
岩田
もともとつくっていた人が関わったり、
実際に開発した人に相談することができたわけですね。
杉山
そうです。
※4
中郷俊彦さん=株式会社エス.アール.ディー代表取締役社長。
※5
SRD=株式会社エス.アール.ディー。1979年に設立された、ゲームソフトのプログラムの受託開発や、CADパッケージの開発・販売などを行う会社。本社は大阪にあり、京都事業所は任天堂本社内にある。
岩田
とはいえ、絵のデータなどが全部残っているわけじゃないですし、
かんたんな仕事ではなかったと思うんです。
デザイナーの森さんはどんなところから手をつけられたんですか?
森
そもそも僕が最初に言われたのは、
「今風の絵にしてほしい」ということでした。
岩田
ファミコンのソフトをスーパーファミコンで動かすわけですから、
その当時の「今風の絵に」ということになったんですね。
でも、そうはいっても、
「そんな恐れ多いこと」って思いませんでしたか?
森
はい。やっぱり最初は恐れ多かったです(笑)。
『マリオ』を、しかも初代の『スーパーマリオ』を
「今風の絵にしてほしい」と言われて、
「え、それを入社3年目の僕がやっていいんですか?」
という気持ちでした。
岩田
『マリオ』は任天堂の看板タイトルなんだから、
「自分がやってもいいの?」ということになりますよね。
森
ええ。そこで、「最初にやってほしい」と言われたのが、
確か・・・最初に出てくるクッパのお城を描き直すことだったんです。
もともとファミコン版では、あのお城、
とても少ないパーツで表現されていて。
岩田
スーパーファミコンだと、たくさんのパーツを
組み合わせてつくることができたんですよね。
森
はい。スーパーファミコン版でも
パーツを組み合わせてつくることに変わりはなかったんですけど、
かなりたくさんのパーツを使うことができるようになったんです。
で、そのお城はいちばん最初にお客さんの目に入るものですから、
すごいプレッシャーがあって、かなり時間をかけた記憶があります。
岩田
『マリオコレクション』には4本のソフトが入っていますけど、
森さんはどのソフトを担当されたんですか?
森
自分が担当したのは、初代『スーパーマリオ』と『マリオ2』の背景・・・
当時は「BG」と呼んでいましたけど、
BGのグラフィックを、スーパーファミコン用に変えるために、
色数を使い、キャラクターのパーツもたくさん使って、
ひとつひとつ描き直す作業を担当しました。
岩田
いま、「BG」という言葉が出てきましたので
わたしからちょっと解説しますと、
ファミコンやスーパーファミコン、
それに初期のゲームボーイの時代には、
背景のことをBGと呼んでいました。
バックグラウンドの意味で、BGだと思います。
そのBGは、8×8ドットの「キャラクター」と呼ばれる
パーツを敷き詰めるように並べてつくっていたんですね。
森
はい。で、あとは『マリオUSA』(※6)のオブジェクト全般と
BGの半分くらいを確かやっていたように思います。
※6
『マリオUSA』=『スーパーマリオUSA』。1992年9月に、ファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。アメリカで発売された『スーパーマリオ2』の日本版。
岩田
いま出てきた「オブジェクト」という言葉をまた解説しますと、
BGの手前に、マリオだったりノコノコなどの動きのあるものがあって、
それは画面上を1ドット単位で動かせるような仕組みになっていたので
「ムービングオブジェクト」と呼んでいたんです。
略して「OBJ(オブジェ)」あるいは「オブジェクト」なんですが、
当時は「BG」や「OBJ」といった、
一般の人はぜんぜん知らない言葉を使いながら、
わたしたちはゲームづくりをしていたんですよね。
森
はい、ありがとうございます(笑)。
岩田
わたしもその時代の開発者ですので(笑)。
つまりスーパーファミコンのほうが使える色数が増えたり、
使えるパーツの数が増えたりして、いろんなことができるから、
それに合わせて絵を豪華にする、というのが
森さんの仕事だったわけですね。
森
そうです。
岩田
でも、それは単純に再現するということではなくて、
スーパーファミコン用にリメイクをしたということなんですよね。
杉山
ええ、とくに『マリオコレクション』のなかに入っている
『スーパーマリオ』と『スーパーマリオ2』はオリジナルとは違って、
キャラクターもどちらかと言うと、スーパーファミコンの
『マリオワールド』のマリオに近い感じにしました。
森
そうですね、はい。
なので、マリオに黒いフチをつけるようなこともしました。