1. パーティゲームをつくり続けてきたメンバーで

岩田

本日は『Wii Party』の「社長が訊く」ということで、
開発を担当されたNDキューブ(※1)のお2人と、
任天堂でプロデュースを担当したスタッフに集まってもらいました。
それぞれみなさん、自己紹介をお願いします。

池田

NDキューブで取締役をしております池田と申します。
『Wii Party』ではプロデューサーを担当しました。

西谷

NDキューブの西谷と申します。
わたしは札幌の技術開発部で部長をしておりまして、
『Wii Party』では全体をとりまとめるディレクターを担当しました。

※1

NDキューブ=エヌディーキューブ株式会社。2000年設立。2010年8月現在、任天堂が96%出資するゲームソフト開発会社。本社・東京。

廣瀬

企画開発部第4プロダクショングループの廣瀬です。
わたしはアソシエイトプロデューサーということで、
NDキューブさんとの窓口として、いろいろなやりとりを
細かいことから何から何まで担当しました。

岩田

小さなことから大きなことまで、ですね。

廣瀬

はい(笑)。

佐藤

企画開発部第4プロダクショングループの佐藤です。
わたしはNDキューブの池田さんと同じく、
今作のプロデューサーをつとめました。
今回の『Wii Party』をどのような商品にしたらいいのか、
スタッフのみなさんといっしょに
アイデアを出すような仕事をしてきました。

岩田

さて、ここにお集まりのみなさんは、
これまで、すごく長いおつきあいになるんですよね。

池田

はい、もう十数年のおつきあいになります。
もともと、わたしと西谷は前に勤めていた会社がハドソン(※2)で、
→最初の『マリオパーティ』(※3)をキッカケに
任天堂さんとおつきあいをさせていただくようになりました。

※2

ハドソン=1973年に創立されたゲームメーカー。『ボンバーマン』や『桃太郎電鉄』シリーズなどを開発・発売し、『マリオパーティ』では第1作目からシリーズの開発に関わる。本社・東京。

※3

『マリオパーティ』=1998年12月に、NINTENDO64用ソフトとして発売されたパーティゲーム。

岩田

池田さんは最初の『マリオパーティ』から関わっておられるんですよね。
シリーズをどんどん重ねてきて、
気がついたら8作にもなりましたよね。

池田

はい。据置機では8作ですが、
ゲームボーイアドバンスとDS(※4)でもつくりました。

※4

ゲームボーイアドバンスとDS=2005年1月発売の『マリオパーティ アドバンス』と、2007年11月発売の『マリオパーティDS』。

岩田

つまり、計10作つくったことになるんですね。
池田さんはシリーズすべてに関わってこられたんですか?

池田

そうです。
最初の『マリオパーティ』が発売されたのは1998年のことで、
開発は1996年頃からはじまっていたのですが、
当時はプロダクトのマネージャーとして関わって、
かれこれ14年のおつきあいになります。

岩田

西谷さんも最初からですか?

西谷

いえ、わたしが関わることになったのは
→『マリオパーティ2』(※5)からです。
1作目をつくっているときは
別のプロジェクトのチームにいたんですけど、
横から見ていて「すごく面白そうだなぁ」と思っていたんです。
そのあとすぐに『2』をつくることになりましたので、
「参加させてほしい!」と自分から志願したんです。

※5

『マリオパーティ2』=1999年12月に、NINTENDO64用ソフトとして発売されたパーティゲーム。シリーズ2作目。

岩田

「俺にも1枚かませてくれ」と志願されたんですね。

西谷

はい。当時はまだ若かったのですが、
それからずっとこのシリーズに関わってきました。

岩田

佐藤さんはその頃、何をされていたんですか?

佐藤

他社さんがつくる任天堂ソフトの
窓口業務を担当していました。
そのことがキッカケで『マリオパーティ』を
担当することになりました。
最初は窓口業務のようなかたちで
『マリオパーティ』に関わるようになったのですが、
次第にソフトの中身にも入っていくようになりました。

岩田

廣瀬さんの関わりはいつからなんですか?

廣瀬

→『マリオパーティ3』(※6)からです。
わたしはもともと開発とは別の部署にいまして、
ゲーム開発の右も左もわからないところに突然入って、
いろいろご迷惑をおかけしたと思うんですけど、
その頃からずっと関わっています。

※6

『マリオパーティ3』=2000年12月に、NINTENDO64用ソフトとして発売されたパーティゲーム。シリーズ3作目。

岩田

そうやってみなさんは、初期の『マリオパーティ』から
このシリーズに関わってこられたわけですね。
そもそもこのシリーズは
あんなにたくさんの新作のミニゲームを詰め込みながらも、
毎年のように、年末恒例のソフトとして出ていましたよね。
そうやって絶え間なく新作を出せる秘訣はどこにあったんですか?

池田

秘訣・・・ですか?

岩田

わたしは以前に『カービィ』や『スマブラ』の開発を担当していましたけど
池田さんたちのように、毎年は出せなかったものですから、
驚きながら見ていたんですけど(笑)。

西谷

(笑)。現場の立場で言いますと、
とにかくミニゲームのアイデアがたくさん出てきたんです。
ですから、そのアイデアを1度で使い切らずに
「このネタは次回でやろう」みたいにストックしていたんです。

岩田

そのようなことが効率よくできたのは、
おそらく『マリオパーティ』という器が
量産することに向いていたからなんでしょうね。

池田

確かに量産しやすいパッケージ構成だったと思います。
それに、西谷が言いましたけど、
ミニゲームのアイデアを何百と出していましたので、
そのときどきのタイトルに向いてるものをピックアップして、
残りは次に活かすということにしたことが
続けてこられた秘訣かなあと思います。

岩田

でも、3年連続でNINTENDO64で出て、1年休んで、
ゲームキューブでは4年連続でしたから、
本当に毎年のようにつくられていたんですよね。
あのようにペースが落ちずに続けられたのは
いったいどうしてだったんでしょうか?

西谷

わたしもそうでしたが、タイトルを出すたびに
新しい人がどんどん集まってきたことも大きかったと思います。

岩田

ああ、新しい人材が増えると、
新しいアイデアも足されていくということなんですね。

西谷

そうです。それはありましたね。

岩田

ただ、たくさんの人を巻き込みながら
毎年のようにつくられていくなかで、
マンネリを感じるようなことはなかったんですか?

池田

あ、それは常に感じてました。

岩田

そのマンネリはどうやって打破したんですか?

佐藤

節目節目で、マンネリを打破するために
サイコロを使わない、別のルールを考えて、
大きく変えようとしたこともありました。

岩田

でも、サイコロを使わないと
「それは『マリオパーティ』じゃない」と言われるでしょうね。

西谷

そうなんです。
そもそも『マリオパーティ』というのは、
年末に家族で楽しめるゲームにしたかったので、
誰にもわかりやすいルールにしようという話になりました。
もちろんマンネリは避けなきゃいけなかったんですけど、
基本形は守ろうと。安心感を大事にしました。
幸いなことに、その都度、中心を考える人が新たに出てきて、
毎回、看板ゲームのような新しいアイデアのゲームが生まれて、
「これはちょっと変わっていて新しいよね」みたいに
感じていただけたから続けてこられたんだと思います。

岩田

つまり、安心感を大切にして、根本は変えていなくても、
その都度、新しい遊びを追加することで
同じものには感じないようにすることができた、ということなんですね。

西谷

はい。そう思います。

岩田

みなさんが、このシリーズをこれまで展開してきて
作り手として、大事にされてきたところを
訊かせてもらえますか?

廣瀬

わたしはゲームがあまり得意ではないんですけど、
“わたしでもできるゲーム”というのが
いちばん大事かなと思っています。

岩田

わたしが混ざってできるゲーム、ですね。

廣瀬

はい。ゲームが得意でない、わたしのような人が混じって
対戦でずっと負け続けていたら、やっぱり楽しくないんです。
でも、わたしでも勝てるところがあるとすごく楽しくなります。
そういったゲームバランスにすごく気を使ってきました。

西谷

たとえば対戦をして、たとえ負けたとしても
「次やったら勝てるかな・・・?」とか
「もう1回やりたい!」というように、
何回も遊べるようなものになることを考えてきました。
それに、家族いっしょに遊んでいて、
親が子どもに対してわざと負けてあげたりせず、
平等に遊べるようなつくりにすることも、
心がけていたことのひとつです。

岩田

あえて運試し的なところも入っていて、
うまい人が一方的に勝てるゲームではないんですよね。
佐藤さんはどうですか?

佐藤

ほかのゲームと比較して、
『マリオパーティ』らしいところは
見た目に面白いところじゃないかと思います。
たとえば、何かがたくさんこっちに向かってきて、
それを避けて走るようなゲームはそれはそれで面白いんですけど、
その何かがペンギンだったり、見た目の面白さも追求しています。
そういった細かいところにも気を使っていて、
たとえばマスの上にピョンと乗ったときに、
プルルンと震えたりするとか、
大人にはちょっと感じにくくなった面白さを
スタッフのみんなが忘れずにつくってきたように思います。

岩田

池田さん、そこはすごく意識されているんですか?

池田

そうですね。
とくに『マリオパーティ』を遊んでくれたときに、
どのように驚いてもらえるか、どんなときに喜んでもらえるか、
どんな声が出るのか、とか
そういうことを意識しながらつくってきました。