岩田
それでは『スーパーマリオ』の話に戻りましょう。
開発初期で、印象深い話があったら教えていただけますか?
中郷
いちばん最初のときに、
画面に青空が出たときは、すごく覚えています。
岩田
当時のゲームは、まだ
ほとんどが黒バックだったんです。
中郷
そうなんです。
で、そのときの画面には
青空に白い雲と地上しか映ってなかったんですけど、
そんな絵がパーンと出まして、
「これはすごいな」と。
岩田
それは見たことのない絵だったんですね。
中郷
はい。見たことなかったんです。
その絵が出たのは、すでに夜になってたんですけど、
すぐに宮本さんに電話して
「すごいもん、出ましたよ」と(笑)。
岩田
(笑)
中郷
ファミコンでもこんな鮮やかな画面が出せるんやと
自分でも驚きましたね、そのときは。
岩田
その画面を元に
マップをつくっていくことになるんですね。
中郷
はい。まず最初に宮本さんから言われたのが、
「ひとつのコースは1分くらいで遊べるように」と。
でも、通常のゲームだと、1画面を走ると
だいたい1秒で進むようになってるんです。
岩田
1画面を1秒で走れるんだから、
1分遊ぶとしたら、60画面が必要になりますね。
中郷
だから僕は「そんなにたくさんつくるんですか?」と。
ところが宮本さんは、「途中でいろんなことをするから
ひとつのコースに20画面もあればいいでしょう」と言うんです。
でも僕は、そのときの宮本さんの言葉が理解できなくて。
岩田
そのときの画面には
青空と雲と地上しか映っていないのに、
宮本さんのアタマのなかには
いろんな具体的なイメージがあったんでしょうね。
手塚
そうだったと思います。
実際には20画面も使わなかったですから。
中郷
つくってみたら12画面とか。
手塚
そんなもんでしたね。
中郷
それで、いちばん長いやつを入れようと、
気合いを入れてつくって、それでも32画面でしたから。
そのコースはひとつだけあるんですが、
それ以外は短くてよかったんです。
岩田
なるほど。
中郷
だから宮本さんは、
何も設計段階もないところで、先が読めていたんですね。
それを確信を持ってバシッと言うので、
本当にビックリしました。
岩田
そのコースづくりは
どのような作業で進んでいったのですか?
手塚
コースのデータは手作業で入力していました。
我々は紙の上にコースの形を描いて、
「このように表示させてください」と
SRDさんにお願いしていました。
中郷
手塚さんや宮本さんが
とても巨大な方眼紙にコースの絵を描いて、
我々は、それを手で打ち込むことをやってたんです。
手塚
だから、すごく時間がかかりました。
岩田
じゃあ、マップなんか変更したら大変なんですね。
中郷
そう、大変なんです。
毎朝、出社すると、20枚くらいの紙を渡されて
「これ、お願いします」と。
岩田
「マップはこう変えてください」
みたいな指示書が来るんですね。
中郷
ええ。その指示は鉛筆で書いてあるんです。
それを見ながら丸一日かけて直していくんですけど、
夕方とか夜の10時くらいにはできあがって、
そのデータをロムに焼いて、
それを受け取った2人が遊んで、
そこでまた変更があって、
翌朝にそれを受け取るという、その繰り返しでした。
岩田
1日1回のサイクルで回っていたんですね。
中郷
1日1回の修正がやっとだったんです。
それに比べると、いまはもう天国です。
1日に10回、20回修正できますし。
岩田
いまは、目の前で、
「これを1個ずらして」とお願いすれば、
その場ですぐに遊べるような仕組みを用意して
コースをつくっていますからね。
中郷
そんなことも、
昔は丸一日かけてやってたわけですからね。
岩田
ちなみに、『スーパーマリオ』のコースは、
1面からつくりはじめないという話を
ずいぶん前に聞いたことがあるんですが。
中郷
そうです。
最初にできあがるのは3ワールドとか5ワールドなんです。
それがいちばん面白いんです。面白いんですけども、
初めての人にやってもらうと
とんでもなく難しすぎて、できないんです。
そこで、それをマイルドにしたものを
前に持っていくというのが基本でした。
岩田
「ふつうは、1面からつくりはじめるものだ」と
一般の方は考えたりすると思うんですけど、
ぜんぜんそうじゃないんですね。
で、前回の「社長が訊く」でも話したんですけど、
『スーパーマリオ』のワールド1−1のコースデザインは
すごくよくできていると思っていまして。
中郷
キノコがどうやっても取れるようにできている、
という話ですね。
岩田
ええ。あれを初めて知ったときはものすごく感動して、
自分でつくったわけでもないのに
人に自慢して歩いてましたから(笑)。
あのコースが、ちゃんと意図があってつくられてると知ると、
誰もが感心するんです。
あのコースはどうやって生まれたんですか?
手塚
あれはわりと紙の上で決めました。
まず最初に地形のラフをつくって、
「ここでこう来るやろ、ここで何かするやろ」と、
宮本さんがちゃんとお話というか・・・。
岩田
プレイヤーの手順を
紙の上でシミュレーションしてたんですね。
プレイヤーがここに行ったら、
次こうしたくなるはずだとか。
手塚
そうです。
中郷
しかも、それが二段構えくらいで考えられているんです。
ここで、キノコが出てきたらふつうの人は取ると。
でも、取るのを失敗しても、こうやって取れるようにしようとか。
岩田
それで、最初に土管を置いたんですね。
中郷
キノコは土管に当たって
跳ね返って戻ってきますからね。
そもそもワールド1−1には
『スーパーマリオ』のすべてのネタが
惜しむことなく全部入っているんです。
岩田
ワールド1−1は
やっぱり最後のほうでできたんですか?
中郷
そうです。間違いなく最後です。
それにいちばん最後まで修正をかけたのも1−1ですね。
岩田
発売当時は攻略本などなかった時代で、
いちばん最初にお客さんが触るとき、
取扱説明書も読まなければ
横に教えてくれる人もいない状態だったわけですからね。
誰もが『スーパーマリオ』の初心者で、
そんな人がその世界の作法に慣れて
自然に入っていけるようにと、
特別に意識してつくられたんですね。
手塚
はい、そこはすごく意識しました。
中郷
1−1はとくにそうですね。
岩田
だからこそ、『スーパーマリオ』は
たくさんの人たちに受け入れられたんでしょうね。