岩田
今日は『Wiiリモコンプラス バラエティパック』を
つくったみなさんに集まっていただきました。
このソフトは、いろいろな開発会社さんに
Wiiリモコンプラスを活かしたゲームを
競作形式でつくっていただき、
それを1本のソフトにまとめるという、
多分、任天堂の歴史の中でも
はじめてのつくり方をしたソフトでした。
おそらく世の中でもこのようなつくり方は
大変めずらしいと思いますし、せっかくの機会ですので、
今回、開発に参加された各社のみなさんと一堂に会して、
どのような開発だったのかをお訊きしたいと考えた結果、
11人もの方々に集まっていただくことになりました。
まずは、それぞれ自己紹介をお願いします。
野中
今回のプロジェクトのプロデューサーを務めました、
任天堂企画開発部の野中豊和です。
よろしくお願いします。
蛭子
株式会社グッド・フィール(※1)の蛭子悦延と申します。
今作では、「石投げ水切り」と「モグラたたき」をつくりました。
弊社では主にアクションゲームをつくっています。
過去に、任天堂さんのソフトは『ワリオランドシェイク』(※2)、
『毛糸のカービィ』(※3)、『アッタコレダ』(※4)
の3作品をつくりました。
※1
株式会社グッド・フィール=兵庫県神戸市に本社を置くゲームメーカー。
※2
『ワリオランドシェイク』=2008年7月にWii用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
※3
『毛糸のカービィ』=2010年10月にWii用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
※4
『アッタコレダ』=『立体かくし絵 アッタコレダ』。2010年3月、DSiウェア用ソフトとして配信されたパズルアドベンチャーゲーム。
溝邊
株式会社チュンソフト(※5)の溝邊雄一と申します。
「ドッキングステーション」と「ドルフィン」をつくりました。
僕は過去に、任天堂さんのソフトでは
『きみとぼくと立体。』(※6)に携わりました。
今回、野中さんに声をかけていただいたことを
運命だと思っています(笑)。
※5
株式会社チュンソフト=東京都新宿区に本社を置くゲームメーカー。
※6
『きみとぼくと立体。』=2009年3月、Wiiウェア用ソフトとして配信された立体アクションゲーム。株式会社フロムイエロートゥオレンジ制作。
船木
株式会社ミッチェル(※7)の船木博郷と申します。
弊社は「まきあげろ!海底のお宝」と「一輪車」を担当しました。
任天堂さんのソフトは『直感ヒトフデ』(※8)、
『瞬感パズループ』(※9)、『数陣タイセン』(※10)などをつくりました。
いままではロジック系のソフトが多かったのですが、
今回、はじめてアクションをつくっています。
※7
株式会社ミッチェル=東京都杉並区に本社を置くゲームメーカー。
※8
『直感ヒトフデ』=2004年12月、DS用ソフトとして発売されたパズルゲーム。
※9
『瞬感パズループ』=2006年3月、DS用ソフトとして発売されたアクションパズルゲーム。
※10
『数陣タイセン』=2007年6月、DS用ソフトとして発売された対局型パズルゲーム。
仁井谷
任天堂、企画開発部の仁井谷竜介です。
今回は全体の技術サポートをするのと同時に、
「ボールとシーソー」の企画と
プログラムを担当しました。
岩田
仁井谷さんはソフト開発会社さんの
技術サポートをする部署に所属していて、
普段はソフト開発者のみなさんのお手伝いをしているんですが、
今回はじめて、自分の手でソフトをつくったんですよね。
仁井谷
はい。「機会があるならつくりたい・・・」
という思いがあったので今回、がんばりました。
前にDSiウェアの『紙ヒコーキ』や『鳥とマメ』(※11)
という原作をアレンジしたソフトはつくりましたが、
オリジナルという意味でははじめてでした。
※11
『紙ヒコーキ』や『鳥とマメ』=共に、2008年12月、DSiウェア用ソフトとして配信されたアクションゲーム。ゲームボーイアドバンス用ソフト『メイド イン ワリオ』に収録されているゲームをアレンジしたもの。
野中
はじめはですね・・・
「ゲーム制作と技術サポートの両方は大変だから
ほかの人に担当してもらおうか」という話をしていたんですが、
仁井谷さんが「やりたい!」って言うんです。
だから平日昼間は主に技術サポートで、
制作はそれ以外の時間でやってもらっていました。
仁井谷
はい(笑)。
細川
任天堂、企画開発部の細川豪彦です。
今回は全体のディレクションというかたちで参加しました。
ほかには、仁井谷さんの「ボールとシーソー」の
ステージ構成を担当しました。
岩田
細川さんは、この間まで『METROID Other M』(※12)
を担当していましたが、おわったとたんに
こちらをつくることになったんですね。
※12
『METROID Other M』=2010年9月、Wii用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
細川
はい。わたしが途中参加したころには
みなさんの試作はおわっていたので、
そこから本制作するゲームを
選ぶところからスタートしました。
江藤
有限会社スキップ(※13)の江藤桂大と申します。
「ポーズMiiプラス」と「ふわっとバルーン」を担当しました。
任天堂さんのソフトは『bit Generations』シリーズ(※14)、
『Art Style』シリーズ(※15)、『ちびロボ!』シリーズ(※16)、
最近では、『ペンギン生活』(※17)などをつくってきました。
※13
有限会社スキップ=東京都渋谷区に本社を置くゲームメーカー。
※14
『bit Generations』シリーズ=2006年7月、ゲームボーアドバンス用ソフトとして発売されたソフトシリーズ。『dotstream』『BOUNDISH』『DIALHEX』『COLORIS』『ORBITAL』『DIGIDRIVE』『Soundvoyager』の7タイトルが発売されている。
※15
『Art Style』シリーズ=ニンテンドーDSiウェアとWiiウェアで発売されているソフトシリーズ。『DIGIDRIVE』『HACOLIFE』『nalaku』『PiCOPiCT』『SOMNIUM』『DECODE』『AQUARIO』(以上がDSiウェア)、『ORBITAL』『CUBELEO』『DAIALHEX』(以上がWiiウェア)の10タイトルが発売されている。
※16
『ちびロボ!』シリーズ=ゲームキューブやニンテンドーDS、Wii用ソフトとして発売されている「ちびアクションアドベンチャー」シリーズ。
※17
『ペンギン生活』=2010年12月、Wiiウェア用ソフトとして発売されたペンギンふれあいアドベンチャー。
谷口
株式会社バンプール(※18)の谷口隼と申します。
弊社は「傘ライダー」を担当しました。
過去に、任天堂さんのソフトは『もぎたてチンクル』(※19)、
『いろづきチンクル』(※20)などをつくりました。
うちはどちらかといえば、
ニッチな雰囲気のゲームが得意なんですが、
今回は、幅広い層の人たちに
遊んでもらえるゲームということで、
いつも以上に意識してつくりました。
※18
株式会社バンプール=東京都渋谷区に本社を置くゲームメーカー。
※19
『もぎたてチンクル』=『もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド』。2006年9月にDS用ソフトとして発売されたRPG。
※20
『いろづきチンクル』=『いろづきチンクルの恋のバルーントリップ』。2009年8月にDS用ソフトとして発売されたアドベンチャーゲーム。
中
株式会社プロペ(※21)の中裕司と申します。
弊社は「360°シューティング」を担当しました。
じつはもともと違う企画を提案していたところ、
一度コンペで落ちてしまって、敗者復活で這い上がって
このゲームをつくることになりました。
・・・なので、本当にうれしかったんです。
しかも任天堂さんとお仕事をするのははじめてでしたから、
今回、ご縁ができたことをとても喜んでいます。
※21
株式会社プロペ=東京都港区に本社を置くゲームメーカー。
大島
株式会社アーゼスト(※22)の大島直人と申します。
弊社は、この企画が立ち上がったころにできた会社でして、
「ジャンピングランド」、「アイスクリームチャレンジ」、
「ゴーストマンション」を担当しました。
じつはいま、中さんから敗者復活というお話がありましたが、
うちの「ゴーストマンション」と、
中さんの企画の内容が似ていて、運よくうちが通ったんです。
それをあとから聞いて「えーっ!」って・・・(笑)。
同じようなゲームを考えるんだなあと感じました。
※22
株式会社アーゼスト=神奈川県横浜市に本社を置くゲームメーカー。
岩田
中さんと大島さんは、以前『ソニック』(※23)で
いっしょにお仕事をされていましたから、
発想においても共通のルーツがあるのかもしれませんね。
※23
『ソニック』=『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』。1991年7月に、『ソニック』シリーズ1作目が発売された。大島直人氏がキャラクターデザインを、中裕司氏がプログラムを担当。
高橋
任天堂、企画開発部の高橋伸也です。
今回はゼネラルプロデューサーとして
総まとめ役を担当しました。
自分が今回の企画の首謀者ということになるんですが、
そもそもこの企画のキッカケは、
「『はじめてのWii』(※24)のWiiリモコンプラス版を
つくってほしい」という話が日本や海外の営業さんから
ほぼ同時に上がってきたことなのですが、
「じゃあ、どうやってつくろうか?」
と、考えるところからはじまりました。
※24
『はじめてのWii』=2006年12月、Wii用ソフトとして発売されたWiiリモコンの操作入門ソフト。Wiiリモコンとソフトのセット。
岩田
任天堂で、営業さんからのリクエストにもとづいて
ソフトをつくるというのは、非常にめずらしいパターンですよね。
本来は、先回りして提案するのが、開発の仕事ですから。
高橋
そうですね。
そこで、いろいろな会社さんとおつきあいしている
企画開発部の強みを活かして、
「たくさんの会社さんに、
それぞれのチームの特色を出して
ゲームをつくってもらうのはどうだろう」
ということではじめました。
いざはじめてみるといろいろと大変だったんですが、
これだけの数の会社さんに協力していただき
商品として完成できたということは、
これに関わる人すべてが、それぞれの分野で
それぞれの力を出したからこそできたということなので、
あらためて「すごいことだなぁ」と思っています。
岩田
ゲームの世界で、競作方式でもハイクオリティなものを
つくれることが、証明できたということでしょうか。
野中
あ・・・あんまりクセにならないでほしいんですけど(笑)。
一同
(笑)
岩田
この企画がはじまったとき、
野中さんはどのようにまきこまれたんですか?
野中
えー・・・突然、高橋さんに呼ばれて、依頼されました。
最初はリアリティがないので「大変そうだなあ」って、
他人事として聞いていたんです(笑)。
はじめてのつくり方になりますし、短い期間に
これだけの会社さんをまとめなければいけないので、
最初は不安だったんですが、
わたしのグループはもともと、複数タイトルを
並行して進めることに慣れていたので、
「いままでのノウハウを活かせば何とかなるかなあ・・・」
という気持ちに変わっていきました。
岩田
このプロジェクトはどのようにはじまったんですか?
高橋
まずはわたしのほうから、
(任天堂の)企画開発部のグループマネージャーに説明をして、
それぞれのおつきあいのある会社さんに
声をかけてもらうところからはじまりました。
野中
わたしが参加したのは、
ちょうど試作がはじまったころでした。
高橋さんからのお題である、
各制作会社さんの“色”をとにかく出すよう、
みなさんにプレゼンすることからはじめました。