岩田
シリーズものは、長い間つくりつづけていると、
得てしてマンネリ化しやすいものだと思います。
『メトロイドプライム』の三部作では、
どのようなことを考えましたか?
田邊
『メトロイドプライム』に限った話ではないのですが、
かつて宮本さんと一緒に仕事をしていたときに、
口を酸っぱくして言われていたことがあります。
同じシリーズの商品をつくるときも、
必ずこれまでとは違うものをつくらないとダメで、
しかも、細かなディテールの部分ではなく、
システムの本質的なところで、
新しいことに挑戦しなければならないと。
その考えは、自分にも染みついてると思っています。
岩田
わたしも、昔カービィ商品の展開を始めたころに、
宮本さんから同じことを強く指摘されたことを良く覚えています。
その姿勢を徹底して続けていないと、
シリーズ商品はどんどん飽きられてしまうということなんですよね。
その意味で、この三部作で新しく考えたことは
どのようなことだったのですか?
田邊
シリーズ1作目の『メトロイドプライム』のときは、
先ほどお話した、任天堂としてのこだわりについてを
レトロスタジオには伝えましたけど、
ゲームの構成や基本システムに関しては、
ほとんど口出しをしませんでした。
というのも、レトロスタジオの人たちは、
それまでに発売された『メトロイド』のことを、
ものすごく深く分析をした上で、
どうやって3Dで表現するのかということを、
一生懸命考えながらつくってくれましたから。
ただひとつ、こちらから強くお願いしたことは、
バイザーシステム(※8)です。
『メトロイドプライム』シリーズを、
「ファーストパーソン・シューティング」ではなく、
新しい「ファーストパーソン・アドベンチャー」にしようという考えから、
画面そのものに新しいシステムを取り入れることにしました。
田端
せっかくサムスはヘルメットをかぶっていますし、
それをゲーム要素としても活かしたかったんです。
※8
バイザーシステム=情報を収集するためのスキャンバイザーなど、サムスのヘルメットに内蔵されたシステムのこと。複数のバイザーがある。
田邊
次の『メトロイドプライム2』では、
単なる続編をつくってもつまらないですし、
何か新しいことがしたいという話になったとき、
レトロスタジオのスタッフから
「光と闇の2面の世界をやりたい」という提案がありました。
僕はそれを聞いて、
「どっかで聞いたことがある話やなあ」って(笑)。
岩田
田邊さんが以前に担当した
『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』ですね。
田邊さんは、『ゼルダ』のとき、大変な経験をしたんですよね。
因縁って巡り巡るもんですね(笑)。
田邊
あのときは本当に苦労しました(笑)。
頭で考えていたネタを実際のゲームに
落とし込むのがとても難しかったんです。
レトロスタジオのスタッフの1人が、
スーパーファミコン版の『ゼルダ』が大好きで、
あのシステムをどうしてもやってみたいと言うんです。
そこで、「そのテーマは大変だけど、そこまで言うなら・・・」
ということになって、
表と裏、光と闇というシステムを『2』では取り入れました。
そして、今回の『3』ですね。
ここからは、田端さんからしてもらいましょう。
田端
はい。
ゲームキューブから出た『1』と『2』は
従来型のコントローラで操作しましたけど、
今度の『3』は、Wii用のソフトになりましたので、
何よりも操作そのものが新しくなりました。
そもそも、Wiiリモコンやヌンチャクは、
『メトロイドプライム3』のために開発されたと
言ってもいいくらいで・・・。
田邊
Wiiのコントローラのたくさんの試作品の中に、
普通の両手で持つコントローラに
ポインターをつけたものがありましたよね。
僕と同じ、第3プロダクションでサブマネージャーをしている
寺崎(啓祐)さんが、それを見て、
「これで『メトロイドプライム』もつくれるだろうけど、
コントローラは分かれていたほうが、遊びやすいんじゃないか」
と言ったことが、ヌンチャクが生まれるキッカケになったんです。
岩田
その当時、Wiiは「レボリューション」という
開発コードで呼ばれていましたが、
レトロスタジオの人たちの評価は、
絶望的と言っていいほど低かったんですよね。
田端
レトロスタジオの人たちは、
グラフィックがどんどんきれいになり、
計算速度がすごく速くなって、
いろんな機能がたくさんついているという方向だけが、
これからのゲーム機のあるべき姿だと信じていたんだと思います。
ところがレボリューションで、まったく方向性の違う提案をされて、
「これじゃダメだ」って強く感じてしまったようでした。
田邊
だから最初、Wiiのスペックだけをある程度伝えたとき、
彼らは「このままでは、任天堂は危ない!」って、
本気で心配してましたから。
そこで、岩田さんを説得にかかったんですよね。
「このままのスペックだと
アメリカのマーケットでは絶対に売れない!」って。
岩田
はい。「何とか考え直してください!」って、
機会があるたびに本気で言われました(笑)。
当時はまだ最終形が見えていないから、
そう感じてしまうのは、無理もないことなんですね。
本社内でさえ、不安を感じていた人が少なからずいたのも事実ですし。
そこで、ヌンチャクの試作品ができたときに、
レトロスタジオの人たちにムリを言って、
ゲームキューブの『メトロイドプライム2』を
ヌンチャクで操作できるようにしてもらいました。
ただ、当時はヌンチャクも未発表の段階でしたし、
機密を保持する必要がありましたので、
レトロスタジオの中でも、ごく少数の人だけにしか知らせずに
デモソフトをつくってもらったんですね。
それは、最初からすごく手応えが良かったんです。
田邊
2005年の東京ゲームショウ(※9)のタイミングでしたね。
そのとき僕は、たまたまテキサスに滞在していて、
発表の直前に彼らにもヌンチャクを触ってもらうことにしました。
デモソフトの制作に関わらなかったスタッフを全員集めたんですけど、
そのときの光景はもう忘れられないです。
ヌンチャクを触った瞬間から
目の輝きがすっかり変わってしまって、
彼らの驚きようったら、ホントにすごかったんです。
※9
2005年の東京ゲームショウ=社長の岩田は基調講演を行い、このとき初めて、Wiiリモコンとヌンチャクを公開した。
岩田
当時、限られた社外の開発関係の人たちや
ごく少数の報道関係の人たちに触っていただきましたけど、
みんな揃って、「これだ!」という表情をしてましたから。
特に海外の人たちは、FPSになじみが深いためか、
特に反応が良かったです。
田邊
テキサスでは、僕のところにスタッフの人たちが駆け寄ってきて、
「すばらしい!」って言ってくれたんです。
ハードのスペックに、あれほどこだわっていた人たちも、
実際に触ってみたらおもしろいし、
クリエイターとして、「あれもできる、これもできる」と
イメージがどんどん膨らんでいったんでしょうね。
しまいには「エキサイトしてきた!」って
叫んでいたくらいですから(笑)。
田端
アメリカでWiiが発売されたあとも
レトロスタジオの人たちから祝福されました。
田邊
あるスタッフの奥さんは、
ゲームにまったく見向きもしないようなタイプだったそうです。
ところが、Wiiが発売されると
「初めてゲームをしてくれたよ!」って
本当にうれしそうに言ってましたし。
それに、休暇で故郷に帰った人たちからも
「家族みんなで遊んだよ」という話をたくさん聞きました。
岩田
今回の『メトロイドプライム3』は、
最初に話だけを聞いたときに、完全に否定的だった人たちが、
実際にデモをプレイすると、意識が劇的に変化して、
どんどん未来志向になっていくということが、
とても色濃く出たプロジェクトだったと言えるでしょうね。