岩田
みなさん、今日はよろしくお願いいたします。
一同
よろしくお願いいたします。
岩田
今回は『毛糸のカービィ』がどんなふうにできたのか、
世の中の人たちにしっかりと発信したいと思いまして、
開発に関わったみなさんに集まっていただきました。
前半は、グッド・フィール(※1)さんと任天堂のスタッフに、
後半はハル研究所(※2)のみなさんからお話を訊こうと思います。
では、さっそくグッド・フィールさんから自己紹介をお願いします。
※1
グッド・フィール=株式会社グッド・フィール。「いい感じのものづくり。」を開発コンセプトに掲げる開発会社。神戸に本社があり、開発本部は東京。
※2
ハル研究所=株式会社ハル研究所。『星のカービィ』や『スマブラ』シリーズなどを手掛けてきたソフトメーカー。かつて岩田が社長をつとめていたハル研究所は、2010年に創設30周年を迎えた。
蛭子
グッド・フィールの蛭子(えびす)です。
今作ではプロデューサーということで、
グッド・フィール内の管理・運営を担当しまして、
こんなとき「いろいろな雑用もやりました」という言い方も
ありますけど、今回はそういった雑用のレベルを超えて
現場の制作スタッフとしていろんなことをやりました。
岩田
プロデューサーであると同時に、
制作現場にもどっぷり入られたんですね。
蛭子
はい、まさにどっぷりでした。
瀬井
グッド・フィールの瀬井です。
今回、わたしはディレクターを担当しました。
とはいっても、わたしも主に雑用をやっていたと思います(笑)。
岩田
みなさん雑用をアピールされますね(笑)。
いいことなんですけど。
瀬井
はい(笑)。いろんな部分で、
いろいろやらせていただきました。
河野
グッド・フィールの河野(こうの)です。
今作ではチーフプランナーとして企画部分をやりましたが、
企画がはじまった当初はチーフデザイナーとして、
世界観のデザインを担当していました。
ゲーム開発でこれほど広く関われたのは
今作がほぼ初めてでしたので、
いろいろな面で感慨深いタイトルになりました。
岩田
デザインに加えて企画の仕事もされたんですね。
河野
はい。いままではデザイナーとして、
目に見える部分をつくり込むような仕事をしてきましたが、
今回は、仕掛けなどを通じて「どう楽しくするか」という部分を
最初から最後まで考えてきました。
岩田
それでは任天堂の2人からも自己紹介をお願いします。
松宮
企画開発部の松宮です。
わたしはプロデューサーを担当しました。
プロデューサーを担当するのはグッド・フィールさんと
共同で開発した『アッタコレダ』(※3)に続いて2作目になります。
今回は、この商品の方向性を決めるような大きな部分から、
「この足場はもう少し上にあったほうがいいのでは?」といった
ステージの細かな調整まで、
幅広く意見を伝えるような仕事をしてきました。
岩田
松宮さんは、マリオクラブ(※4)の前身にあたる
「ソフト品質管理部」で働いていた経験もありますし、
もともとゲームをプレイするのが上手な人ですから、
難易度調整やマップ構成などに対しても
一家言あるプロデューサーでもあったんでしょうね。
松宮
はい(笑)。過去にもアクションゲームで、
マップ調整などの仕事に関わったこともあります。
※3
『アッタコレダ』=『立体かくし絵 アッタコレダ』。2010年3月からDSiウェアとして配信されているパズルアドベンチャー。画面を覗くように顔を動かしたり、DSi本体を動かしたりして、隠されている絵や文字を見つけ出すゲーム。『立体かくし絵 アッタコレダ』について詳しくはこちら。
※4
マリオクラブ=マリオクラブ株式会社。任天堂の開発中ソフトのデバッグやテストプレイを行う。
渡辺
企画開発部の渡辺です。
コーディネーターをつとめました。
わたしは松宮さんのようにゲームがうまくなくて、
かつアクションゲームの開発に携わるのは初めてだったんです。
なので、何の知識もないなかで、
「このステージはなんとなくつまらないです」とか、
「ここがなんとなくつらいです」とか・・・。
岩田
初心者を代表して、なんとなく感じたことを言う担当ですね(笑)。
『カービィ』というゲームにとっては大事なことですね。
渡辺
はい(笑)。なんとなく感じたことでも、
思ったことをそのまま伝えるようにしていました。
岩田
雑用もされましたか?
渡辺
ああそれ、言おうと思ってたんです(笑)。
一同
(笑)
渡辺
もちろん雑用もしっかりやりました。
岩田
チームのみなさんが雑用自慢をするというのはいいですね(笑)。
雑用というのは、世の中では仕方なくやらされる仕事のように
わりと捉えられがちなんですけど、
雑用を進んでするような人がいっぱいいるチームは
実際は円滑に回りますから。
今作がこのように魅力的に仕上がったことには、
このことが関係しているのではないか、という感じがしています。
さて、まずはグッド・フィールさんという会社のことを、
蛭子さんから紹介していただけますか?
蛭子
はい。グッド・フィールは2005年の設立で、
できてからまだ5年くらいの会社です。
もともとゲーム業界で経験を積んだ者が独立して、
この会社を設立しました。
任天堂さんとのゲーム開発は、
『ワリオランドシェイク』(※5)、『アッタコレダ』に続き、
今回の『毛糸のカービィ』で3作目になります。
※5
『ワリオランドシェイク』=2008年7月に、Wii用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
岩田
何人くらいいらっしゃる会社なんですか?
蛭子
設立から徐々に人を増やしてきまして、
いまは70名弱の体制になっています。
岩田
みなさんが得意にされているのはどのようなことですか?
蛭子
もともとグッド・フィールは
アクションゲームに関わったメンバーで構成されていますので
基本的にはアクションが得意なんですけど、
いろんなジャンルでひととおり経験を積んできていますので、
これからもいろんなことをやりたいという考えがあります。
ですから、『毛糸のカービィ』に関しても
新しいことをやりたい、ということで、
ゼロからつくろうという想いで開発に関わりました。
岩田
そうなんですね。
ちなみに今回の『毛糸のカービィ』は
最初から『カービィ』としてつくられていたわけではなく、
まさにゼロからつくられたまったくの新作として
『毛糸のフラッフ』と呼ばれていた時代がありました。
そのときにつくられたキャラクターのフラッフは
最終的に『毛糸のカービィ』にも登場していますが、
『毛糸のフラッフ』は、最初から“毛糸の世界”が舞台でしたよね。
そもそも“毛糸の世界”という企画のネタは
どうやって生まれたんですか?
蛭子
もともとこの企画のアイデアを考えたのは、
『ワリオランドシェイク』のディレクターをつとめた
山内円(まどか)なんです。
彼はグッド・フィールの企画室の室長でもあるのですが、
あるときに、そのアイデアの原案を見せてくれまして、
そのとき、「どうやってこのアイデアが生まれたの?」と聞いたら、
「なんとなく」という・・・。
岩田
また「なんとなく」ですか(笑)。
渡辺
ふふふ(笑)。
蛭子
で、その場で「これ、いいやん」という話になりまして、
毛糸をモチーフに、
あたたかみのある世界観と毛糸ならではの仕様を盛り込んだ
ゲームの企画書をつくることになりました。
岩田
企画書のビジュアルは河野さんが描かれたんですね。
河野
はい、自分と弊社デザイン室長の塚脇と共同で作成しました。
企画書は静止画ですから、いろんな布を買ってきて
写真に撮って、素材に使ったりしました。
毛糸を実際に触りながら、文字通り手探り状態で
いろんなアイデアを出し合っていました。
デスクに手芸用品が広がっていて、
一見ゲーム開発をしているようには見えない光景だったと思います。
岩田
その様子は、瀬井さんも見ていたんですよね。
瀬井
はい。ただ、そのときは
まさか自分がディレクターをするとは思っていなかったんです。
だから、その企画書を初めて見たときは、
「は?・・・・・・ああ!」と。
一同
(笑)
岩田
最初はピンと来なかったけど、
よくよく見ると、すごい!と思われたんですね。
瀬井
そうなんです。
それで、その企画書をつくってから
任天堂さんにプレゼンテーションしました。
岩田
そのプレゼンの場では、松宮さんもいたんですよね。
最初に見たとき、どう思いましたか?
松宮
企画書を1ページめくった時点で、
けっこうな衝撃を受けまして・・・。
岩田
ビジュアルにインパクトがあったんですね。
松宮
はい。僕はいろんなゲームを触ってきましたが、
「こんなゲームは過去に見たことがない」と、最初に思いました。
しかも、「毛糸でのこういう遊び方がありますよ」というところで、
「これはすごい!」と思いました。
岩田
河野さんが描いた絵に、みんなが動かされたとも言えるんですね。
河野
ですから、後にこの企画が通ったときは
(ガッツポーズをしながら)「うれしい、やった!」と(笑)。
岩田
正式に企画が通ってから
試作をつくることになったんですか?
蛭子
そうです。
岩田
その試作はわりと順調にいったんですか?
蛭子
はい。試作をつくるのに
3カ月ほどかかったんですが、とても順調でした。
試作段階までは(笑)。
岩田
試作までは順調。
蛭子
ええ、そこまでは。そこまでは順調でした。