岩田
本日はお忙しいところ、ありがとうございます。
前川
こちらこそ、ありがとうございます。
岩田
NINTENDO64で発売された前作(※1)は
知る人ぞ知る存在になっていますけど、
この『罪と罰』という商品が
どのような人たちによってつくられ、
どのような魅力がこのソフトにあるのか、
もっと多くの方々に少しでもお伝えしたいと思い、
今日は無理を言って京都までお越しいただきました。
よろしくお願いします。
前川
よろしくお願いします。
岩田
それではトレジャー(※2)さんから
まずは自己紹介をお願いします。
※1
前作=『罪と罰 地球の継承者(ほしのけいしょうしゃ)』。2000年11月、NINTENDO64用ソフトとして発売されたアクションシューティングゲーム。
※2
トレジャー=1992年に設立された、アクションやシューティングゲームを得意とする開発会社。『ゆけゆけ!!トラブルメーカーズ』『斑鳩』『ワリオワールド』など手がけたソフトは多数。
前川
トレジャーの社長をやっています、前川です。
今回の『罪と罰 宇宙の後継者(そらのこうけいしゃ)』では
プロデュースを担当しました。
中川
トレジャーの中川です。
今回はディレクターを担当しましたが、
本職のプログラムのほか、企画など
何でもやらせていただきました。
鈴木
デザイナーの鈴木です。
前作はトレジャーの社員の頃でしたが、
今はフリーランスになりまして、
今回は助っ人アートディレクターで
参加させていただきました。
岩田
みなさん前作から関わっているんですよね?
前川
はい。
岩田
前作はどういうふうにはじまって、
どういうふうにできていったのか、という話から
まずはお訊きしたいのですが。
前川
はい。
キッカケはNINTENDO64のコントローラです。
任天堂さんがもともと提唱されていた持ち方に
レフトポジションとライトポジション(※3)がありましたけど、
ほとんどのゲームがライトポジション対応で・・・。
岩田
『マリオ64』(※4)が
ライトポジションを使ったので、
みんなライトポジションばっかりになっちゃったんですね。
※3
レフトポジションとライトポジション=NINTENDO64のコントローラの右グリップを右手で握り、左手の親指で3Dスティックを操作するのがライトポジション。レフトポジションは、左グリップを左手で握り、右手の親指で3Dスティックを操作する。
※4
『マリオ64』=『スーパーマリオ64』。NINTENDO64と同時に発売された、マリオ初の3Dアクションゲーム。1996年6月発売。
前川
だから、レフトポジションは
あんまり使われていないよねという話になりまして。
レフトポジションは独立した操作ができるにも関わらず。
岩田
ちょっと不思議な操作ができるんですけど、
誰も使ってなかった・・・。
前川
はい、誰も使ってなかったんです。
でも面白い操作ができそうだということで、
開発がスタートしたんです。
岩田
『罪と罰』の開発の発端は
「レフトポジションをオレたちで使いこなしてやる」
ということだったんですね。
前川
そうです。
照準を動かすのは3Dスティックで、
プレイヤーを動かすのは十字ボタンで、というように
レフトポジションで操作ができるんじゃないかと。
岩田
で、実際に開発をはじめていかがでしたか?
前川
やっぱりレフトポジションで独立した操作というのは、
初めてプレイする人にとっては意外と敷居が高いと。
岩田
やったことがないわけですからね。
前川
任天堂さんからもそういう話がありました。
それと、当時、NINTENDO64のコントローラには
コントローラパック(※5)がつけられるようになってましたけど、
そこに「センサーをつけないか?」という話もあったんです。
ただ、レフトポジションで開発をはじめたこともあって、
その時点でセンサー対応にしてしまうと
ただでさえ開発が延びてるのに、それがさらに延びてしまうと。
そこで、その時点では断念したんですけど、
時間がたってWiiが出てきまして・・・。
岩田
ずいぶん時間がたちましたね(笑)。
※5
コントローラパック=NINTENDO64のコントローラの下部に差し込み、ゲームデータのセーブなどに使用する周辺機器。
前川
はい(笑)。
Wiiリモコンを見たときに
これはまさしくあのときに言ってたセンサーじゃないかと。
岩田
ああ、なるほど。
前川
そこで「Wiiで『罪と罰』をやろうよ」と
この2人にけしかけたのがこのわたしなんです。
中川・鈴木
(うんうんとうなずく)
岩田
(笑)
前川
で、Wiiリモコンのポインターで照準ができるし、
ヌンチャクでプレイヤーの操作もできるし、
これでやるしかない!というのが今作の発端で・・・。
岩田
あ、ちょっと待ってください。
Wiiの話に入る前に、初代の話をお訊きしたいので(笑)。
前川
はい(笑)。
岩田
そもそも64版の開発がスタートしたのは
いつ頃だったんですか?
前川
2000年に発売されましたから、いつだったか・・・。
そもそも前作の舞台設定が近未来の2007年で、
「10年後に起こる」という話をしていましたので、
たぶん1997年に企画書を出したと思います。
岩田
2007年という近未来は
もう過ぎちゃいましたね(笑)。
前川
過ぎちゃいました(笑)。
岩田
初代の『罪と罰』は
あの当時のゲームづくりとしては
時間がかかった部類でしたよね。
しかも、64末期の発売になってしまって、
ちょっと「終電に乗り遅れかけた」というか(笑)。
前川
すみません(笑)。
岩田
いえ、実はわたしも64時代に難産を体験していまして、
このときわたしはHAL研究所の社長を務めていたのですが
1996年にNINTENDO64が出たのに、
1999年に『スマブラ』(※6)や
『ポケモンスナップ』(※7)などを出すまでは
HAL研究所は、「商品を出す」という役割では
まったく貢献できなかったんです。
それはどうしてかというと、
NINTENDO64になってから
スーパーファミコンまでのものづくりの構造が大きく変わって、
3Dをどう使いこなすのかという壁にぶつかり、
チームとしてけっこう苦労したんですね。
同じ時代、企画書を書いた1997年から
ソフトが発売される2000年まで、
トレジャーさんにはどんな試行錯誤があったのか、
その話もちょっとお訊きしたいのですが。
※6
『スマブラ』=『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』。NINTENDO64用ソフトとして、1999年1月発売されたアクション格闘ゲーム。
※7
『ポケモンスナップ』=NINTENDO64用ソフトとして、1999年3月に発売されたカメラアクションゲーム。
前川
その話はプログラマーの中川から話したほうが・・・。
中川
・・・はい。
いま、岩田さんがおっしゃったように、
NINTENDO64になると
ゲームづくりが大きく変わりました。
岩田
変わりましたね、ホントに変わりましたよね。
中川
ただ、NINTENDO64の前に
他社さんのゲーム機で
3Dの入門機みたいなものがあったんです。
で、3Dのノウハウのようなものも・・・。
岩田
ある程度のノウハウはあったんですね。
中川
・・・はい。
だからNINTENDO64も行けるだろうと思ってたんです。
でも、NINTENDO64は・・・すごかったですね(苦笑)。
岩田
(笑)。
うまくつくらないと、
ぜんぜん動かない機械でしたから。
中川
そう・・・そうなんです。ぜんぜん動かないんです・・・。
前川
その頃、わたしもメインプログラマーをやっていたので、
中川が体験したことはよくわかります。
中川
NINTENDO64の前にやっていたのは
あくまでも入門機だったんですよね。
岩田
はい。
中川
でも、NINTENDO64は
本格的な3Dマシーンでした。
岩田
シリコングラフィックス社(※8)のアーキテクチャを
そのままポーンと落としてますから。
NINTENDO64はいろいろ制限はありましたが、
まさしく本格的な3Dマシーンなんですよね。
ただ、本格的なんですけど、いろいろ制限があったので、
上手に使わないと、ぜんぜん動かないマシンだったんですね。
※8
シリコングラフィックス社=3D画像の処理技術で、一世を風靡したアメリカの企業。設立は1982年。
中川
だから、いままで入門機で楽しく遊んでいたところに
いきなりプロ用のマシンを渡されてしまって、
最初の1年くらいはぜんぜん動かなくて・・・・・・。
岩田
はい。
中川
・・・(黙ったまま遠くを見つめる)。
岩田
動かなくて・・・?
中川
はぁ〜・・・(と大きなため息)。
岩田
(笑)。
いまのため息には、
いろんな思いが込められてますね(笑)。
中川
(大きくうなずく)
岩田
(笑)