※このインタビューは、2009年12月4日に、任天堂ゲームセミナー受講生を対象に行われたものです。
岩田
セールスの数字をちょっと言いますと、
この『トモコレ』は、初回発注が10万本だったんです。
ですから、日本のゲームを仕入れる専門の方たちは、
「10万本あれば、当分は大丈夫だ」と考えたんですね。
ところが、そのソフトは2009年末には200万本超えをし、
しかも、まだまだ売れ続けているんです。
こんなことが起こっていいのでしょうか(笑)。
受講生
(笑)
高橋
チープですから(笑)。
岩田
なにせコンセプトは「チープ」(笑)。
でも、これには圧倒的な新しさがあって、
開発したみなさんがどういう自覚でやっていたかは別にして、
いまの日本のゲームデザインのなかで
紛れもなくフロンティアを走った存在だという気がします。
もちろん、先の見えない苦労はあったはずなんですけど、
これほどたくさんのお客さんに受け入れられることになった理由は
宮本さんの目にはどのように映っていますか?
宮本
僕はやっぱり
パッケージの発明かなと思うんですね。
さっきの話にもありましたけど、
みんなで面白がりながらつくったものが
ゲームのなかにスパスパはまっていくというのは、
箱がしっかりできているからなんです。
もともと箱ができているから、アイデアが生まれると
「入れられるところに入れたらいいよ」と
言えるんですよね。
ある種、『Wii Sports』も
パッケージの発明だと思うんですけど、
どちらかと言うと『はじめてのWii』(※18)のほうが、
何でもかんでも放り込んでいい箱をつくったという意味で、
パッケージの発明なんです。
しかも、「オマケですから」という言い訳でやったので、
いろんなものが入っててもいいんですね。
でも、ふつうはパッケージとなると、
「統一感がないとアカン」という話になるんです。
ところが、たぶん『トモコレ』というのは、
身近なものを感じるものがしっかり下地にできているので、
奔放にいろんなものをつくって放り込んでも
受け入れてくれる素地があったんですね。
そういった箱を発明して、
ディレクターが持っているイメージがブレることなく、
ずっと守り続けられたことが
すごく大事なんですよね。
あと、もうひとつは、いま岩田さんが言いましたけど、
初回出荷が10万本からはじまったと。
むかしなら発売前にふつうに宣伝して、
売ったらそれでお終いなんです。
もちろん売れていれば宣伝は続けていくんですけど、
売れなければ宣伝してくれないんです。
しかも、宣伝を続ければ売れるわけでもない。
ところが、たまにうまくいくケースがあって、
むかし『星のカービィ』(※19)がそうだったんですけれども、
ちょっと売れてるから、もうちょっと宣伝しようと。
すると、またちょっと売れたので、
もうちょっと宣伝する意味が出てきたんですね。
岩田
その節はありがとうございました(笑)。
※18
『はじめてのWii』=Wiiリモコンの操作入門ソフト。2006年12月、Wiiと同時にWiiリモコンとセットで発売。
※19
『星のカービィ』=1992年4月にゲームボーイ用ソフトとして発売されたアクションゲーム。かつて、岩田(聡)が社長を務めていたHAL研究所が開発。
宮本
(笑)。
今回の『トモコレ』も似たような感じで
すごくいいサイクルに入り続けていて、
しかも、卒業という『トモコレ』最大の商戦を
これから迎えようとしているんですよね。
岩田
みなさん、いま、宮本さんが言った
“卒業”の意味はわかりますか?
受講生
・・・。
宮本
「卒業アルバムをつくったらええやん」って。
岩田
そうなんです。
同級生たちが離ればなれになっても
卒業アルバムを『トモコレ』でつくったら、
友だちが自分のDSのなかに住み続けるんです。
そのように使うのも、とても面白いよね、
という話を最近よくしてるんです。
宮本
そうですね。
年末年始もたくさん売れているのに、
まだこれから最大の商戦期を迎えるという、
そういう商品なんですね。
伊藤
・・・。
岩田
伊藤さん、いま何かを言おうとしましたよね。
伊藤
はい。
実はわたしの同期のひとりが、
NOE(Nintendo of Europe)に転勤になったんです。
そのときに、同期70人分のMiiを詰めて、
『トモコレ』を贈りました。
岩田
まさに実践してるんですね。
伊藤
社内でですけど。
岩田
社内だけど、転勤するときにも、
『トモコレ』はいい贈り物になるように思います。
宮本
そうですよね。
岩田
というわけで、そろそろ時間ですので、
最後にわたしがまとめたいと思います。
ゲームにはいろんな作り方がありますが、
『トモコレ』は、たぶんかなり変わった部類に入ります。
わたしはたくさんの商品が生まれる過程を見てきましたが、
そもそも、こんなに社歴の浅い人ばかりが中心で
つくっているということ自体がとても珍しいことですし、
その中で、ディレクターが迷わずに続けられたことが
うまくいった原因のひとつだと思います。
しかも、高橋さんには、坂本さんという、
とてもいい相談相手がいて、
坂本さんがちょうどいい距離感で見てくれたのも、
このソフトにとってはよかったんでしょうね。
ゲームとは、最初にしっかりとした仕様書がまずあって、
そのとおりにつくるのとはまた違った作り方が
『トモコレ』にはあって、
宮本さんからも話がありましたが、
いい箱をしっかりつくってさえいれば、
いろんな人が考えたいろんなアイデアでも
そのなかにどんどん入れることができるということなんですね。
ところが、つくっていた当人たちは
完成間際までどんなものになるのか見えていなかった、
というところも実に面白いですね。
でも、わたしはこういうことを開発者として経験できるのは、
開発者冥利に尽きることなんじゃないかと思うんです。
もちろん開発中は大変だったでしょうし、
「お疲れ様でした」と声をかけたいのですが、
同時に「よかったね」と言いたいというのが、
何よりもわたしが思うことです。
今日は一応、これで終わりますが、
いま受講生のみなさんが取り組んでいることは、
規模は小さいかもしれないんですけど、
密度はとても濃いですから、
ぜひ、世の中で話題になるようにがんばってくださいね。
これで終わります。ありがとうございました。
受講生
(拍手)