※このインタビューは、2009年12月4日に、任天堂ゲームセミナー受講生を対象に行われたものです。
岩田
そもそも『トモコレ』には、いろんな人が考えた、
ぐちゃぐちゃバラバラのネタが入っているじゃないですか。
それなのに崩壊しなかったのは、どうしてだと思いますか?
ふつうはバラバラだと、なかなかまとまらないものですよね。
高橋
まず、時間をかけてまとめたということもあると思います。
岩田
たしかに開発に時間はかかりましたよね。
高橋
実質2年くらいかかっていますので。
でも、それだけではなくって、
やっぱり最初に考えたコンセプトがブレてなくて、
そのコンセプトに従って
みんながつくっていったからだと思っています。
岩田
わたしは、開発が延びていく過程で、
実はひとつだけ見ていたことがあったんです。
みんなが迷って、しおれてないかだけを見ていました。
もし、迷ったあげく、しおれていくようなことになれば、
介入しようと思っていたんです。
ところが、迷っていないどころか、
ちょっと楽しそうに見えたので、
「このソフトは、少人数で
時間をかけてつくるタイプのものなのかな」と、
割り切って見るようになったんですね。
でも、なかなか出口が見えなくて、
岡本さん、辛くなかったですか?
岡本
わたしはすごく・・・しおれてました。
受講生
(笑)
岡本
開発の終盤は、テンションが上がったんですけど、
それまでは、すっかりしおれていたんです。
岩田
やっぱり出口が見えないときはしんどいんですよね。
岡本
本当にしんどいなあと思いました。
高橋
『トモコレ』の開発がスタートして、
1年以上過ぎたあたりで、岡本さんと話をしていたら
彼女がボソッと言ったんです。
「わたしはこのゲーム、一度も面白いと思ったことがない」と。
岩田
うわあ、衝撃の告白(笑)。
受講生
(笑)
高橋
その言葉にすごくショックを受けまして・・・。
岩田
「この、内輪ウケのどこが面白いんでしょうか」
みたいなことを言われたんですね。
高橋
はい。開発はコンセプトから入っていましたので、
ぜんぜんシステムのほうをつくる時間がなかったと言いますか、
しばらくの間、そこまではなかなか手が出せなかったんです。
ですので、岡本さんだけでなく、チームのみんなにも
このソフトで実現しようとしていたことが、
なかなか伝わりにくかったのかなと思っているんです。
岩田
しおれていた岡本さんは、
いつ頃から盛り上がってきたんですか?
岡本
わたしの盛り上がりは
山あり谷ありを繰り返していまして、
山で盛り上がったあとに、すぐに谷に入って
「もういいや」という感じになっていたんです。
ですから、ひとことでは言えないです。
でも、全体を通してみれば、楽しくやっていたように思います。
高橋
岡本さんはチームではいちばんマジメな人なんです。
だから、「このゲームは本当にどうなっていくんだろう?」と
いつも心配していたところがあったんですね。
岩田
岡本さん、不安だったでしょうね。
岡本
(黙ってうなずく)
高橋
岡本さんが不安に感じてるということは
僕も感じ取っていましたので、
「このソフトにはこういう面白みがあるんだよ」と
さりげなく説明してはいたんですけど、
あまり伝わらなかったかもしれないです。
岩田
口で伝えただけでは、
いまひとつ説得力が足りなかったのかもしれませんね。
そうやって周りのスタッフが不安に感じながらも
「究極の内輪ウケソフト」をつくることに関しては、
ブレることなく、高橋さんはずっと迷わないでいたんですね。
高橋
そうです。
岩田
そこが今回のソフトの大きなポイントなんでしょうね。
そもそもディレクターが迷っていたら、モノはまとまらないですし、
高橋さんが迷わずに、しっかりした判断軸を持っていたからこそ、
相当奔放なアイデアであっても、
みんながなんとか入れようとしたところがあったんでしょう。
海野さんは、「これはちょっと面白くなってきたぞ」と
いつ頃から盛り上がりましたか?
海野
正直に言いますと、最終的な完成型が見えたのが、
モニターが終わった後だったんです。
岩田
ええっ?これまた衝撃の告白(笑)。
受講生
(笑)
海野
ソフトが完成したのが2009年の2月頃で、
モニターが終わったのが2008年の10月の終わりでした。
ですから、完成する4ヵ月くらい前に、
「ああ、このソフトはこんなゲームなんだ」と、
ようやくわかったんです。
岩田
開発している人が、面白さをわかったのが
完成する4ヵ月前くらいだったんですね。
海野
はい。
岩田
うーん、
(受講生のみなさんは)これでいいのかと思うでしょうか・・・。
でも、新しいものができるときというのは、
こういうことなのかもしれないです。
でも、それまでは、
あまりテンションが上がらなかったんですか?
海野
確か、モニターに入る前の時期に
高橋さんと坂本さんから呼び出されて、
「君の担当の仕事がすごく遅れてる」と
怒られたことがあるんです。
岩田
怒ったんですか、高橋さん。
高橋
怒った記憶は・・・(笑)。
海野
怒られたというか、諭されたというか(笑)。
「もうすぐデバッグがはじまるので」と。
岩田
「もうすぐデバッグがはじまるので、
そろそろ気合いの入れ時だぞ」と言われたんですね。
海野
そこで、ToDoリストをポンと渡されまして。
岩田
ムチを入れましたね、高橋さん(笑)。
高橋
はい(笑)。それはすべて、
僕のスケジュール管理がまずかったからだと思うんですけど、
後半になってきて、海野さんの担当するパートが・・・。
岩田
マンションの部屋のなかではやることはたくさんあるし
いちばん時間のかかるパートでもあったんですね。
高橋
はい。でも最初は、そこまでするつもりはなかったんです。
ところが、開発が進むにつれて
どんどんそこに凝縮されていったんですね。
海野
初期の頃は、服を着替えたりとか、
部屋のインテリアを変えたりするのは、
別のパートのシーンだったんです。
岩田
ところが全部自分の仕事になったんですね。
海野
はい。マンションの部屋のなかがポータルみたいになって、
いろんな場所に飛ぶようになりましたので、
それらをどんどん組み込んでいくようにしていたんです。
それで、当時は週1のペースで、高橋さんから
みんなの進捗状況のメールが来ていたんですが、
「海野さんがものすごい速度で作業を終えています!」
みたいなことが書かれていたこともあって(笑)。
高橋
1週間の作業状況をスタッフ全員にメールして、
チームのみんなにお知らせするようにしていたんですけど、
海野さんはものすごく仕事が速いので、逆にそのせいで、
ものすごくたくさんの仕事が振られてしまいました。
岩田
仕事の作業項目が多かったんですね。
高橋
そうなんです。
そのへんはプログラマーさんの仕事の割り振りの
バランスが悪かったと反省してます。
岩田
でも、海野さん、いい経験をしましたよね。
海野
そうですね。入社2年目でしたけど、
このような経験はなかなかできないと思いました。