岩田
では、まずは自己紹介からお願いします。
青沼
情報開発本部の青沼です。
今回の『ゼルダの伝説 大地の汽笛』では
前作の(※1)に引き続き、
プロデューサーを担当しました。
岩本
同じく岩本です。
前作と同じくディレクターを担当しました。
※1
『夢幻の砂時計』=『ゼルダの伝説 夢幻の砂時計』。『ゼルダ』シリーズ初のニンテンドーDS用タイトルとして、2007年6月に発売された、ペンアクションアドベンチャーゲーム。
岩田
青沼さんは『ゼルダ』のWii版とDS版の
両方に関わられていますけど、
関わり方に違いはあるんですか?
青沼
Wii版のときは現場に入っていって
ディレクターの目線で仕事をすることが多いんですけど、
DS版はプロデューサー業を
ちゃんとやらせていただいています。
というのも、前作の『夢幻の砂時計』のときは
(※2)を同時につくっていましたから、
最初から細かく見ていくということができなかったんです。
それで『トワイライトプリンセス』が終わってから
DS版の現場に行ってみると、開発がかなり進んでいて、
自分としては、すごく手の加え甲斐のある状態になっていたんです。
※2
『トワイライトプリンセス』=『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』。2006年12月、Wii及びゲームキューブ用ソフトとして発売された、アクションアドベンチャーゲーム。
岩田
しばらく現場から離れていて
DS版を新鮮な目で見ることができたからこそ、
「ここにちょっと手を加えればもっとよくなる!」
ということが見えたんでしょうね。
青沼
そうなんです。
そこで申し訳なかったんですけど、
前作は3ヵ月、開発を延ばすことをお願いして、
その期間、手を加えさせてもらいました。
すると、やればやるほどよくなっていったんです。
岩田
はい、前作は、終盤にぐっとよくなったという話は
わたしも聞いていました。
青沼
それで、今回も前回と同じ岩本ディレクターですし、
『夢幻の砂時計』に関わったスタッフが半分くらいいましたから
ある程度は現場に任せて、今回も終盤の2ヵ月くらい・・・。
岩本
3ヵ月くらいでしたね。
青沼
やっぱり前作と同じくらいの期間、
終盤のタイミングで現場に入りました。
で、現場に入ったときは、
自分が投げていたいろんな提案に対して
期待を上回るものになっていて、
僕はたぶんそこから通しで10回くらい遊んで(笑)。
最終的なバランス調整をしていったという感じでした。
岩田
プロデューサーは「期待を上回っていた」と言っていますが、
ディレクターの岩本さん、
今回のプロジェクトはどうはじまったのですか?
岩本
もともと前作では、いろんなことを盛り込んで
自分としてはやりきった感がけっこうあったんです。
DSの機能を使って、いろんな遊びを盛り込みましたし。
ところが、プロデューサーの青沼さんから
「まだまだやれること、あるよね?」と。
岩田
やりきった感があるのに(笑)。
青沼
ただ、それは僕も同じだったんです。
前作はとにかくネタがてんこ盛りでしたので
自分としても、やりきった感は強かったんですね。
岩田
やりきった感が強いのに、
DSでもう1本、『ゼルダ』をつくろうと
考えたのはどうしてなんですか?
青沼
実は、その流れは
(※3)から
(※4)が生まれた経緯と
ちょっと似てるところがありまして。
岩田
ああ、64のときと状況が似てるんですね。
※3
『時のオカリナ』=『ゼルダの伝説 時のオカリナ』。『ゼルダ』シリーズで、初めて3D化された。NINTENDO64用ソフトとして、1998年11月発売。
※4
『ムジュラの仮面』=『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』。NINTENDO64用ソフト。『時のオカリナ』が登場して1年5ヵ月後の、2000年4月に発売。
青沼
かなり似てます。
ただ、この話をはじめると
ちょっと長くなってしまいますけど、いいですか?
岩田
ええ、お願いします。
その話は、『ゼルダ』論として
触れずにはいられないところでしょうから。
青沼
はい。64で初めて3Dの『ゼルダ』を
『時のオカリナ』というカタチにして、
そのとき僕は、部分的にですけど、
ディレクターとしてダンジョンの設計を
担当していたんです。
岩田
なんか、青沼さんは『時のオカリナ』のときから
全体を見ていたような気になっていましたけど、
よく考えてみると、ぜんぜんそうじゃなかったんですね。
青沼
ぜんぜん違います。当時は
あまり矢面に立たなくてもすんでた時代で(笑)。
岩田
あははは(笑)。
青沼
まあ、好き勝手にやらせてもらってたんですけど、
『時のオカリナ』をつくったときも
やりきった感がすごく強かったんです。
岩田
『時のオカリナ』が出たときは
当時のゲーム水準から飛び抜けていたという
評価もいただいていましたから、
きっと、余計にやりきった感が強かったんでしょうね。
青沼
そうなんです。
とても幸せな気持ちにさせてもらえたんです(笑)。
発売したあとも「やったな、オレ」という充実感があって。
たぶん、宮本(茂)さんのなかにも
同じようなやりきった感があったと思うんですが、
「まだまだやれること、あるよな?」という気持ちも
あのときの宮本さんにはあったみたいなんです。
岩田
はい、こういうことに関しては
ホントに欲張りですからね、宮本さんは(笑)。
青沼
それはつまり、
せっかく『時のオカリナ』で3Dのモデルをつくったんだから、
シチュエーションを変えることで
また新しい遊びなり、ドラマなりがつくれるんじゃないかと。
岩田
それで『ムジュラの仮面』をつくることになったんですね。
青沼
いえ、いきなり
『ムジュラの仮面』をつくりはじめたんじゃないんです。
実は裏がありまして、最初のお題は
「『裏ゼルダ』をつくりなさい」というものだったんです。
岩田
『裏ゼルダ』は64DD(※5)用に開発されていて、
最終的に『風のタクト』を予約するともらえた
「限定キャンペーンディスク」(※6)に収録されましたよね(※注1)。
※5
64DD=ランドネットディディが発売したNINTENDO64の周辺機器。1999年にはじまったサービスは、2001年に終了(※注2)。
※6
「限定キャンペーンディスク」=2001年12月発売の『ゼルダの伝説 風のタクト』を予約すると、数量限定で配布された予約特典。ゲームキューブ用のディスクに、『時のオカリナGC』と『時のオカリナGC裏』だけでなく、最新ゲーム映像も収録。
※注1
『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の『裏ゼルダ』が、
『ゼルダコレクション』に収録されていたと記載しておりましたが、
実際には、『ゼルダの伝説 風のタクト』の予約特典として配布された
「限定キャンペーンディスク」に収録されておりました。
事実と異なっておりましたことをお詫びし、訂正いたします。
(2009年11月19日)
※注2
サービス終了年を、翌年と記載しておりましたが、
実際には、翌々年の2001年に終了いたしました。
事実と異なっておりましたことをお詫びし、訂正いたします。
(2009年11月20日)
青沼
最終的な『裏ゼルダ』は別のスタッフが手がけたんですけど、
ダンジョンを担当していた僕としては
ダンジョンの裏をつくるということに対して
それほど前向きにはなれなかったんです。
新しい『ゼルダ』になるとは思えませんでしたし。
だけど、「ゼルダをつくれ」というお題に対して、
「つくりたくない」と言って終わりにはできないじゃないですか。
すると宮本さんから交換条件が与えられまして、
「1年で新しい『ゼルダ』をつくれるんだったら
『裏』じゃなくてもいい」と。
岩田
なんと!『ムジュラの仮面』は
売り言葉に買い言葉でできたんですか(笑)。
青沼
はい。そういう約束をしました。
でも『時のオカリナ』は3年もかかってるんですよ!?
岩田
そうでしたね(笑)。
青沼
その続編を1年で・・・。
「どんなものをつくればいいわけ?」と、
最初はぜんぜん見当がつかなくて
企画を広げてしまうばかりで・・・。
そこに宮本さんともう1人のディレクターだった
小泉(歓晃)さん(※7)の考えた
「コンパクトな世界を何度も遊ぶ」っていう
「3日間システム」(※8)というアイデアが加わって
やっと1年でつくるゼルダの全容が見えてきたんです。
岩田
実はあのときに、
「深くてコンパクトな遊びが、未来のゲームの姿のひとつだ」
ということを、ちょっと見せてもらったような気が
わたしはしてるんです。
『ムジュラの仮面』というのは、そういう意味では
任天堂にとってすごくターニングポイントになった
商品のひとつになったような気がしているんですね。
でも、それが、売り言葉に買い言葉から
はじまっていたとは知りませんでした(笑)。
青沼
はい(笑)。
でも、最初は試行錯誤の連続でした。
最終的に「3日間システム」を採用することにして、
3日間でクリアできなければ
世界が滅んでしまうようにしました。
岩田
とても緊張感のあるソフトになりましたよね。
※7
小泉歓晃=『ムジュラの仮面』以降は、『スーパーマリオサンシャイン』(2002年)や『マリオギャラクシー』(2007年)など、3Dマリオのゲーム開発やDSiウェアの『うごくメモ帳』(2008年)などにも関わる。東京制作部所属。
※8
「3日間システム」=ゲーム中の時間で3日が過ぎると、月が地上に落下して、世界が滅んでしまうため、その時間をプレイヤーが操り、3日間を繰り返しながらゲームを進めるシステム。
青沼
で、『ムジュラの仮面』では世界が滅んでしまわないように、
あそこに何があった、ここにはこれがあったとか、
いろんなことを覚えておく必要があったんです。
それは今回の『大地の汽笛』にもつながってくるわけですけど。
岩本
汽車で移動するときに
あそこに何があったとかを覚えておくと、
のちのち役に立つことがあるんです。
青沼
しかも今回はDSなのでメモもできますし。
岩田
かつて大変な苦労をして考えたことが
10年近い時を越えて、
もう1度役に立つという、不思議なご縁なんですね(笑)。
青沼
はい(笑)。