岩田
さて、それで、ふつうに考えると、
任天堂はバーチャルボーイを通じて
3D商品をつくる難しさ、伝える難しさを
絶対に思い知ってるはずなんですよ。
宮本
そうですねぇ(笑)。
糸井
トラウマになっててもおかしくないって
岩田さんはおっしゃってましたね。
岩田
いや、ほんとにそう思うんですよ。
ところが、3D商品の難しさを思い知ったはずなのに、
任天堂はその後も、何度も何度も、
3Dにトライしているんです。
それは、このニンテンドー3DSの前にも。
糸井
ぼくは知らないけど、そうなんだ(笑)。
宮本
ふふふふ。
岩田
商品として表に出てないですけど。
糸井
うーん、おもしろいねぇ!
岩田
たとえば、ニンテンドー3DSで採用している、
「メガネを使わずに立体映像が見える」画面のサンプルは、
ゲームボーイアドバンスSP(※11)で動いてたんですよ。
糸井
SP? SPっていうのは、
パタンと開くタイプのアドバンスですよね。
じゃあ、DSの前から、もう?
岩田
そうです、そうです。
裸眼で立体に見えるためには特別な液晶が必要なので
ゲームボーイアドバンスSPに立体液晶を
埋め込んでテストしてました。
ちなみに、そのときはまだ液晶の解像度が低かったこともあって
十分な魅力が出せなかったので、
商品化するまでには至らなかったんです。
メガネを使わずに立体映像を見せるためには、
右目に届ける絵と左目に届ける絵を別々に表示して
それぞれの目に届けなくてはいけないんですけど、
そのためには高い解像度と
精度の高い製造技術が要求されるんです。
当時はそこがまだ足りてなくて、
立体感が鮮明じゃなかったんです。
糸井
なるほど。
岩田
それから、もう少し古い話で、
ゲームキューブ(※12)って、
じつは3D対応の回路が入ってたんですよ。
糸井
・・・え?
岩田
ポテンシャルとして、
そういう機能を持っていたんです。
糸井
ゲームキューブが?
世の中に出回ったキューブぜんぶが?
岩田
はい。周辺機器を整えれば、
3Dを表現できるように仕込んであったんです。
糸井
・・・すごい秘密だねぇ。
岩田
ゲームキューブは2001年に発売された機械ですから、
ちょうど10年前のことですね。
そのころも、ずっと、
3Dのことを考えていたということです。
糸井
ちなみにその機能は、なぜ世に出なかったんですか。
岩田
そういうことができる液晶がまだまだ高かったんですよ。
簡単にいうと、ゲームキューブに、
専用の液晶ディスプレイをつけることによって
3Dの映像が表現できたんですけど、
その専用液晶が、当時はものすごく高かった。
糸井
ああ、10年前ですもんね。
岩田
もう、ゲームキューブ本体よりも
はるかに高い値段で売らないと成立しなかった。
ソフトはすでにできてたんですよ。
ゲームキューブ本体と同時発売だった
『ルイージマンション』(※13)。
糸井
ルイージが掃除機かついでたやつ?
岩田
そうです、そうです。
あれが3D対応になって動いてたんです。
糸井
あれが3Dだったんですか。
宮本
けっこうきれいに飛び出してたんですよ。
岩田
メガネなしでちゃんと立体に見えていたんです。
ところがそのために液晶にいくら出せるかっていうと、
当時はやっぱり高価すぎたんですね。
それで、まぁ、まだ市場はないだろうということで。
糸井
そこでまた、いったんあきらめて。
はーーー。で、また、いまなんだ。
なるほどねー、ぜんぜん懲りてないねー。
岩田
そうなんです。懲りてないんです(笑)。
宮本
ははははは。
糸井
きっと、いちばんしつこく
3Dを追いかけているのは、宮本さんですよね?
岩田
(笑)
宮本
まあ、そうですね。
古いところでいうと、
もう、ファミコンのディスクのころに
ゴーグルをかけて遊ぶ3Dのゲームをつくってますから。
岩田さんとつくったやつですけど。
岩田
そうそう(笑)、
宮本さんと私の最初の仕事は、
その、ゴーグルをかけて遊ぶ
ディスクシステム(※14)のレースゲームだったんですよ。
糸井
へー、そうなんですか。
岩田
『3Dホットラリー』(※15)というゲームです。
宮本
経緯を説明すると、まず、岩田さんのいた
ハル研(※16)さんがつくったレースゲームがあったんです。
当時からハル研さんは技術力がありましたから、
もう、見たこともないような、
かなり大胆な起伏があるレースゲームを
つくってくださった。
ところが、これが・・・いまひとつおもしろくない。
岩田
はい。
一同
(笑)
宮本
こんなにすごいけど、
このままでは売れへんよねっていうので、
かかわることになりまして。
岩田
つまり、直してもらったんです(笑)。
宮本
ふつうのレースゲームだったんですけど、
全体にラリーの仕組みにつくりかえて、
主人公をマリオにしたんです。
要するに、起伏の激しいコースを
マリオがバギーに乗ってばんばんラリーをしていく、
というゲームになった。
糸井
なるほど。
宮本
で、それを「飛び出すようにしよう」と。
右目で見る絵と、左目で見る絵をつくって・・・。
岩田
液晶シャッターのゴーグルを専用でつくってね。
宮本
それがはじめて岩田さんと一緒にした仕事なんです。
岩田
その前から、面識はあったんですけど、
べったり一緒につくったのは
『3Dホットラリー』がはじめてでした。
糸井
そのタイトルは覚えてないんだよなぁ。
ふつうに売ってたんですよね?
岩田
売ってましたよ。
宮本
『パルテナの鏡』(※17)のちょっと後ですよね。
岩田
はい。
糸井
うーん、やっぱりオレは
ゲームファンじゃなかったんだなぁ。
宮本
『カービィ』(※18)より前ですよね。
岩田
『カービィ』より前です。
糸井
『カービィ』のことなら、いろいろ覚えてますよ。
ぼくは、宮本さんが『カービィ』について
当時の山内社長に相談する現場に居合わせましたから。
宮本
ああ、そうそう(笑)。
糸井
その話はちょっと長くなるし、
楽しすぎるからちょっと置いといて・・・。
岩田
(笑)