2. 地方遠征、道場破り!
岩田
池田さんのビデオゲームとのかかわりは
どんな感じでしたか?
池田
はい、本作プロデューサーの池田幸平です。
僕がビデオゲームと出会ったのは小学1年生ぐらいで、
『スーパーマリオブラザーズ』(※6)が発売されて、
だだをこねて親に買ってもらいました。
でも、二股のVHFの変換器がなくて、
自分で買いにいって、つないだのを覚えています。
岩田
小学1年生で、そこまでやったんですか?
池田
はい。ちょっと手伝ってもらいましたけど、
古いテレビにつながった瞬間、
「おおおお!」って盛り上がったのを覚えています。
自分で動かすマリオが画面の中にいることが衝撃でした。
岩田
手元で触っているものがテレビの中で動く、というのは
あの時代の多くの人がはじめて体験したことですからね。
池田
はい。それがゲーム好きになったキッカケで、
近所の友だちと競うようになって、
思いどおりにキャラが動くようになるのが
とにかく楽しかったんです。
また、小6のとき、友だちに誘われて
デパートのゲームコーナーに
『ストリートファイターII』(※7)をやりに行ったんです。
そこで向かい合って対戦するのがすごく新しくて。
岩田
見ず知らずの人同士が対戦する感じが独特でしたよね。
池田
はい。プレイしている人のまわりを
腕組みしながら囲んで見ていました。
勝てばつづけられるから、当然強くなりたかったですし、
ゲームを通じて知らない人とコミュニケーションしている
感覚がすごく新しかったんです。
岩田
勝った人が残って、
負けた人が入れ替わるルールは
自然発生的に生まれてきた気がしますね。
池田
そうですね。
中学生になってゲームセンターに行くようになると、
ゲームセンターという空間自体が最先端の
新しいものを体験できる本当にワクワクした場所でした。
本格的に格闘ゲームにはまったのは
『バーチャファイター2』(※8)が出たころで、
僕はまだ中学生でしたけど、けっこう練習していたので
20代~40代の大人の方たちと対戦しても勝てたんです。
岩田
ゲームの中で、中学生が大人を倒しちゃうわけですね。
池田
そうです。
それでだんだん顔見知りになって、
ご飯を食べにいったり、話を聞いたりして
どんどん楽しくなって・・・。
そのうち「もっと強い奴らがいるかもしれないから、
地方へ行ってみようぜ!」という話になり、
週末には大人たちと車で遠征していました。
岩田
すごいですね・・・! 地方遠征ですか(笑)。
池田
はい。その体験がいまの自分のもとになっていて、
知らない人とつながれることが本当に新鮮でした。
あと、強い奴が来るという情報を仕入れて、
「じゃあ、いついつにゲームセンター集合な!」
みたいに、待ち受けるんです(笑)。
岩田
おお、果たし合いか、道場破りの世界ですね!
池田
30連敗ぐらいしたんですけどね(笑)。
でもその後、
「こうするともっと強くなるよ」とか、
「これが面白いからやってみな」とか話してくれて、
直接コミュニケーションできたんです。
そういったところが格闘ゲームの魅力ですし、
ゲームセンターはいい場所だなと思って、
その表現に何らかの形でかかわりたいと思いました。
岩田
地方遠征に、道場破り・・・。
まさに格闘ゲームとともにある青春ですね。
原田
中学校のときにああいうゲームがあるのは、
刺激的すぎて我慢できないですよね。
池田
そう、我慢できませんでした(笑)。
高校卒業後は、
ゲームも3DCGが中心になる時代がくるということで、
3DCGのモーションを勉強するために
ゲームの専門学校に行ったんですが、
当時も『バーチャファイター』シリーズにはまっていて、
町田に有名なゲームセンターがあったので、
そこに家を借りました。
岩田
え? ゲームセンターが町田にあったから、
下宿先をそこに決めたんですか?
池田
そうです(笑)。
親には言いませんでしたけど。
岩田
人生の優先度ナンバーワンが
格闘ゲームだったんですね(笑)。
池田
そこは有名なゲームセンターだったので
いろんな人が来て、毎日楽しくて仕方なかったんです。
専門学校卒業後は、学生時代にエンターブレイン(※9)で
『鉄拳』のコンボ(※10)を収録するバイトをしたことがキッカケで、
当時の編集の方に誘われてそのまま就職しました。
そこで『ファミ通WaveDVD』(※11)という
DVDつきの雑誌で6年ほど、ディレクターとして
企画と映像のディレクションをやってました。
岩田
ゲームは、映像次第で魅力の伝わり方が段違いですからね。
池田
はい。遊んでいる人にどう面白く伝えるか、
という視点でやっていたので、
その経験はいまに活かされていると思います。
岩田
『ファミ通Wave』の時代に、
原田さんとお会いすることもあったんですか?
池田
はい。じつは取材したことがあります。
あと、僕は『鉄拳』が大好きでしたので、
サイコロで出た目の数だけ進みながら
山手線沿線のゲームセンターに2時間だけ挑んで、
1日に100勝できるかを競う
「鉄拳100人斬り」っていう企画をやりながら、
『鉄拳』の面白さを伝えていました。
岩田
偶然、その場に居合わせた方たちが
相手になるんですか?
池田
はい。ガチでゲームセンターに行ってやりました。
原田
その映像、すごく面白い内容で、
開発のみんなでゲラゲラ笑いながら見てましたね。
池田
あとでその話を聞いて、すごくうれしかったです。
岩田
先ほどの遠征の話にしても、
果たし合いの話にしても、
ものすごく人間ドラマにあふれていますよね。
おふたりともそろって遊ぶのが大好きで、
「これを理解してくれる仲間を探したい!」
というのが根っこの動機なんですね。
おふたりとも・・・そっくりですね(笑)。
池田
確かに、聞いていると、
けっこう被ることが多いですね。
岩田
それで池田さんが最終的に、『鉄拳』チームと
ご縁ができたキッカケはなんですか?
池田
『鉄拳5』(※12)のDVDをつくるにあたって、
日本の有名なプレイヤーと韓国のプレイヤーを
戦わせる企画があったんです。
それで韓国のゲームセンターに出かけたんですが、
韓国人の代表者3人と日本人の代表者3人に、
韓国のギャラリーが60名以上という
完全アウェーの中で撮影をしたんです。
岩田
敵の陣地に攻め込んじゃった感じですね。
池田
そうですね。
サッカーや野球の日韓戦の雰囲気と同じで、
試合中はすごくピリピリした空気だったのを覚えています。
でも試合終了後は、すごく親しみを感じてもらえて
いっしょにご飯にいったり、
ゲームセンターで『鉄拳』の対戦をしたりしました。
言葉は通じないんですけど、
格闘ゲームってスポーツみたいに
ワールドワイドで通じ合えるんだなぁ、と
そのとき思いました。
ちょうどそんな折、ナムコで『鉄拳』プロジェクトの
中途採用を募集していたので応募したんです。
いままでの企画も韓国遠征も、
すべては『鉄拳』と“縁”があったのかな、と感じました。