3. “生きているかのような感じ”
岩田
お客さんへのアピールという話題が出たところで、
プロデューサーとしてファンを見続けてきた、
武重さんからお話を伺いたいと思います。
まずは、武重さんと大宮ソフトさんとの
出会いを訊かせてもらえますか?
武重
はい。大宮ソフトさんとはじめてお会いしたのは、
僕がまだ前の会社、
マリーガルマネジメントに在籍していた、
1997年の12月のことでした。
『カルドセプト』の第1作が出た直後、
大宮ソフトさんが来社されたんです。
僕は当日、急に同席することになったんですが、
そのとき「大宮さん」って言われても、
社名か社長のお名前かもわからない状態でした。
岩田
何も知らずに、出会ったわけですね。
武重
はい、名刺交換したその場で理解して(笑)。
以前、わたしが働いていた
マリーガルマネジメントという会社は、
大宮さんのような小規模でも、
ゲームづくりの熱意を持った会社さんと
お付き合いをするケースが多かったんです。
岩田
はい。わたしから少し説明させていただくと、
マリーガルマネジメントというのは、
任天堂とリクルートさんが共同出資ではじめた、
ゲームのファンド事業をマネジメントする
会社なんですよね。
ゲームへの出資をファンドの形で募り、
いくつかのゲームに投資して、
その投資によって得た収益のリターンを
投資者のみなさんにお返しする事業モデルでした。
武重
そうです。
岩田
ゲームをつくるのは得意でも、
たとえば会社のマネジメントや権利関係の処理、
営業などにエネルギーを浪費していた
クリエーターを支援したい、という
志を持った人たちを中心に、
運営されていた会社なんですよね。
武重
はい、そのとおりです。
ありがとうございます(笑)。
岩田
いえ(笑)。わたしも少しだけ
お手伝いさせていただきましたので。
さらに言うと、
ジャムズワークスさんは
マリーガルマネジメントのスタッフが
集まってできた会社なんですよね。
まぁ、なんというか、
ゲームの魔力に取り憑かれた人たちの集団、
ですよね(笑)。
武重
はい、そのとおりです(笑)。
で、その最初にお会いしたとき、
ご提案いただいた企画が、
のちの『セカンド』でした。
実際にはその前にさきほど話の出た
『エキスパンション』を出すことになり、
そこからわたしがプロデューサーを担当しています。
岩田
武重さんがプロデューサーとして、
『カルドセプト』を広めるために、
まず、最初にしたことは何だったんですか?
武重
やはり当時から対戦に夢中になっている
熱狂的なファンがいらっしゃったので、
そういった方々に向けた、
ネットのコミュニティサイトをつくりました。
いまから13年前ですね。
岩田
その頃、ネットでゲームのサイトというのは
けっこう早いですよね。
武重
そうですね。
それから、実際に全国各地で対戦を行う、
全国大会の企画運営なども5回行いました。
岩田
なるほど、ネットを活用して、
対戦プレイを推進したわけですね。
武重
当時の環境としてはまず、
周りに遊んでいる人をみつけるところから
はじめないといけなかったんです。
岩田
武重さんは『カルドセプト』の
おもしろさってすぐわかりましたか?
武重
正直なところ・・・、
担当してすぐにはわからなかったです(笑)。
岩田
最初は誰もが、わからないですよね。
武重さんは当時のファンの熱狂ぶりや、
それがさらに大きく育つ過程まで
ぜんぶ見てこられたと思うんですけど、
いま振り返ると、その魅力は何なんでしょうか?
武重
すごくシンプルに言うと、
頭の中で考えたことを組み立てていって、
それがうまくいったときの、
何とも言えない“爽快感”でしょうか。
まぁ、その逆もありますけど(笑)、
それはそれで「今度こそ!」とまたやりたくなる。
僕はアクションゲームは苦手なんですけど、
指先の器用さや、反射神経を必要とせずとも、
それに似た気持ちよさが、
『カルドセプト』にはあると思っています。
岩田
理詰めだけでなく、
もちろん運比べでもない。
ときどき想定外の出来事が起こって、
その瞬間のやりとりのなかでの駆け引きと、
その結果の積み重ねが、何ともいえない中毒性に
つながっていくんでしょうね。
武重
ひとつのものに対して、
ウラを返せば・・・みたいな
多面性の深みも魅力のひとつですね。
岩田
そうですね、よくデザインされたゲームって、
絶対の必勝法ってないんですよね。
人同士の対戦であればなおさらで、
そういった絶対ではない要素が魅力なのは、
たしかですよね。
武重
いちばんはじめの全国大会のとき、
予選を地方各地でやって、
それをぜんぶ見てきたんですけど、
地方によって戦法に特色があったんです。
岩田
もともとのゲームが秘めていた可能性が、
地域ごとの特色として、
独自の発展を遂げていたわけですね。
武重
はい。そこから、
情報の有用性というものを強く感じました。
「送り手がその部分をサポートすることができれば、
ゲームをより広めることにつながるんじゃないか?」
と考えたんです。
岩田
だから、インターネットでつなぐことも
相当早かったわけですね。
武重
そうです。『セカンド』で
ゲーム自体にネット環境が加わったことで、
また状況も大きく変わりました。
地方色というものはなくなったんですけど、
今度は流行りみたいなものが、出てきたんです。
時間軸で、株を見ているような感じなんですけども。
岩田
へぇ~(笑)、それは興味深いですね。
もともとゲームの仕組みに
それだけの深さが内包されていて、
それをプレイヤー自身が掘り起こし、
さらにそれをほかのプレイヤーがくつがえして・・・。
ゲームの仕組みはそのままに、
そのうえで遊びが進化していく、典型的な例ですね。
武重
やっぱり“絶対”という戦略はないんです。
ひとつが流行ると、それの対策が生まれて、
それがうまい具合に循環していく。
その“生きているかのような感じ”が、
すごくおもしろいんです。