1. 青リンゴが“青信号”に
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この社長が訊くインタビューは通訳を介して行われたものですが、
全文を日本語にして掲載しています。
岩田
今日はニンテンドー3DSソフト『新 絵心教室』、
欧州では『New Art Academy』というタイトルが
どのように生まれたのかをお訊きするために、
日本の任天堂の開発チームと、
英国にあるKuju Entertainment(※1)のみなさんに
集まっていただきました。
では、今回のプロジェクトで何をしたか、
Kujuさんのおふたりから自己紹介をお願いします。
タンク
タンク・ダイクウェルズです。
Kuju Entertainmentには
いくつかの開発スタジオがあるのですが、
わたしはその中のひとつ、
Headstrong Gamesに11年間勤めてきました。
前作の『絵心教室』(※2)のときから
このプロジェクトに関わってきまして、
今回もスーパーバイザーとして、
アートやゲームデザインの観点から、
開発全般を見る仕事を担当しました。
ジェイソン
ジェイソン・ハワードです。
前作の『絵心教室』のときから関わってきまして、
今回はリードアーティストとして
個々のレッスンの制作や監修を担当しました。
寺崎
企画開発本部の寺崎です。
今回はプロデューサー役をつとめましたが、
本当の役割は“生徒A”でした(笑)。
岩田
それはつまり、Headstrongさんのおふたりが“先生”で、
寺崎さんは“生徒A”なんですね(笑)。
寺崎
はい。
前作の『絵心教室』のときからずっと、
“生徒A”という立場でやってきました。
岩田
『絵心教室』がはじまった頃から、
寺崎さんは、わたしのところにやってきては、
「こんな絵が描けました!」と
自分の絵を自慢しに来ていましたよね。
寺崎
ええ。
岩田
寺崎さんの隣に座っているおふたりは、
わたしの何倍も、寺崎さんに
描いた絵の自慢をされたんじゃないですか?
宮地
そのとおりです(笑)。
寺崎さんからものすごくたくさんの絵を
見せられた、宮地です。
岩田
(笑)
宮地
開発の立場としては、ゲーム内容の監修や
サポートなどの全般的な仕事を担当しました。
でも、このゲームへの本当の関わりかたで言うと、
“生徒B”です。
岩田
はい(笑)。
では、“生徒C”の一条さん。
一条
はい。先に言われてしまいましたけど(笑)、
“生徒C”の一条です。
ただ、僕はプロジェクトの後半から参加しましたので、
どちらかというと“転校生”という感じでした。
今作では、主に3DSの本体機能を使った
システム部分のやりとりを担当しました。
岩田
さて、本題に入る前に、
Headstrongさんと任天堂のおつきあいのはじまりについて、
寺崎さんとタンクさんから話してもらえますか?
寺崎
はい。その質問はあるだろうなと思って、
前もって古い記録を調べておいたんですけど・・・
タンクさんとはじめて会ったのは
2003年の8月でした。
岩田
ちょうど9年前になりますね。
寺崎
そうです。そのときは、
のちに『突撃!! ファミコンウォーズ』(※3)になった商品の
プロトタイプ(試作品)を見るために、
当時はまだ「Headstrong」と名乗っていなかった
Kujuさんのロンドンスタジオにお伺いして、
お話を聞かせていただいたのが、最初の出会いです。
岩田
タンクさん、任天堂と
はじめておつきあいしたときの印象はどうでしたか?
タンク
寺崎さんがおっしゃったように、
はじめてお会いしたのは9年前のことなので、
当時のことを思い出すのはすごく難しいんですけど、
すごくエキサイティングな出来事だったことは
よく覚えています。
実際に『突撃!! ファミコンウォーズ』の開発がはじまると、
任天堂ならではの仕事のやりかたや、
ゲームデザインの哲学に触れることができました。
岩田
で、『突撃!! ファミコンウォーズ』を2本つくって、
そのあとに『絵心教室』をつくったんですよね。
タンク
はい。
岩田
でも、その2種類のソフトを、同じ人たちが
つくったようにはとても思えないですよね。
ジャンルもゲームの目的もまったく違うものですし。
タンク
そうですよね(笑)。
岩田
何がキッカケで
『絵心教室』が生まれることになったんですか?
タンク
わたしたちはもともと、
ミリタリーやホラー系のアクションゲームを
得意にしている開発スタジオなんです。
そこから、『絵心教室』へのつながりを説明するのは
とても難しいのですが、あえて言うとすれば、
わたしたちが“アートスタイル”に
とても重きを置いていたということです。
岩田
アートにこだわりをもって
ゲームをつくってこられたんですね。
タンク
はい。それである時、
DSのハードウェアをじっと眺めていて、
「このタッチペンは何のためにあるんだろう?」
と、思ったんです。そこで
「きっと絵を描くためのものじゃないか?」
と気づいたとき、
「では下の画面は?」
「 絵を描くための画用紙だろう」
「すると上画面は?」
「チュートリアルに使うためだ」と、
連鎖的にアイデアが浮かんできたんです。
岩田
『絵心教室』のアイデアの原型は、
そうやってあっという間に生まれたんですね。
タンク
そうです。
ただ、先ほど岩田さんが
『突撃!! ファミコンウォーズ』と『絵心教室』を、
「同じ人たちがつくっているとは思えない」
とおっしゃいましたが、それはまさしくそうでした。
ですから、任天堂にプレゼンする前に、
まずはKujuの経営陣を説得する必要がありました。
岩田
戦略シミュレーションゲームをつくっていた人たちが、
「絵のトレーニングソフトをつくりたい」と
いきなり言い出したので、
社内の人たちもすごく驚いたんでしょうね。
タンク
はい。なのでプロトタイプ(試作品)をつくって、
なんとか社内のOKをもらってから、
寺崎さんに見てもらったんです。
岩田
その提案を、最初に受けた寺崎さんは
“生徒A”として、このプロダクトを推し進めた
張本人だったわけですよね。
寺崎
はい。
岩田
何が寺崎さんをそこまでさせたんですか?
寺崎
あの・・・ゲーム会社で働き出すと、
まわりにプロの絵描きさんがいっぱいいるんです。
その気持ち、岩田さんだったら
きっとわかってくださると思うんですけど(笑)。
岩田
たしかに、わたしたちは
ものすごく絵のうまい人たちに
囲まれていますよね(笑)。
寺崎
そんな環境の中で働いてると、
「おれには絵が描けねえや!」
と開き直っちゃうんです。
岩田
寺崎さんの学生時代の専門は・・・?
寺崎
電気系です。
岩田
だったら回路図は・・・。
寺崎
書けません(キッパリ)。
そもそも僕、絵を描くのがイヤなんです。
岩田
イヤなんですか(笑)。
寺崎
それくらい絵を描くことに
苦手意識を持っていたんですけど、
30分だけだったら、
なんとかがまんして描けると思ったんです。
そこで、レッスンは基本、
30分で終わるものにしてもらって、
リンゴを描いてみたら、
なんと、描けてしまったんです。
岩田
それで、うれしそうにわたしのところにやってきて、
リンゴの絵を見せてくれたんですね。
寺崎
はい。本格的な絵が描けることで、
「自分のように喜ぶ人が大勢いるだろうなぁ・・・」
と思いました。
タンク
寺崎さんの描いたリンゴは、
製品版では赤リンゴになりましたけど、
プロトタイプのときは青リンゴだったんです。
ですから、その青リンゴがわれわれにとって、
プロジェクトを進行してもいいという、
“青信号”にもなったわけですね。
一条
タンク先生、うまいこと、言いますね(笑)。