3. 問題も自分でつくった「面白ゼミナール」

岩田

せっかく手に入れた“お墨付き”では
恩恵をぜんぜん受けられなかったんですか。

鈴木

まず、モスクワに参りまして、
取材日程などを書いた計画書を出したんです。
ところが、道路が映っちゃあいけない、
橋が映っちゃあいけない、駅が映っちゃあいけない、
列車が映っちゃあいけない、工場が映っちゃあいけないとか、
とにかく、いけないづくしだったんです。

岩田

当時のソビエトは
取材規制が厳しかったんですね。

鈴木

それで、わたくしもシャクにさわりまして、
「お前さんの国はソビエト連邦じゃない」と。
ロシア語で「ノー」のことを「ニエット」と言いますが、
「お前さんの国はニエット連邦だ」と言って(笑)。

岩田

(笑)

鈴木

で、たとえばトルストイの生まれた病院が
モスクワ郊外にあるんですね。
彼は病院の3階で生まれているんです。
その横に門があって、上に置物が乗っかっておりまして、
いかにも19世紀のたたずまいなのです。
そこから撮りはじめて、右にちょっとカメラを振ると、
彼が生まれた病室が映るから、これはいいなと。
そこで、クレムリンで「撮ってもいいか?」と訊いたら
すぐにOKが出て、珍しいなとは思ったんです。
それでいざ現場でカメラを回しはじめたところ、
いきなり向こうの人がカメラのレンズを
手で押さえて、何も映させてくれなかったんです。

岩田

それは現場に指示がおりてないからですか?

鈴木

いえいえ、わたくしには監視役の政府連絡人が2人、
ずっとついてきていました。東ドイツでも。

岩田

ついてきて、やめろと言うんですか。

鈴木

すべてがそういう時代でした。

岩田

でも、鈴木さんは、
カメラの前でしゃべって情報を伝えるだけでなく、
そういった交渉事もおやりになっていたんですね。

鈴木

そうなんです。
「クイズ面白ゼミナール」でも、最初の2年半は、
ほとんどの問題をつくっていました。

岩田

ひとりで問題を?

鈴木

ええ、ことに歴史の。
スタッフが、資料を集めることに慣れて、
必要なものを引き出す力を持つまでは、
わたくしひとりでやっていました。
で、問題をつくって、セットはこうつくりなさいと、
大道具さんに絵を描いて渡して、
それで俳優さんを集めて、演技もつけたりして。

岩田

どう考えても、ひとりでおやりになる
仕事の量には聞こえないんですけど(笑)。
鈴木さんをそのように突き動かしていたものは
いったい何だったのですか?

鈴木

要するに、わたくしはアナウンサーといいましても、
放送現場の片隅で働いてる、一介のしがない職人なのです。
だから、この番組がどうやったら面白くなるか、
それにこだわるわけです。

岩田

はい。

鈴木

わたくし、このような放送の話を
人に対してするのは、実は初めてなんです。
番組というのは大勢でつくりますでしょう。
それを、さも自分ひとりでやったように
書いたり、しゃべったりするのは、
江戸っ子の律儀が許さないんですよ。
わたくしは先祖代々、生粋の江戸っ子なんですね。
だから、現役のときも後輩諸君に
「自分はこういう仕事の仕方をしてるんだ」と
話したこともないんです。

でも、2009年の4月に、
NHKの現役アナウンサーたちが
「1度話を聞かせてほしい」というので行きまして、
生まれて初めて、3時間くらい話してきましたけど、
放送の話をするのは、そのときと
今日のこれで2回目です(笑)。

岩田

本当にありがとうございます。

鈴木

でも、「どうやって覚えるんですか?」と
相変わらず訊かれることが多いんです。
受験の時期になると中学生や高校生から、
「どうやると覚えられるんですか?」
という手紙が山のように来ました。

岩田

確かにそうでしょうね。
「何かコツがあるのなら、教えてください」
という人の気持ちもわかるんですが、
実は、そのことに対しては
わたしの興味がそれほどあるわけではないんです。
鈴木さんの記憶力はもちろんすごいとは思うのですが、
そのことよりも、むしろそういう方向に
鈴木さんを駆り立てていったものは何で、
どんなことが面白かったから
それを続けられたかということに、
わたしはすごく興味があるんです。

鈴木

わたくし、これまで他人と同じ仕事は絶対にやるまいと、
他人と同じ生き方は絶対にやるまいと、
あの人があの言葉を使ったら、
自分は絶対に使わないぞと、
そう思いながらずっとやってきました。

岩田

はい。

鈴木

ところが、いまの人はそういう気持ちがないんですね。
たとえばこの頃は、台本を見ながら
インタビューの番組をやる人もいるんです。

岩田

台本を見ながらインタビューするんですか?

鈴木

インタビュー番組に台本があるんですよ。
それにテストもあったりするんです。
だから見ていてもつまらないんです。
わたくしが現役でインタビューを担当したときには、
“爆弾”を3つくらい持っていくようにしていたんです。
“爆弾”とは言っても、
相手が答えに困るだろうという“爆弾”なんですが(笑)。
ところがいまのインタビュアーは、
全員とは言いませんが、人からもらったものを
そのままぶら下げていって、
「これやりますから」とわざわざ相手の方に伝えて、
それで決まり切った話を聞いているのにすぎないんですね。

岩田

インタビューで台本があったらダメだというのは、
わたしでもわかります。というのは、
わたしはその道のプロではありませんが、
それでもこうやってお話をお訊きすると、
わたしが知らない展開が必ず起こるわけです。

鈴木

まったくその通りです。

岩田

わたしの場合は、
自分の好奇心はどこに向いていて、
次に何を訊いたら、いろんな読者の方たちが
面白いと思ってくれるだろうかと思いながら
いつもやっているんです。
それがとても面白いので、この「社長が訊く」を
ずっと続けているんですね。

鈴木

今日はここに来るときにですね、
「いったい何の話をしたらいいんだ?」と
NHKのスタッフに訊いたんです。
「社長が訊く」なのか「社長に訊く」なのか、
どっちなんだって(笑)。
そしたら携帯を取り出して調べてくれて、
「“社長が”になってます」と(笑)。

岩田

紛らわしくてすみません。
ふつうとは違っていまして、
わたしが、訊くんです(笑)。
世の中に似たようなものがありますけど、
たいていは「社長に訊く」なんですね。

鈴木

ですから、わたくしは今日
何も訊かなくてよろしいんですよね(笑)。

岩田

はい(笑)。