岩田
本日は大変貴重なお時間をいただき、
本当にありがとうございます。
鈴木さんの番組はいつも拝見しておりましたが、
まさかこんな日がやってくるとは思ってもみませんでした。
鈴木
いやいや(笑)。
(腰のあたりの高さに手をやって)
こんな子どもの頃じゃございません?
岩田
いえ、そこまでは小さくありませんでした(笑)。
番組を拝見していたのは80年代ですから、
大学生から社会人になった頃ですね。
鈴木
それは失礼しました(笑)。
岩田
わたしは「クイズ面白ゼミナール」(※1)を拝見していたとき、
テレビの前でいつも驚いていたんです。
鈴木さんはいろんなことを、何でも詳しくご存じで、
それも、半端じゃなく深く深くご存じで、
「この方の頭のなかはどうなっているのかな?」と思っていました。
鈴木
(笑)
※1
「クイズ面白ゼミナール」=1981年4月から1988年4月まで、7年間にわたってNHK総合テレビで放送された教養クイズ番組。主任教授(司会)は鈴木健二氏。
岩田
たぶん、そう思っておられた方々が
日本中にたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
今回、任天堂がNHKさんとソフトをつくることになって、
「クイズ面白ゼミナール」をお茶の間に蘇らせる
機会をいただけることになり、
なんと鈴木健二さんご本人に
声の出演までしていただけるということになって、
しかもわざわざ、京都までご足労いただき
任天堂の地下スタジオで声を録っていただいたことは、
逐一報告を受けていました。
そこで、せっかくの機会ですので、
わたしの好奇心に任せて、ということでもあるのですが、
おそらくたくさんの方々も
鈴木さんの現役アナウンサー時代の話に
すごく興味がおありではないかと感じていますので、
この機会にいろんなお話をお訊きできればと思っています。
今日はよろしくお願いいたします。
鈴木
よろしくお願いします。
「クイズ面白ゼミナール」をやっていた当時はですね、
会う人ごとに、いまのことを訊かれました。
岩田
はい。
鈴木
ある週刊誌がですね、
「鈴木健二の脳を保存しろ」と書いたんですよ。
そうしたらですね、解剖のために
遺体を保存する団体がありまして、
そこから「原稿をお願いします」という連絡が本当に来たんです。
でも、この世の中に脳みそを置いていったら、
あの世に行って何を考えて暮らせばいいんだと(笑)。
岩田
(笑)
鈴木
あの世では暇で暇でしょうがないじゃないかと(笑)。
それで、断ったことがあるんですが、
いまでも会う人から毎回のように訊かれるんです。
岩田
それはそうでしょう。
ひとつの分野に詳しい人がいることは
誰でも想像できるんです。
でも、あっちの分野でも、こっちの分野でも、
あれほど深い話ができておられたことが、
万人にとって、ものすごく驚異的なことなんです。
鈴木
ですから、大学の心理学研究室とか、
なかには精神科とかがですね、
しょっちゅうスタジオに調べに来ました。
どこかに何か書いてあるのではないかと
天井裏から机の下まで調べて、
本番中もずっと見ていたんです。
岩田
鈴木さんが台本を見ないで
番組を進めるという話を
疑っておられたんですね。
鈴木
わたくしは、スタジオに入るとき何も持ち込みません。
ですから「クイズ面白ゼミナール」のときも、
各大学の心理学の研究室が来まして
「どうやって覚えるんですか?」と訊かれたんですよ。
でも、わたくし、答えようがないんです。
目を白黒させながら覚えたってことが、まったくないんですから。
舞台の俳優さんが舞台に出るときに
台本を持って舞台に出ますか? 出ないでしょう。
みなさん、あの長ゼリフを覚えていくんですよ。
岩田
ただ、舞台のセリフは
ほとんど事前に決まっていますけど、
テレビ番組の場合は、何が起こるかわかりませんよね。
鈴木
そうです。
わたくしは、昭和39年に東海道新幹線が開通したときに、
実況中継を担当したことがありましてね。
朝7時半に東京駅を出まして、
その4時間後に新大阪の駅に着いたんですが、
途中に障害が360ヵ所あったんです。
岩田
障害が360ヵ所?
鈴木
たとえばトンネルに入りましたら、
このトンネルでは5秒でもって映像が切れますと。
このトンネルは10秒で音声も途切れますと。
新幹線が有楽町の駅のあたりを過ぎますと、
すぐに日劇がございましてね。
新幹線と日劇の建物の間は50センチしかなかったんです。
だから発車すると、音声も映像もすぐに切れてしまうんです。
岩田
つまり、放送を遮られる障害箇所が
東京から新大阪までの間に360ヵ所あったんですね。
鈴木
はい。ですから・・・(手を揺らせて)
映像がこんなになってしまいましてね(笑)。
そこで、どうしたかと言いますと、
当時、ビデオテープという便利なものが
ちょうどできたばかりだったのです。
ところが、編集で1回ハサミを入れると1万円かかったんですね。
ですから「編集まかりならぬ」ということだったんですけど、
とにかく新幹線の運転手さんがレバーをグッと引いて
出発したとたんに(日劇のところで)中継が切れてしまいますのでね。
それで、「ここだけはビデオを使わせてくれ」と頼んで、
中継が途切れる場所では入れ替えるようにしたんですが、
あそこに電信柱があるな、次はトンネルだなって、
360ヵ所、障害を全部覚えなければいけないんです。
だから前の日にテストをしたのはいいんですけど、
前の日までは、試運転で8時間かけて走ってたんですよ。
実況する日に、初めて3時間10分で走ることになって、
途切れる場所と場所の間が、テストのときは仮に1分でも、
中継当日は30秒くらいになるので、
念のためにと思いまして、経理局のそろばんの名人2人を
横に座らせましてですね。
「次は何秒です、その次は何秒です」と言って、
超近代的な新幹線のなかで、そろばんをしていたんです(笑)。
岩田
経理のそろばん名人さんが
「次は何秒でトンネルです」とか
計算して言ってくれるのを聞きながら、
その場でアドリブで生中継されていたんですね。
鈴木
ところが、それも
だんだん間に合わなくなってきましてね。
そこで、しょうがないから、外の景色を見ながら、
「次は電信柱が来る」とか「次は看板だ」とか
台本なしでしゃべっていたんです。
岩田
台本なしで本番に臨むのは
そんなに前からされていたことなんですね。
鈴木
そうなんです。
「クイズ面白ゼミナール」のときも
億の桁から小数点何桁まで、何も見ないで、
次から次に言えたのです。
岩田
それがもう本当に驚きだったんです。
鈴木
あのときは、それぞれの問いに
専門家が陰で待機していましてね。
もしわたくしが間違えたら「間違えてます」と言ってくれと。
でも、「クイズ面白ゼミナール」を7年間続けましたけれども、
とうとう1度も指摘されたことはありませんでした。
岩田
(感嘆しながら)はい。
鈴木
というのも、わたくしがしゃべっていたのは
数字じゃなくて言葉なんですね。
それに、ひとつの問いに対しての答え方を
最低3つは用意していました。
だから、あとの2つはせっかく調べても捨てるわけですね。
岩田
3つの答え方を用意して本番に臨んでおられるので、
その局面によって、いちばんいいものを選んで使えるわけで、
捨てる2つも決してムダではないというお考えなんですね。
鈴木
そうです。
もともとわたくしのやりかたは、
100調べて、ひとつ使うというやりかたなのです。