3. “集大成”のソフトに

岩田

25年にわたる『スーパーマリオ』の歴史が
そもそもどのようにしてはじまったのか、
宮本さんから改めてお話ししてもらえますか?

宮本

はい。『スーパーマリオ』の2年ほど前に、
をつくりましたけど、
あのときはスクロールもしないし、背景が黒くて
ちょっと地味な印象があったんです。
そこで、スクロールして、背景も明るくて、
これまでよりも大きめのキャラクターが動く
『マリオブラザーズ』みたいなものをテストしようと。

岩田

それでつくったのが先ほどの話に出てきた
四角いものが動くテスト版なんですね。

宮本

そうです。四角だったか、簡単な1枚絵です。
もともとスクロールさせたかったので、
その時点で2人用をつくるのは諦めました。

岩田

ああ、そうなんですね。
『マリオブラザーズ』では2人プレイが楽しめましたけど、
それは横スクロールしなかったからで、
(※11)の4人同時プレイのように、
スクロールさせても、ひとつの同じ画面に
複数のキャラクターを収めるようなことは、
当時の技術では、解決することができなかったんですね。

※11

『NewスーパーマリオWii』=『New スーパーマリオブラザーズ Wii』。2009年12月に、Wii用ソフトとして発売されたアクションゲーム。

宮本

はい。ただ、2倍の大きさのキャラクターを動かすことは、
『デビルワールド』ですでに実現させていました。

岩田

つまり、『エキサイトバイク』からは
画面の一部だけをスクロールさせる部分スクロールの技術を、
『デビルワールド』からは、
2倍の大きさのキャラクターを動かす2キャラモードの技術を
それぞれ持ってきた、ということですね。

宮本

そうなんです。
それまでのいろんなソフト技術を総結集しました。

中郷

少し細かいことになりますけど、
たとえば
あれをつくったSRDのメンバーが
『スーパーマリオ』のプロジェクトにも参加していたので、
そのまま持ってくるようなこともできたんです。

 

※12

『ドンキーコングJR.』=1982年に、アーケード用ゲームとして登場したアクションゲーム。ファミコン版は1983年7月に発売。

岩田

この仕様書を見ると・・・
「『ドンキーコング』のスロープ、リフト、ベルトコンベア、はしご、
『ドンキーコングJR.』のロープ、丸太、ジャンプ台、
『マリオブラザーズ』の敵の攻撃、敵の動き、氷った床、パワー床、
などを中心として改良を加える」・・・と書いてありますね。

宮本

ですから、まさに“集大成”のソフトでした。
当時はディスクシステムが出る前年でしたし、
カセットで出す最後のソフトのつもりだったんです。
「さすが任天堂はカセットのことをよく知ってる」とか、
「これ、どうやってるの?」と言われるようなものを
できるだけいっぱい入れようと思いました。

岩田

いまのゲーム機では、
総合的な処理能力の範囲であれば
どんな映像表現もできるようになったので、
ゲームのなかの表現で、「これ、どうやっているの?」という話は、
ある意味、プロの目でしかわからない時代になりましたよね。
でも、ファミコンソフトのあの時代は、ハードの制約がとても厳しくて、
あまり多彩な映像表現はできませんでした。
ハードの制約をかいくぐることで、新しい表現が実現できると、
それはおそらく一般の方にとっても見たことのない表現でしたから、
お客さんも、ほかのゲームでは見たことのない新しい表現は、
「これ、どうやっているの?」というように
とても魅力を感じていただけたところがありましたよね。

宮本

そうだったんですよね。そんなふうに
いろんなソフトのいい部分を取り入れようとしたんですが、
やっぱりおおもとになったのは『エキサイトバイク』でした。
たとえばワープの発想はそこから来ています。

岩田

それはどういうことですか?

宮本

業務用の『エキサイトバイク』には3レベルあって、
遊びはじめる場所を選ぶことができたんです。
「じょうずな人は早く上級のレベルを遊べたらいいよね」ということで。
もちろん、『スーパーマリオ』でいきなりワールド7から
はじめようとすると難しすぎるんですけど、
「じょうずな人はワールド1からワールド8まで
すいすい行けたらいいのにね」と。

岩田

へえ〜、そこからワープの発想が来てるんですか・・・。
確かに当時のカセットはセーブができませんでしたからね。

宮本

そうなんです。
毎回はじめから遊ぶしかなかったんです。
でも、最後まで遊びたい人のために
ワープができるようにして、そのワープを究めると
すぐにワールド8に行けるようにしました。
それは『エキサイトバイク』で
どのコースからはじめるかを選ぶのに近いものなんです。

岩田

ああ、だから本当にいろんな意味で“集大成”なんですね。

宮本

まさにそういった気持ちでつくりました。

岩田

そもそも、この『スーパーマリオ』をつくったとき、
宮本さんが初めて256キロビットのメモリを
採用したんでしたよね。

宮本

そうでしたね・・・キャラクターは64キロビットのままですが。

岩田

とはいえ、すぐにディスクシステムに移行することが決まっていて、
ディスクの容量は1メガビットでしたから、そんななかで
カセットのなかに最大限のものを詰め込もうとすることが
『スーパーマリオ』誕生のきっかけになった、というわけなんですね。

宮本

そうですね。
でも、そんなことを思っていたのは、僕だけかな?
中郷さんにも「これまでのソフト技術を詰め込もう」
という志向はありました?

中郷

まあ、詰め込むこと自体はずっとやっていましたよね。
こっちの絵をちょっと減らして、
代わりにプログラムを入れるとか・・・。

宮本

だから、あの時点で
詰め込むノウハウはいっぱいたまっていたよね。

中郷

当時は空きメモリの奪い合いをしていたんです。
たとえば、ブロック1個は3バイト、もしくは2バイトですので、
20バイトの空きがあったら10個くらいは置けるんです。
すると宮本さんは「ブロックをあと10個くらい置きたい」とか言って
バババーッと置いていくんです。
そうするとメモリはどんどん足らなくなるでしょう。
で、ちょうどそのとき近藤さんが
エンディングをつくろうとしていたので聞いたんですね。
「何バイトでできますか?」と。

近藤

そうでした(笑)。

中郷

ループの曲だったら40バイトでつくることができると。
そしたら20バイト余るというので、
「じゃあ王冠をつくろう!」と宮本さんが言いだして。

宮本

1UPして10人を超えたら、
ご褒美に王冠を用意したくなって(笑)。

中郷

あれを入れたのは最後の最後でしたよね。

宮本

もともと、バグが出たときの安全策のために、
100バイトくらいの空きをとっておいたりするでしょう。
でも、開発も終盤になって、
「もうバグはなさそうね」という段階になってから、
その空きをどんどん使えるようになって、終いには
「あと8バイト残っているけど、なんか置きます?」とか聞かれて、
(すごくうれしそうに)
「ここのブロックはどうしても置きたかったんや!」と(笑)。

一同

(笑)

宮本

で、置いてから「もうバグが出ても知らんよ」って(笑)。
でも、そういう攻防をするのが楽しかったんですよね。

中郷

本当に楽しかったですね。

宮本

その昔、「がっちり買いまショウ」(※13)という番組がありましたよね。

岩田

はいはい、ありました(笑)。
買い物ゲームの番組ですよね。

中郷

たとえば10万円のコースがあって、
スタジオには、値段をふせられた冷蔵庫とかテレビとか、
いろんな商品がたくさん並べてあって・・・。

宮本

10万円以内で買い物をしなければいけなくて、
出場者は高そうな商品からカゴに入れていって、
1円でもオーバーすると、失格してしまうと。

中郷

で、最後の最後に即席カレーをカゴに入れるんですよね。

宮本

そうそう、100円単位の調整は即席カレーで(笑)。

中郷

カレー3個だから300円・・・。

宮本

「たぶんこれでピッタリ!」みたいな。

一同

(笑)

宮本

まさにあの番組のような感じでした。
こちらは値段もわかってますけどね(笑)。

※13

「がっちり買いまショウ」=毎日放送が制作した買い物ゲーム番組。1963年から1975年まで放送された。

任天堂ホームページ

ページの一番上へ