3. 麦球を使って試作機を“工作”

岩田

ゲームのアイデアがまとまって、
次はどのようなステップに入っていくんですか?

加納

みんなでブレーンストーミングをやって
ゲームのシチュエーションが決まったら、
横井さんは「あとは頼むな」と(笑)。

出石

横井さんが「あとは頼むな」と言ったら、
頼まれているのは加納さんだったんです(笑)。
そこで僕たちが黒板に描いたヘタな絵を
加納さんがササッと描き直してくれまして、
するとすごく面白そうになって、「これでいこう!」と。

加納

(ファイルを取り出しながら)
実はわたしも古い資料を持ってきていて・・・
そのときに描いたり、版下に使ったのがこれなんです。

資料/マンホール

岩田

これまたすごいお宝が出てきましたね(笑)。

出石

こんなん残ってたんですか!?

加納

むかしのものなので変色しているんです。

出石

これは『マンホール』ですね。

岩田

(※15)もあります。

資料/ファイア

山本

こっちは(※16)

資料/オクトパス

出石

ああ懐かしいなあ・・・。

加納

この原稿を元にして試作機で動かしていたんです。

※15

『ファイア』=ゲーム&ウオッチの第4弾ソフト。ビル火事から落下した人たちをマットで受け止めるゲーム。1980年7月発売。

※16

『オクトパス』=ゲーム&ウオッチのワイドスクリーンシリーズの第2弾ソフト。潜水夫が大ダコの足をすり抜け、海底の宝箱を取りに行くゲーム。1981年7月発売。

岩田

その試作機は、ゲーム&ウオッチよりももっとでかい、
ランプがついたものだと聞きました。
それはいったいどのようなものだったんですか?

山本

まず、加納さんが描いた原稿をいただいて、
暗室にこもってフィルムを焼くんです。

岩田

暗室にこもったんですか(笑)。

山本

はい。
そこで原稿を反転させたフィルムを焼きまして。

出石

で、そのフィルムの絵柄に合わせて
5ミリ厚くらいのアクリルを糸ノコでくりぬいて、
その板にピッタリ合う基板の上にのせて・・・。

山本

くりぬいた穴のところに麦球(※17)を並べるんです。

岩田

プラモデルなんかでも使っていた麦球ですか。
まさに工作の世界ですね(笑)。

※17

麦球=麦粒のように小さな電球のこと。プラモデルのミニカーや鉄道模型などのライト部分によく利用されている。

山本

まさに工作でした。
それで光が回り込まないように工夫しました。

加納

スモークのアクリルを貼ったりとかして、
ランプが点いたところだけ映像が見えるようにしていました。

出石

ですから、ソフトをつくるというよりは
工作のように、切ったり、貼ったり、穴を開けたりと
手作業でやることがけっこう多かったんです。

岩田

まるで工作少年たちが集まって
でかいゲーム&ウオッチをつくっていくような感じですね。
それはどのくらいのサイズのものだったんですか?

加納

先ほどの原稿と同じくらいですから
A4サイズくらいですね。

岩田

A4サイズくらい、でかいゲーム&ウオッチで
ゲームとしての面白さを確認したと。

山本

実際に動かしてみて
「もうちょっとここは変えたほうがいい」とか、
「もっと見やすくしよう」とか。

加納

やっぱり自然な動きに見えるようにすることが大事で。
それは麦球の試作機で確認して、ダメだとなったら・・・

岩田

じゃあ、麦球の工作も1回じゃ済まないんですか?

出石

ええ、1回では終わりません。
そこでもやっぱり横井さんのチェックが入るんです。
僕らは“横井さん標準”と呼んでいたんですけど、
そのチェックがなかなか通らなかったんです。

加納

ゲーム&ウオッチ全体に通じて言えることなのですが、
ミスしたときは「プレイヤーである自分が悪い」と
感じられることが大事だと。

出石

だから「もう1回やろう」と思うんですよね。

山本

ところがボールが落ちてきて
お客さんはちゃんと受け取ったつもりでも、
「ブー」と鳴ったら納得がいかないんです。

出石

そこで、お客さんが受け取ったと思うんだったら、
それはちゃんとボールをキャッチできたことにしようと。
信号ではキャッチしていないんですけど、
判定をかなり弛めにしてつくってあるんです。

岩田

判定に“遊び”を入れたんですね。

出石

その通りです。やっぱり“タイミングが命”ですから、
何度もチューニングを繰り返していました。
でも、さらにもうひと味というところで、
横井さんはすごい課題を出してくるんです。
実際に試作機を触りながら
「このタイミングで何かが出てきて、じゃまをしたら?」
ということをさらりと言われたり・・・。

加納

わたしたちとしては
試作品ができた段階で、これでいいと思っているんです。
ところが横井さんは「まあ、1回やってみたら?」と。

出石

それは口癖のように言ってましたね。

加納

ところが、それがいいのか悪いのか、
スタッフのみんなは判断がつかないんです。
そこでしぶしぶ絵を描き直して・・・。

岩田

“ちゃぶ台返し”のルーツはここにあったんですね(笑)。

山本

そうです。パターンが変わったらもう1回・・・。

岩田

再び暗室にこもってですか?(笑)

山本

はい。また暗室からスタートです。

加納

でも、それでやってみたら・・・。

出石

そう、すごくいいんです。

加納

それでどんどん良くなっていったんですね。

岩田

それって大変そうだけど、
ちょっと楽しそうに聞こえます(笑)。

出石

確かに楽しかったですね。

加納

うん、すごく面白かった。

岩田

この頃はひとつのタイトルを
何ヶ月のサイクルでつくられていたんですか?

加納

1ヵ月に1本のときもありました。

出石

ソフトの開発は、わたしと山本さんと2人で
代わりばんこで担当していましたので、
毎月のように商品を出すことができたんです。

岩田

それはすごいことですよね。
というのも、いまのゲームは当時よりも遙かに複雑ですけど、
一方でキーボードをちょちょっと叩けば
一瞬で試すことができるじゃないですか。
でも、ゲーム&ウオッチの時代はそうはいかず、
暗室にこもって工作するところに戻ったりするので、
すごく大変だったと思うんですけど、
プログラムはどうされていたんですか?

山本

わたしと出石さんが本格的に関わりはじめたのは
4作目の『ファイア』からだったんですけど、
最初の頃は、プログラムを組むのではなく、
ハードからゲームをつくっていたんです。

岩田

つまり、いまのようにプログラムを組んで
ゲームをつくるのではなく、ハードの回路設計をして、
ゲームが動くようにされたんですね。

出石

はい。実際、『レーシング112』や
『ブロック崩し』などもそうやってつくりましたし、
それこそ遊びの仕様を見ただけで
頭のなかに回路図が浮かんでいたくらいなんです。
そこで、はんだごてを使いながら
『ファイア』の原型をつくりました。

岩田

キーボードを叩く代わりに、
はんだごてを使われていたんですね(笑)。

出石

そのほうがずっと早いと思ったんです。
実際、早かったですしね。

山本

そうでしたね。

岩田

でも途中からはソフトを組むようになったんですよね?

出石

ええ。プログラム言語を覚えて
ソフトを組みはじめたんですけど、こうなると
「楽やん、こっちのほうが」と(笑)。

岩田

そのほうが楽だし、断然早いと思います(笑)。

出石

早かったですし、
何より手が汚れないのがよかったです(笑)。

一同

(笑)

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