2. マニュアルを読みながら
岩田
鯉沼さんが当時のコーエーさんに入社して、
いちばん最初にしたのはどんな仕事だったんですか?
鯉沼
パソコンで出ていたRPGを
スーパーファミコンに移植するというのが最初の仕事でした。
岩田
でも、大学でコンピューターを勉強したとはいっても、
いきなり現場で仕事をするのは勝手が違いませんでしたか?
鯉沼
もちろん面食らったり、苦労はしましたけど、
すごく興味がある仕事でしたので、意外にすんなりと。
岩田
もともと適性があったんですね。
鯉沼
専攻が情報学科でしたので、
とにかくパソコンと数学を徹底して勉強させられたんです。
勉強しているときは、「これ、社会に出ても、役に立たないよなあ」
と思いながらやっていたんですけど(笑)。
岩田
学生時代の勉強ってだいたいそうですよね(笑)。
「これ、何の役に立つんだ?」ということを、
いっぱい覚えさせられて、でも後になってから
「ああ、こういう意味だったのか」とか
「あのときに、これがわかっていたら、もっとやったのに」って、
世の中のほとんどの大人が思うわけで。
鯉沼
そうですよね(笑)。
ですから、物理学とか、
行列系の計算関連の勉強とかをやっていて、
本当によかったと、コーエーに入ってから思いました。
岩田
そもそもビデオゲームの歴史というのは、
次々と新しい機械が出て、次々と新しい技術が生まれて、
わたしたちのような開発者は、
それらをうまく乗りこなすことを繰り返し求められてきましたよね。
鯉沼
そうですね。
岩田
プログラマーの仕事というのは、
新しい機械を乗りこなしていくという面白さと、
ゲームそのものをつくる面白さがありますけど、
これまで鯉沼さんは、どんなところに面白さを感じて、
仕事をされてこられましたか?
鯉沼
わたしの場合、10年くらいでしょうか、
プログラム畑をずっと歩んできまして、
新規ハードの立ち上げにもかかわったり、
プログラムもたくさん書いてきましたけど、
とにかく、新しいハードで、新しいことをやりたい、
という欲望だけで、仕事をしてきたように思います。
岩田
新しいハードが来ただけでワクワクするんですね。
鯉沼
はい。もう、楽しくてしょうがなかったです。
新しいハードのマニュアルを読むだけでも、
すごくドキドキしまして、はたから見ていた人からは、
「こいつ、なんか変」と思われたんじゃないかと(笑)。
だって、マニュアルを読みながらニコニコしているわけですから。
岩田
わかります、わかります(笑)。
「このハードだったら、こんなことができそう」とか
考えただけで、自然にニヤニヤするんですよね。
鯉沼
普通の人には理解できないだろうと思うんですけど、
「おっ、こんな機能が載ってる」とか、
それを知っただけでも、もうワクワクしてしまって、
どうしてもニヤニヤしてしまうんです(笑)。
岩田
でも、周囲から見たら、やっぱり怪しい人ですよね(笑)。
鯉沼
そうですね(笑)。
岩田
で、そのスーパーファミコンの移植の後、
どんな仕事にかかわったんですか?
鯉沼
『真・三國無双』(※13)になる前の『三國無双』(※14)などの
3D対戦格闘ゲームのプログラマーとしてかかわった後、
あるとき、「ディレクターをやってみないか?」と言われて、
それでつくったのが『真・三國無双2 猛将伝』(※15)です。
岩田
どのようなことがキッカケになって、
「ディレクターを・・・」という話になったんですか?
鯉沼
わたし、プログラマーの時代から、
ゲームの中身に関しても、かなり口出しをしていたんです。
岩田
ああ、子どもの頃から遊びこんできたので、
ゲームの中身にも一家言があって、
それを抑えることができなかったんですね(笑)。
鯉沼
はい(笑)。
小2からずっとゲーセン通いをしてきましたし、
スーパーファミコンも、発売された11月に
品切れで買えなくて、それでも辛抱強くお店に通って、
翌年の3月にようやく手に入れたのをハッキリ覚えているくらい、
とにかく、ずっとゲームばっかりやっていた人間なので、
どうしても口が出るんです。
これはまあ、性格もあるんですけど(笑)。
岩田
(笑)。
マニュアルを読んでニヤニヤする自分がいる一方で、
つくっているものに対しても、
「ここは、こうしたほうが面白いんじゃないですか?」
みたいなことも、自然と口に出る自分がいるんですね。
鯉沼
はい。「これ、このままいったら、売れなくなりますよ」
みたいに、すごく生意気なことも言ってました。
岩田
あー、その言い方は、状況によっては、
煙たがられたりしますよね(笑)。
鯉沼
ええ。ですから、新人のときは、
そのときマネージャーだった人と
大げんかをしたこともありますし、
何しろ、1年目の新入社員の時代から
ソフト内容に関しても、絶対に引かないところがありました。
ディレクターに抜擢されたのも、そのような姿勢を、
上の人がたぶん見ていたからだと思います。
岩田
そうしてディレクターになって
つくったのが『真・三國無双2 猛将伝』ということですけど、
そもそも、『真・三國無双』になって、
周りにわらわらと現れる敵を、ばっさばっさ倒すという
『無双』シリーズの原型ができていますよね。
鯉沼
はい。
岩田
それは、ゲームシステムの
ひとつの発明だったと思うんですけど、
そのあたりの誕生の経緯とかに、
鯉沼さんはかかわられているんですか?
鯉沼
誕生の部分では、わたしはかかわっていないんですけど、
聞いた話では、もともと『三國無双』は
1対1の対戦格闘ゲームとしてスタートしたんですが、
ハード性能が向上してきたこともあって、
どうせ三国志の武将になりきってプレイするなら
「大勢の敵兵を相手に大暴れしたい」、
「広大な戦場を馬で駆け回りたい」、
「合戦の勝敗を決するような大活躍がしたい」
というような発想から、はじまったように聞いています。
岩田
じゃあ、もともとのルーツは、1対1の対戦格闘ゲームで、
それを、より派手な活躍をさせようと
追究していったのが『無双』シリーズということなんですか?
鯉沼
はい。
岩田
でも、当時は、たくさんの相手を動かすというのは、
けっこうなチャレンジだったんじゃないですか?
鯉沼
わたしはそのディレクターをやる前に、
『決戦』(※16)という、群れを扱ったゲームの
メインプログラマーをしていまして。
岩田
なるほど。『決戦』のときに
たくさんのものを同時に動かすことは経験されていたんですね。
鯉沼
そうなんです。
岩田
そうやって『無双』シリーズは
コーエーさんの看板タイトルになっていくわけですけど、
どんどんシリーズを重ねるごとに、
ファンであるお客さんの期待に応えなきゃいけない一方で、
マンネリと言われないために、
何をするのかということも大事になりますよね。
鯉沼
そうですね、シリーズものって、かんたんにつくれるようで、
かんたんにつくっちゃいけないものだと思っています。
『無双』の根幹には、“一騎当千の爽快感”というのが
シリーズのテーマとしてありまして、
それだけは絶対に崩さないのが
暗黙のルールになっています。
岩田
“一騎当千”というのは、文字通り
1人で1000人の敵に立ち向かうことですけど、
それをゲームで実現することで、「オレってすげえ!」と
誰にも味わえるようにしようということなんですね。
鯉沼
そうなんです。
そのような“一騎当千の爽快感”を追求しながら、
別のベクトルで、どのような違いを出していくのかと。
そこでわたしは、『真・三國無双』の別枠として、
『戦国無双』のシリーズを立ち上げたんですけども。
岩田
『戦国無双』が生まれることになったのは、
どんなことがキッカケだったんですか?
鯉沼
もともとコーエーには『信長の野望』と『三國志』という、
2つの大きな柱がありますけど
まず中国を舞台にした『三國志』があったので、
日本を舞台にした『信長』をやろうよ、という流れになったんです。
岩田
『三國志』の世界で表現された『真・三國無双』があったから、
『信長の野望』の世界を舞台とする『戦国無双』が生まれたということなんですね。
鯉沼
はい。