岩田
いつまでも商品の紹介ができないのも何ですので・・・。
宮本
僕は今日、昔の話をしゃべりたくて来ました(笑)。
一同
(笑)
岩田
とても興味深い話がいっぱいで、
もっと訊きたいところなんですけど、
そろそろファミコン版の話に入りましょうか。
こうして生まれた『パンチアウト!!』は、
どういう経緯でファミコンや
スーパーファミコンで出ることになったのか、
和田さん、ちょっと教えてください。
和田
わたしが任天堂に入社してすぐくらいに、
ファミコンの『パンチアウト!!』をつくることになりました。
それまでは、開発三部には専属のデザイナーがいなかったんですけど、
わたしが初めてデザイナーとして配属されたんです。
で、そのときも竹田さんがメインで絵を描いておられて。
岩田
ファミコン版も(笑)。
和田
それで、ひよっ子のわたしには、
なかなか触らせてくれなかったんです。
一同
(笑)
和田
ファミコンはとくにメモリの制限が厳しかったですから、
絵をパーツ分けして反転させたりだとか、
部分的にパーツを呼び込むようなことをしていたんですけど、
そこで描かれた絵を見たら、
どう見てもおかしなプロポーションだったんです。
竹田
(笑)
和田
ただ、実際に動かしてみると、
それらしい動きになるんです。
「ああ、テレビゲームはこうやってつくられるんだ」と
そんなふうに感心しながらも、
早く触りたいと・・・。
岩田
触りたくて、腕がうずうずしてるのに
なかなか触らせてもらえなかったんですね(笑)。
和田
触らせてもらえないんです、はい。
宮本
デザイナーで入ってるのに(笑)。
竹田
当時はまだ1年目だったし。
岩田
和田さんは何年入社なんですか?
和田
86年です。
田邊
僕と同期なんです。
岩田
田邊さんと同期だったんですね。
田邊
だから、ツールがなかなか触れなくて、
和田くんがぼやいていたのを、よく覚えています。
岩田
あははは(笑)。
和田
で、せっかくの機会だから
ぜひ言っておきたいことがありまして。
『パンチアウト!!』には、
パンチを出すと効果的なタイミングが
ヒントとしていろいろちりばめられてるゲームなんですけど、
ファミコン版のときもボールド・ブルという、
大きいボクサーが突進してくるときに、
観客席の右のほうにピカッとフラッシュがたかれるんですね。
そのタイミングで打つと、ボディが決まるんです。
田邊
え、そうやったの?
和田
たぶんこの話は22年間、知られないまま・・・。
一同
(笑)
和田
いつ発表するのかなと思ってきたんですけど・・・。
岩田
発表されるのを待ち続けて22年(笑)。
和田
この場になってしまったと(笑)。
ファミコン版にはそういう隠し要素が
たくさん入っていたんです。
岩田
それで、和田さんは
いつ頃から触らせてもらえるようになったんですか?
和田
たとえば試合がはじまる前に、
対戦相手の紹介で、わりと大きな顔が表示されて・・・。
岩田
止めの顔ですね。
和田
そういう絵を描くことを
やらせてもらえるようになりました。
それに、ファミコン版から
レフリーがマリオになったんですけど、
実は僕が勝手に描いたんです。
ファミコン版『パンチアウト!!』
※画像は、バーチャルコンソールで配信中の『パンチアウト』(ファミコン版)のものです。
岩田
大らかな時代だったんですね(笑)。
宮本
当時はマリオの絵の確認という仕組みがなかったので、
僕のチェックも素通りで(笑)。
和田
だからちょっとおかしなマリオなんです。
岩田
(笑)
和田
でも、そこまでがんばったのに
ゴルフの景品だったんですよ。
岩田
ゴルフの景品?
和田
アメリカではパッケージでちゃんと発売されたのに
日本では「第2回 ファミリーコンピュータ ゴルフトーナメント」(※14)の
景品でした。
岩田
そのトーナメントで使用した『ゴルフUSコース』は
わたしがつくったんですよ。
※14
「第2回 ファミリーコンピュータ ゴルフトーナメント」=1987年6月に発売したファミコンディスクシステム用ゴルフゲーム『ゴルフUSコース』を使用したユーザー参加型ゴルフトーナメント。
和田
そうでした。
で、その景品カセットの色はゴールドで、
豪華だったんですけど、
やっぱり非売品でしたので・・・。
宮本
でも、いざ景品で出してみたら
「欲しい」という声がたくさん寄せられたんですよね。
和田
そこで、1年を待たずして
一般販売されることになったんです。
岩田
その後に、スーパーファミコン版が出て・・・。
和田
ファミコン版から11年後の、
1998年の発売ですね。
スーパーファミコン版『スーパーパンチアウト!!』
岩田
その頃は、さすがに竹田さんも
自ら手を動かしてなかったんでしょうね?
和田
さすがにその頃は(笑)。
竹田さんが開発に関わった
NINTENDO64もすでに発売されてましたしね。
岩田
業務用とスーパーファミコン版は
わりと近い内容だったんですか?
それとも、もっと家庭用ならではの要素があったんですか?
和田
ほとんど変えてないです。
竹田
ただ、新しいキャラクターがたくさん入っていたから、
そういう意味ではけっこう大変だったと思いますね。
和田
先ほど、岩田さんが
プロレスじゃないんだからという話をしてましたけど
もともと業務用の『スーパーパンチアウト!!』が
色物的なものがたくさん出てくるゲームでしたので、
その流れを汲んで、おかしな人たちをいっぱい出しました。
たとえば、ピエロの格好をした対戦相手が
玉を投げてきたりとか(笑)。
岩田
そういったキャラクターは
和田さんが全部考えてつくったんですか?
和田
もうその頃には
デザインスタッフも何人か入ってましたので
その人たちといっしょに考えました。
でも、このときも日本版は書きかえソフトだったんです。
岩田
ああ、ニンテンドウパワー(※15)ですね。
和田
だから、パッケージでは発売されなかったんです。
宮本
また、そういう扱いされて。
一同
(笑)
※15
ニンテンドウパワー=ローソンに置かれた端末(ロッピー)および任天堂のサービスセンターで実施された、スーパーファミコンとゲームボーイ専用ソフトの書き換えサービス。1997年にスタートし、2007年にサービス終了。