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このゲームが発売されていた頃、僕は元気よくハイハイしていました
家のファミコンは接触が悪く、歩いただけで、電源がおち、よく父を泣かしました。ある日父はドラクエ3のラスボスを追い詰めたらしく、
興奮していました。その姿に怯えたらしく、僕は生まれて初めて歩きました。その瞬間、「ドン」案の定電源が切れました。
その日僕は生まれて初めて本気で怒られました・・・。 |
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これはお父ちゃんが買うてきた最初で最後のゲーム。
この頃あっしは幼稚園児。いつものようにお父ちゃんが帰ってきた合図のインターホンがなるとかくれんぼ開始。
その日の隠れた場所はこたつの中!クスクス笑いながら机の下に隠れている自分。
ガチャッとドアが開く音がして「また隠れてるんやなぁ」とおかんと喋っているお父ちゃん。
「ゲーム買うて来たったで!」
耳を疑った。あれほどゲームは一日一時間以上すると怒るゲーム反対派のお父ちゃんがゲームを買ってきたのだ。
すぐコタツから出て行ってゲームを見せてもらいに玄関に走った。
この幼稚園児。まるで餌に釣られてつかまった猿。
「お父ちゃんありがとう!」
「お、見っけた」
嬉しそうに言うけどそんな言葉、餌を受け取った小さいお猿さんには届いちゃいない。
「今流行ってるやろ。喜びや!」
流行っている!?おぉ・・・ついに我が家にも、マリオ・・・マリオが来たんだぁ!!
綺麗に包まれた包装をビリビリに破り、空けてみたら「じゃりんこチエ」
なんじゃこりゃ。
やってみたけど全く意味がわからない。
タイトル画面以降進んだ覚えもありません。
何で買ったのかと聞くと「テレビでやってるから。ホンマは麻雀が良かったけどわからんやろ?」
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・・
・・・
お父ちゃん・・・孫にはマリオ買うたってな。 |
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元々ゲームがあまり好きでない父親でしたが、知り合いからの勧めで購入したらしく、知識もなく購入したソフトも少ないながら、
スーパーマリオブラザーズ、ピンボール、バルーンファイト、
ドンキーコングと任天堂の名作ばかり、
限って私がゲームをする父親を見ているときはいつも「ゴルフ」でした。しかしこのゲーム、シンプルな内容なのが長所でもあり短所とも言えるこの「ゴルフ」
ボールの飛距離はゴルフクラブに関わらず未知数、ゲーム中に吹く風速も14mというからすごい!
おまけにボールがグリーンに乗ればこっちの方が大変、私がプレイすればパターがなかなか決まらずスコアもボロボロに…インパクトの強いゲームに関わらず父は、
「この面でホールインワンをとるよ」
と宣言、なにやらぶつぶつと呟いた後、「このくらいかな?」
「バシッ」
渾身の1打が放たれました。やがて飛んだボールはいい具合にグリーンの方向へ…するとテレビから「ピコッ」と鳴り画面の左上にはホールインワンと表示されているではないですか。その瞬間、楽しく騒いでいたのを覚えてます。
ゲームをよく知らない父が「ゴルフ」だけはプロゴルファーのようなスコアを叩き出していました。
なにか一つでも、お気に入りや、思い入れがあるソフトがあれば、
ゲームの中だけでなく身の回りでも輝けるものだと今でも感心しています。 |
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この占いはものすごく良くあたるので、
高校時代に女友達を家に招いては
色んな人を占って「うわ〜、当たってる!」
なんて騒いで盛り上がっていました。
大学に入って一人暮らしをはじめた時も
ファミコン本体とこのソフトは持って行ったのですが、
ある日お気に入りの男の子が遊びに来た時
この占いはよく当たるとすすめてみたら、
違う女の名前で相性占いをはじめられて
複雑な気持ちになりました。
そんな酸っぱい思い出のこもった1本です。 |
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兄に勝った暁には・・・。
ええ!!かけられましたとも偽キン肉バスターを・・・・。
あぁぁぁぁ痛かった私女の子なのになぁ(TдT) |
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ドラクエ2にてRPGのすばらしさを知った私は、
ドラクエ3は絶対にプレイしなければならないという
衝動に突き動かされ1ヶ月かけて親との戦争を繰り広げました。
しかし、いくらお願いしてもだだをこねても父親は首を縦に振ることはなく、
「駄目だ!」の1点張りでどんどん発売日が近くなるだけでした。
そして発売日前日の夜、もう諦めていじけていた私に突然父が
「どうしてもドラクエが欲しいならいっしょに来い!」と言われ、
訳も分からず父に着いていき、池袋のビックカメラへ。
そこで見た光景は、驚きの光景でした・・・。
そこにはドラクエを買うため寒空の下、徹夜で待っている人々が列を作っていたのです。
それを見た驚きにポカーンとしている私に父がこう言いました。
「いいか、おまえみたく欲しい、欲しいって人に頼ってばかりじゃ何も手に入らないんだぞ。
本当に欲しいのなら自分の力で苦労してがんばっらないと駄目なんだよ。
ここで朝まで並んでがんばれるか?がんばれるのなら買ってあげよう。」と・・・。
『若いうちの苦労は買ってでもしろ』と言いますが、
父は私に欲しい物は自分で苦労しないと手に入らないということを
ドラクエ3を通じて教えてくれたのでした。
そして、2月の寒い夜中に父と二人でいろんな話をしたり、
寒くて辛くなった時に父がやさしく励ましてくれたりして、
そして発売日当日の朝私の手にドラクエ3が・・・。
手に入れたときに父と二人で喜んだ喜びは
今もこれからも忘れることはないと思います。
初めて徹夜をして自分でがんばって手に入れたソフト・・・
それがドラクエ3でした。
そして、ドラクエ3を見るたびに父の言葉を思い出すとともに、
がんばらなくっちゃという気持ちになります。 |
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初めてであったゲーム。
お父さんが会社の同僚さんから
ファミコンとスーパーマリオブラザーズを借りてきた。
お父さんは部屋で一人でやるつもりだったみたい。
昼間、誰もいないときにコッソリはじめてみた。
お父さんが帰って来る前に元に戻しとかないと。
初めて触るコントローラーは汗でびっしょり。
マリオはちっとも私の思うとおりに動いてくれなくて
私もマリオと一緒にとんだりはねたり腕を上げたり。
やっとの思いで地下に下りたら、いつのまにか帰ってきたお父さんが。
それからは二人で協力して先に進んだような気がします。
今は二人で遊ぶこともないけど
またゲームでもしようかお父さん。
今度はわたしがおしえてあげるね。 |
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当時小学生だった私は学校から帰るととるものもとらずにファミコンの電源を入れたものです。
「ふっかつのじゅもん」(パスワード)を入力する時の緊張感は忘れられません。
ある日、いつものようにじゅもんを入力すると「じゅもんがちがいます」の非情な文字が画面に!!
もう真っ青です。一日一時間という厳しい制限(いつもぎりぎりまでやってじゅもんを写し取る時が大変でした)の中、こつこつと進めてきた過程が全て消滅したのですから!(前のじゅもんからやり直すという手段は当時のオバカな私では思いつきませんでした)
未練がましく何度も入れ直し、その度に冷酷な宣告を突きつけられ涙目になっていた私は突然気付きます。
「このじゅもん、俺の字ちゃう」
そうです。私が必死に入力していたじゅもんは偽物だったのです。
犯人は私の実の父でした・・・。
ご丁寧に間違いを訂正した箇所(線で消して上に書いてる部分)も同じようなものを用意する始末。
動機は『面白そうだったから』
私の中ではドラクエ2最強の敵はハーゴンでもシドーでもなくこの父でした・・・。
真相に気付いた私がすぐさま職場にまで電話し、父を問い詰めたことは言うまでもないことでしょう。
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ファミコンを親に買ってもらい、そのとき「スーパーマリオブラザーズ」と一緒に買ったのがこれ。当初は難しすぎて、比較的簡単なマリオばかりやっていた記憶があります。いま遊ぶと、それなりに進めるのですが、「シルビアが襲いかかってくる」まで遊び続けたことも。今はもうそんな体力はありません…。
一番の思い出。4階の「妖術使い」にソックリな、家の近所の駄菓子屋のおばちゃんが懐かしいです。「スパルタンXのババアだぁ」などと言っていたことがあります。今思えば不謹慎なことなのかもしれませんが。ある日、たまりかねたのか「ええ加減にせいよ!」の声とともに卵を投げてこられたことがあり、「本物かも」などと思っていました。
もうそのおばちゃんも亡くなり、駄菓子屋も畳んでしまっているのですが、お店の建物は残っています。今でもそばを通るたびに、当時の思い出がよみがえってきます。 |
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中学の時だったかな。
友達の家に集まって、桃鉄をやっていた。
確か東北に目的地があってそこに向かっていたと思う。
その時、突然電話が鳴り響いた。
目的地に一番近かったその家の友人が電話を取りに部屋を出たその隙に、持っていた『ぶっとびカード』を勝手に使ってやった。
彼の電車は、石川を越え大阪を通り越し四国をも越えて行った。
何と!日本列島を横断して九州へ!!
ヘリが飛んでいる間、そこは爆笑の渦だった。
その本人が戻ってきた時、彼はヒーローになっていた(何もしていないのに…)
ネタになったから良かったものの、かなり酷い事をしたなぁって思う。
そんな事も今となっては良い思い出です。 |
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