社長が訊く
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社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

第5回:『スーパーストリートファイターIV 3D EDITION』

目次

4. “原点回帰”と“同窓会”

岩田

小野さんが、そういう価値観に至ったキッカケは、
海外経験以外に何かありましたか?

小野

それはですね。カプコンは以前『鬼武者』(※19)というタイトルが
世界でヒットしたわけですよ。
ましてや当時、
『グラディエーター』(※20)がアカデミー賞まで獲っていたので
「やっぱり歴史モノはイケる!」ということで、
僕は『シャドウ オブ ローマ』(※21)というソフトをつくったんです。
そしたらもう・・・散々たる結果だったんです。
これは何でダメだったかといえば、見えていなかったんですね。

※19
『鬼武者』=2001年に第一作が発売された、戦国サバイバルアクションゲームシリーズ。
※20
『グラディエーター』=2000年に公開された、リドリー・スコット監督のアメリカ映画。
※21
『シャドウ オブ ローマ』=2005年に発売されたアクションアドベンチャーゲーム。

岩田

思い込みがあったわけですか。

小野

すべてが「歴史モノはイケる」という思い込みなんですよ。
たとえば映画なら2時間ほどでアクションを見せられますよね。
でもアメリカ人が本当に古代ローマの歴史がわかるかといえば、
観光ならともかく、そこまでは興味がなさそうに感じてきて、
では本拠地のイタリアならどうかというと、
これまた、カエサルなんて、どーでもいいと・・・。
「シーザー? ああ、いたね~」くらいのテンションで、
要は、東洋人からすると祖先があってこういう人がいて・・・
という話が、向こうでは、いっっっさい、ないんではないかと
思えるようになってきました。

岩田

向こうには、塩野さん(※22)みたいな方はいないんですかね。

※22
塩野さん=塩野七生さん。代表作『ローマ人の物語』などを執筆している、イタリア在住の小説家。

小野

そう思うんです。だから多分、塩野さんの小説は、向こうからすれば
「そうだったんだー!」って感覚ではないでしょうか。
だから「有名なローマ帝国の歴史ならイケるに決まっている」
なんて考え自体、僕はぜんぜん見えていなかったんです。
多分、そのころ僕はまだ、ヨーロッパとかアメリカって
ひとくくりにしていて、わかっていなかったんですね。
それでもっと噛み砕かないとダメなのかな、と気づいたんです。

岩田

じゃあそのときにある種の屈辱を味わったことが、
いまの小野さんの価値観にすごくつながっているんですね。

小野

はい。本当に・・・屈辱というか、鼻高々でやっていたんです。
それで反省して、もっと深く感じようということで生まれたのが、
『デッドライジング』(※23)でした。
これは『シャドウ オブ ローマ』チームがそのまま動いて、
みんなでアメリカを分析して、何が好きで何に没頭するか、
ぜーんぶ洗い出した後でつくったことが、
うまく結果に結びついたのかなと思います。
それもすべて、あの経験と、あの屈辱と、あの大失敗が
あったからこそ、見られるようになったんです。

※23
『デッドライジング』=2006年9月に発売されたアクションゲーム。

岩田

なるほど。

小野

だから『ストリートファイター』をもう1回再建するとき、
もう同じ轍(てつ)は踏まないぞと思いました。
もう一度しっかりと見直して、
1990年代のあの感動は何だったのか、
世界中はどういう市場だから受け入れられたのか、
みんなはどういう気持ちでやっていたのか・・・
そうやって、玄関をひとつひとつつくっていきました。

岩田

では約9年ぶりにシリーズを復活させた、
『ストリートファイター』復活プロジェクトは、
どういう経緯ではじまったんですか?

小野

海外で違うタイトルのインタビューを受けたとき、
必ず最後の質問で
「『ストリートファイター』の続編はまだですか」と聞かれるんです。
本当にその質問が、非常に多かったんです。
じつは『ストリートファイターIII』(※24)の後、これでシリーズは
打ち止めだなと思っていた理由は、
『シャドウ オブ ローマ』とまったく同じ過ちで、
いままで遊んでくれていたお客さんしか見えていなかったんです。

※24
『ストリートファイターIII』=1997年、アーケードゲームとして登場。その後、家庭用ゲーム機にも移植された。

岩田

その人たちは、いちばん熱心なファンの方たちですよね。

小野

そうです。声も大きいので、僕らも気持ちよく感じるわけですから
そういったお客さんの声がすべてのように思い込んでいたんです。
でも、それ以外の人にはまったく響いていないということに、
本当に4~5年前まで気づかなかったんです。

岩田

それは先ほど話されていた大失敗がなかったら、
きっと見えないままだったんじゃないですかね。

小野

はい。そのとき「待っている人がいるんだ・・・」って気づいて、
本気でこのブランドを根本から見直すことにしました。

岩田

シリーズものは何でも、伝統とか守ってきたものがあって、
シリーズを重ねるにつれて洗練されて高度になっていく一方、
必ず何かが失われていくんですよね。
その意味で、『ストリートファイター』が
一時的に失っていたものは何だったんでしょうか?

小野

いちばんは、間口を狭くしたことなんです。
玄関に自らの手で、無意識に鍵をかけちゃっていたんです。

岩田

それは無意識にしていたことなんですか?

小野

無意識なんです。要は入り口をここだけにすることで、
選ばれし者だけが入れるようにしてしまっていたんです。

岩田

入れた人には、誇らしく、超居心地がいい空間ですよね。

小野

そう、誰もできないことへの快感というか。
だから僕らつくり手も、その快感に酔ってしまって。
ありがたいことに『III』は約14年経ったいまでも、
世界大会が開かれるぐらい、現役で動いているんです。

岩田

すごいですね。やはり、極められた頂点なんですね。

小野

はい。だから『ストリートファイターIV』をつくるときは、
「羽生名人(※25)しかできないことはやめましょう」と言いました。
竜王戦(※26)はすでにあるから、僕らが用意する必要はないんです。

※25
羽生名人=羽生善治名人。将棋棋士。
※26
竜王戦=読売新聞社主催の将棋の棋戦。竜王位はプロ将棋界の頂点とされる。

岩田

つまり、われわれ開発者がやるべきことは、間口を広げて
この選ばれし者の面白さを、もっとほかの人に伝えることであって、
そのことにエネルギーを割くならどうするかを
考えるところからはじまったのが、
『ストリートファイター』復活プロジェクトだったんですね。

小野

そうです。じつは『IV』をつくるとき、
もっと上をめざすか?って意見も出たんです。

岩田

ネットで熱心なファンのみなさんの声だけを読んでいると、
「もっと上をめざさなきゃ」となりますからね。

小野

はい。でも声が大きい人がイコール
みなさんの声とはいえないから、
かつて『ストリートファイター』をやっていた人のところまで
立ち戻って分析することにしたんです。
僕はつくるときに、“原点回帰”と“同窓会”という
キーワードを忘れるなと、ずっと言いつづけたんですね。
原点回帰は、いちばん端まできっかりと見ましょうということ。
同窓会は、かつてやっていた人にもっとシンパシーを
感じてもらうためにはどうしたらいいかを考えるようにしたんです。
たとえば、久々に中学校の同窓会をやるというとき、
男ならまず、初恋の子がひらめきますよね(笑)。

岩田

(笑)

小野

で、「初恋の子がどうなっているのか」なんて邪心も働いて、
同窓会に出席すると、実際には昔と変わっていることが多くて
どの子かわからない・・・ということがあります(笑)。
でも、僕は同窓会にたどり着くまでの間に、
その子に関していろいろなことを思い描くわけですよ。

岩田

妄想を膨らませるわけですね(笑)。

小野

そうです。それと同じで、90年代、指が痛くなるまでやった
『ストリートファイター』のイメージは、当時からいままで、
お客さんの心にずっと思い描かれているものがあるんです。
だから、リアルに当時のものを出したらダメですが、
みんなが頭のなかに思い描く、いちばんハッピーになれる同窓会を
『IV』でやりましょう、ということなんですね。

岩田

昔のリアルをただ味わうのではなく、昔のいいところ、
いいイメージを味わえるようにするんですね。

小野

そうです。「変わらないね」と言われる状態へ持ってくる。
そして遊びの窓口は“原点回帰”で、かつて遊んでいた人の
ことを分析し、玄関の間口を広げるようにする。
これらを徹底したことが、多分、復活のキッカケだったんです。

岩田

社内でそれを理解して、信じてもらうことは
チャレンジだったんじゃないですか?

小野

ああ、まさにそのとおりで、5年前は本当に僕、泣いていました。
社内の説得に2年間かかったんですよ。
「そんな古くさいもの」とか言われつづけて・・・。

岩田

手応えは、お客さんの手に渡ってからですか?

小野

いや、発表したときです。2007年の10月あたりで、
「ついに復活します!」ってティザーを流したら、
ググググググググッと反応がきて。
まあこれだけ反応があるということは、
手をつけている方向は間違えていないのかな、と。
で、ゲームショウでアーケード版をはじめて出展したとき、
みんながプレイした瞬間、「変わらないでよかったー!」
って言ってくれたんですね。

岩田

印象は変わらないけど、じつはいろいろと
変えているところがポイントなんですよね。

小野

昔、気軽にやっていた人が感じる「変わらないでいてくれた」
という印象と、やりこんでいた人が感じる
「こんなことまでできるようになったんだ」という印象、
そのどちらもきちんと用意したことで、
ようやく少しは間口を広げられたかな、と感じました。
そのとき「方向性は間違ってなかった!」と、
屈辱感から一気に戻れた瞬間でした。

岩田

その後、据置の家庭用ゲーム機での展開になるんですよね。
手応えがあったので、わりとスッと走れたんですか?

小野

はい。もう本当にアーケード版を出した瞬間に「やりましょう」と
海外の法人からも言われて、このタイトルに追い風が吹いた感じでした。

岩田

一度お客さんの幅が狭くなってしまった対戦格闘ゲームが、
HD機でああいう売れ方をしたのを見て、正直びっくりしたんですよ。
何をされたんだろうと思っていたので、
今日は謎が解けてスッキリしました(笑)。